2003年2月28日
「今日の親父」のコーナー!(←やけくそ)今日も今日とて、見舞いに来てくれた人の同情を引こうと「自分がどれだけ辛く苦しい重病人か」を小芝居をまじえて訴える、相変わらずの親父。でもそのオーバーアクションな熱演の様子を見れば、症状が大した事ないのは誰にでもわかるので「大ゴトじゃなくて良かったねえ」とみなさん言ってくれる(ありがたいよね)。でもそれが本人は気に入らず「この苦しさは、なった本人やないとわからんのや!」などとヘソを曲げて、手のひらを返すように不機嫌で失敬な態度を取り始める。呆れた見舞い客が「私らも、奥さん、息子さん、娘さんらも、もっと大変な手術した事あるんやから、わかるんやで」と諌めてくれるが、そうすると今度は「切ったり貼ったりするほうが今の俺よりよほど楽なんや」などと、ケシカラン罰当たりな無茶苦茶を言い出す始末。担当の先生や看護婦さんももう呆れ果てて「ここはホテルやないんです、病院ですよ!」と叱るが、親父はぜんぜん聞く耳持たず。シモの世話までさせてる母にねぎらいの一言すらなくワガママ気ままのし放題。・・・もー、しまいには考えたらイケナイ事まで思わず念じてしまう俺なのだった。「○ね!」と。(←それはアカンね。ゴメンなさい:罰当)
米大リーグ、ヤンキースの松井秀喜選手はオープン戦の初戦(対レッズ)に5番レフトで先発し、第2打席でいきなり初本塁打をかっ飛ばした。弾丸ライナーで左翼席に叩き込んだ打球を見て、これならかなりイケるかも・・・と期待が膨らむ一発でした。ゴジラ凄い。
2003年2月27日
親父のこらえ症の無さはまったく驚くほど。点滴の針を入れた手を、じっとさせて置くだけの事が、たった3分の間すら出来ず、針の入ったほうの腕を振ったり曲げ伸ばししたり腕枕したりするので、始終見張ってないといけない(情無)。それから胃に処置をしたので、食べ物や水は数日取れないんだけど(身体に必要な栄養などは点滴してるので空腹にはならない)それが辛抱できず「腹減った腹減った」と1日じゅう文句を言う。母や俺が少し席を外したスキを狙っては、看護婦さんにしつこく「のどが乾いて死にそうだから水を飲ませろ」とねだり、ついに「今日はこれだけですよ」と、氷を一欠け貰う事に成功すると、それに味をしめて「氷をくれ氷をくれ」と駄々っ子みたいにゴネ続け、とうとう根負けした看護婦さんからまたも氷をせしめる。(医者からは水分摂取は禁止されているので、これで患者に何かあると看護婦さんの責任に・・・)まだそれでも足りなくて、身の回りの世話をしてくれる別の看護婦さんがうがいをさせてくれるとき、その水を吐かずに飲んでしまう有り様。俺や母がその度叱りつけ、迷惑かけた人に謝って回るのだが、本人はシレッとして、まったく蛙の面に小便だ(激怒)。あー早く家に帰りたい。
2003年2月26日
親父の内視鏡(胃カメラ)での検査。結果は担当医師の予想通り「急性胃潰瘍」だった。胃からの出血で血圧が急激に下がり身体に力が入らなくなった、との事。手術などもしなくて良く、内視鏡を使っての処置ですぐに終わってしまいました。担当の女医さんから「潰瘍自体は小さいが、それが出来た場所にちょうど大きめの血管があったため出血が多くなった」と、内視鏡での写真を見つつ説明を受ける。処置の後、病室に戻った親父は「胃から出血か〜。そういや最初に倒れる数日前から便の色がいやに黒ずんでたからなあ。」などと言いだした。初耳である。それを先生にちゃんと言ったのか聞くと「言わん。」とひと言。そんな大事なコトをこの前の入院の時になぜ医者に言わんのかと小一時間問いつめる(怒)。
2003年2月25日
親父の倒れた原因を検査するために、まずは正常血圧に戻すべく輸血の措置がとられた。親父は輸血の点滴に耐えられず「苦しい、苦しい・・・!」と大騒ぎ。「うーっ、うーっ。」と大声で呻き「咽が乾いて死にそうや!」と訴え続ける。まあ、多少の拒絶反応はあるのかも知れないが、俺も母も妹も何らかの手術は経験済みなので、苦痛があったとしてもこれほど大袈裟に騒ぐ程ではないと判っている。見舞いに来てくれた親戚やご近所さん方も呆れて口あんぐり。かつて親父は、手術後退院翌日の妹に「用事があるから車を運転しろ」と言ったり、母がお産の時には陣痛に苦しむ顔を見て「ヘンな顔」だと笑った(注)。その男が、たかが輸血点滴ひとつでこの有り様とは。しまいには手で空を掻き「俺の事はもういいから輸血を止めてくれーっ!」などと叫びだす始末。この、いかにも芝居がかった「ワタシの事はいいから悪者の基地を爆破して!」と正義の味方に訴える囚われのヒロインみたいなノリに、家族・見舞客・看護婦さん一同引きまくり(疲)。そーまで言うならいっぺんホンマに輸血止めたろか!!
(注)実話。このお産で長女(ヨシローの姉)が産まれた。彼はその時「なーんや、女か。俺はもう同僚に男の子が産まれる言うてしもたやないか。今度どんな顔してあいつらに会うたらええんや!」と訳のわからない畜生のように酷い事を、産後間もない母に向かってサラリと言ってのけた(そして居合わせた母方の祖母に叱られた)そうである。ヨシロー家とそれを目撃した親族の一部に永々と伝わる有名なエピソード。
2003年2月24日
親父がトイレで倒れた。意識はハッキリしているが、手足に力が入らず立ち上がれないようだ。彼は自分のわがままを通すために日頃から芝居したりウソついたりしまくってきたので、最初、症状が本当なのかどうか判断が難しかったんだけど、今回はどうもマジらしかったので、またまた救急車で病院へ。あっという間のトンボ返り入院となってしまった。血圧が急激に低下していて、内蔵出血の疑いがあるとの事。
2003年2月23日
軍事攻撃を思い留まらせる最後の手段「人間の盾」としてイラク入国をはかる人が日本でも増えているそうだ。気持ちは解るが、とても心配になる。あの大統領の率いる今の米政府に「人間の盾」の精神など通じはしないだろうからだ。とにかく無事を願うばかり。なんでもいいから生きて帰って来て欲しい。
2003年2月22日
親父が退院。家でもわがまま言いたい放題。病人だからと皆が言う事を聞くので、どんどんエスカレート(憤)。食事は「食欲が無いんや・・・。」とか言いながら俺よりモリモリ喰っているのでまあ安心。夜中に目を覚まし、スタスタ歩いてトイレの前まで来た親父が、そこにいるとは思っていなかった俺とはち合わせた途端、あまりにもあからさまにヨロヨロと重病人モードの歩き方に切り替えた分かりやすさには思わず苦笑い。あんたって人は・・・(泣)。
2003年2月21日
親父の退院の手伝いのため俺も帰省。診断書の病名欄にはたった5文字「高血圧胸痛」とだけ書かれていた。
2003年2月19日
「復刊ドットコム」で「田渕由美子全作品集 I & II」の復刊企画を見つけた。姉と妹に挟まれ日々少女マンガを読みながら育った俺にとって、田渕由美子先生の当時の作品群に対する思い入れには実は並々ならないものがあるのだった。そしてそのページにはさらにステキなニュースが!復刊交渉開始にはまだリクエスト数が足らないが、出版社の倉庫にこの2冊の在庫が若干数発見されたので、とりあえずそれを販売する、との事。このタイミングで偶然この企画を見つけたのもきっと神のお導きでせう・・・、とかどこかのカミにやみくもに感謝つつソッコーで迷わず注文!
国連安保理のイラク問題に関する公開討論会。米英が主張する「武力行使」と、仏独が主張する「査察の継続・強化」とに国際世論が二分する中、日本は米英を支持し武力行使を容認する発言。内容面でもいささか主体性に欠けるものだった。それでいいのか俺ら。
2003年2月18日
韓国、大邱市の中央駅構内で大規模な地下鉄火災が発生、死者120人前後、負傷者140人以上の大惨事となった。
2003年2月16日
さて、風雲急を告げるヨシロー家。急遽帰省中の母から、倒れた親父の病状が報告されました。原因は高血圧で、実は気分が悪くなっただけらしい。ところがこの親父、入院先の病院では「こいつのイビキがうるさくて眠れん」などと同室の患者さんの悪口を大声で言うわ(救急で入って集中治療室にいるので、まわりは命にかかわるような深刻な病状の方々だっているのに・・・。第一うるさいのは自分だし)、看護婦さんに「足の爪を切れ」などと無理言うわ、付き添った母や妹に「もう大丈夫やからお前らは帰れ」と、シッシッと野良犬を追い払うような仕草を見せるわ、担当の医者の問診にちゃんと答えず、叱られれば逆ギレするわ、と傍若無人の大暴れだ。そのたびに妹は「いいかげんにしろ!」とキレて喧嘩を始め、そのたびに母はまわりじゅうの人たちにペコペコ謝って回っているらしい・・・(暗)。
緊迫のヨシロー家!いったいどうなってしまうのか!!??
2003年2月15日
「貴方の素晴らしいサイトを『ネットデザイナー部門』に登録して、広く業界や世間に紹介してみませんか!個人発ホームページを応援するプロジェクト『○○○ ○○○(サイト名)』です。プロダクションや企業も注目していますよ。」て感じのメールが突然届いた。これも「SINKA.NET」さんみたいなクリエイターのリンク集なのかな、と思い、それならと早速登録してみようとしたのだが、そのサイトを訪れてみたところ、なんだか思ってたモノとは趣きがかなり違っていた。
そこは基本的に人気ランキング形式のリンク集で、「ネットミュージシャン」「ネットデザイナー」などの部門も一応あるんだけど、どっちかというと、ネットアイドルを目指す若い女の子たちの自己紹介ホームページの人気ランキングがメインのサイトなのだった。で、そのシステムはこう。まずメンバー登録する → このランキングサイトへのリンク・投票バナーを自分のサイト内に貼る → 貼ったバナーのクリック数を集計してランキングを決める → トップランクの人には何らかの景品なり特典が与えられる、って流れ。どうも「個人発ホームページを応援するプロジェクト」をうたいつつ実は「登録した個人およびそのサイトの応援者たちが(そうとは意識しないまま)このランキングサイトを(バナー貼りによる宣伝&アクセス数増加で貢献する事で)応援しまくっちゃう」ってシステムかと。つまり、各登録サイトを応援するために多くの投票者がバナーをクリックしてソコにおびき出されるって寸法だ。そうやってとにかく大勢の人(アクセス)がドバッと集まる仕組みさえ土台に作っちゃえば、スポンサーからにしろ何処からにしろ、口八丁手八丁と工夫次第で何らかの収入が創出できるワケだしな。・・・いや、同じようなシステムでも、あくまで純粋に非営利(もしくはそれに近い)なランキングサイトなら別段何とも思わないんだけど、登録を促す殺し文句に「プロダクションや企業も注目していますよ」とか言ってる時点で俺の妖怪アンテナはピックピクなのじゃー!・・・とまあこのように俺はひねくれ者ですんで、登録はモチロンやんぴ(笑)。
関係ないけど、昨日がバレンタイン・デー当日だったと今夜気付いた。うー。
2003年2月14日
テアトル梅田にて、フランソワ・オゾン監督の「8人の女たち」を観覧。この映画、カトリーヌ・ドヌーヴを筆頭に豪華女優陣が競演する密室ミステリーなんだけど、かなーりヘンテコな作品。それぞれネジ曲がった愛情の発揮者である8人の女たちの、殺人事件の謎解きをめぐる丁々発止の有り様が、50'S風のプリティーな色彩のファッション&セットに包まれて演じられる。物語は「ズレた」というか「わざと生ぬる〜くハズした微妙な笑いのツボ」を押さえつつサスペンス風味に展開するんだけど、おっかしいのは、その要所要所で各キャラクターの心情吐露の場面として突然挿入される歌と踊りの「歌謡ショー」。「ミュージカル」じゃなくて大衆演劇も顔負けのコッテコテ「歌謡ショー」。で、あっけに取られているうちに波乱の展開から一気に大団円に雪崩れ込んで「今のは何だったんだ・・・」と狐につままれたように、それでもお腹一杯で映画館を去る、そーゆー映画でした。個人的にはイザベル・ユペール演じるオールドミスのオーギュスティーヌにグイグイ思い入れ(涙)。あの「美しき諍い女」エマニュエル・ベアールの悩ましいメイド姿にはクラクラ(奮)。一家のアイドル、カトリーヌ役のリュディヴィーヌ・サニエちゃんはめちゃキュート!ドヌーヴ演じるギャビーと、その旦那(事件の被害者)の妹ピレットとの、なりゆきまかせの濃厚な組んずほぐれつド迫力熟女レズ・シーンには思わず仰け反りまくり。オモロかったす。
俺が梅田でヘンテコ映画に舌鼓を打っている間に、自宅では大変な事態が!イナカの親父から突然「・・・ハア・・・ハア・・・ハア」と言葉にならない苦し気なようすの電話がかかってきたらしい。すわ「脳卒中か」「心筋梗塞か」と、母と妹はイナカに慌てて駆け付けた。一体どうなってしまうのか!
夜遅く2人が親父宅に着いてみると、家中にコンビニ弁当やお菓子の食い散らかしが散乱する中、親父は何くわぬ顔でグースカ寝ていたそう。で、目をさまして本当に母たちが駆け付けたと分かると、その途端、今度はいきなり大袈裟に苦しみ始めたらしい。「救急車を呼ぶか?」と聞いたら「それはいい」と、あくまで拒否する。なんだか大丈夫そうなので「苦しんでいるのは演技なのか?」と問いつめたところ意地になり「それやったら呼んだらええやろ!」と自分で救急車を呼んで、検査入院となったそうです。むー。
どーする?どーなる?ヨシロー家!緊迫の次号を待て!!(←面白がっている)
2003年2月13日
Macromedia社が、MacOS X、Win XPに完全対応した「Director MX」を発表。曲技団の出し物もコレで製作されてるというマルチメディアオーサリングソフト(ゲームやプレゼンテーションその他マルチメディアCD-ROM/DVD-ROM用のコンテンツ、ShockWaveなんかを作れるソフト)の新バージョンだ。実はこのリリースは「Director」使いにとってモノ凄〜く意義が大きかった。というのも、同じMacromedia社に、みんな知ってる有名なWebデザイナー御用達ソフト「Flash」があるからだ。このWeb定番ソフトの成り立ちを紐解くと、もともとは「スマートスケッチ」っていうお絵書きドローソフト(すごく面白い良く出来たソフトで俺も大好きだった)に、やがてアニメーション作成機能が追加されて「Future Splash Animator」ってのに進化し、それをMacromediaが買収して「Future Splash」の名を縮め「Flash」って製品にした。なので最初「Flash」はあくまでグラフィックソフトの延長って感じで、バリバリLingoでスクリプトを記述してゲームだろうが何だろうが自由自在に作り出せる「Director」とは、おのずとその守備範囲の交わる事はなかった。ところが「Flash」もバージョンを重ねるうち「アクションスクリプト」っていう簡易スクリプト言語が搭載されて、簡単なゲームなんかが楽々作れるようになってきた。こうして、今やWeb中心となったマルチメディア・シーンの中での「Director」独自の存在意義が薄らいだ感は拭えなくなり、またMacromediaサイトの製品情報ページの中で「Director」の位置がどんどん隅っこに追いやられていった事もあって、製品の新バージョン開発計画からいつ切り捨てられるのかと戦々恐々としてた「Director」使いは(俺を含め)密かに多かったのだ・・・(涙)。駄菓子菓子!そんな人たちは、この発表を聞いてMacromediaが「Director」にまだまだ十二分に価値を置いていると分かり、ほっと胸を撫で下ろしている事でしょー。いやー良かった良かった。
考えてみれば、本格的に動画・サウンド・高画質の画像などなどを片っ端からガンガンぶち込んでオーサリングし、それをスクリプト言語で自由に制御して高速動作させる、なんて芸当は「Flash」には到底マネ出来ないワケで、現時点で「Director」というソフトが「終わる」という心配はそもそも要らなかったのカモ。ともあれ、これでMacOS Xネイティブ対応アプリケーションもバッチリ作成OKっすわ!で、アップグレード料金いくら?え?・・・48,000円?びよよよーん。(←目玉が飛び出した音)
2003年2月12日
NASAの最新の分析によると「宇宙の年齢は137億歳」で「その形は平ら」で「永遠に膨張を続ける」んだそうだ。また、以前言われていた「宇宙は将来、収縮に転じて潰れてしまう」という可能性はなくなったらしい。宇宙全体の内、星などを形作る普通の物質は4%、正体不明の暗黒物質(ダークマター)が23%、残りの大部分を占める73%はアインシュタインが予言した宇宙定数(ダークエネルギー)なんだと。俺にはまったくワケわからんが、なんしかスゴい事ですな!「暗黒物質(ダークマター)」ってのが、悪の秘密結社の幹部の怪人の名前みたいでカッコイイですな!
2003年2月10日
「トランポランスキー」をようやく公開。ここまで長かった・・・。この出し物、見かけの動作は単純だけど、プレイヤーのクリックの仕方とレベルの判定とか、イベント発生の細かい分岐とか、裏ではイロイロそれなりにややこしく動いてて、そのへんの制御のLingoスクリプトを書くのが意外とホネだった(疲)。皆さんに楽しんでいただけたら嬉すぃー。
「e+」の先行予約で申し込んでた「QUIDAM」のチケットが届く。8/31大阪での最終公演がバッチリ取れました。きゃほー。
2003年2月6日
米国パウエル国務長官が国連安保理で、イラクの大量破壊兵器隠蔽の証拠とする情報を公開。だがどれも状況証拠的なものばかりな上、やや推測も加味されており、決め手にかける。確かにフセイン政権には人間として許せない部分がゴマンとあると俺も思うが、だからといってただこれだけの情報を「確固たる証拠」として他国に先制攻撃を仕掛けるつもりなのかアメリカ・・・(呆)。
2003年2月5日
大麻取締法および麻薬取締法違反で作家の中島らも氏が逮捕された。でも誰も驚かない(笑)。
2003年2月3日
鋭意製作中の月光曲技団の新出し物「トランポランスキー」は、トランポリンでビヨーンビヨーンとただただ飛び跳ねまくるだけのゲーム。飛び手のキャラクターがトランポリン上に着地した瞬間を上手く狙ってプレイヤーがボタンをクリックすると、反動が増してより高く飛び上がる事が出来る、という構造にする。当初はこれでカンタンカンタンと思って作り始めたんだけど、試作段階のモノを実際にプレイしてみて、このゲームのボタン押下の判定処理が実はそんな単純なものではないと初めて気付いた。プレイヤーの「ボタン押しっぱなし」に対処、「連打」に対処、「押すタイミング」による条件分岐・・・etc、とプレイ状況によって考えなくてはならない事が次々発覚。行き当たりばったりに作ってるツケが来て、何度もスコア上のグラフィクの並び変えやLingoスクリプトの書き換えを繰り返すハメに・・・(疲)。この程度のミニゲームを作るにも、やっぱり最初にキチンと設計をしておかないといかんなあ、と改めて思った次第。
2003年2月1日
スペースシャトル「コロンビア」号が爆発事故。全てのミッションを終えて帰還の途中、大気圏突入直後に空中分解を起こして燃え尽きてしまった。予定通りならあと15分で着陸、数十分後には母国の大地に降り立っていたはずの乗組員たちもテキサスの空に永久に消え去ってしまった。スペースシャトルは過去にも数度、耐熱タイルの剥離から事故を起こしていて、今回もそのような事故(それも最悪のケース)と思われる。あの忌わしい「チャレンジャー」号の事故を思い出しながら、ニュース映像の、空に枝を拡げつつ長く白い軌跡を描いて落下していく機体の破片をしばし茫然と眺めていた。
2003年1月30日
「アラビアのロレンス」の名優、ピーター・オトゥール氏(70)が、米映画芸術科学アカデミーから贈られる「名誉賞」を辞退する意思表示をしたらしい。曰く「『名誉賞』はたいへん光栄ではあるが、自分はまだ『現役』で、これからも一般映画部門で受賞する可能性が残されている。この賞の授与は80歳まで延期してもらえないか?」と。さっすが俺の「チップス先生」。カッコイイですな!くーっ(震)!これに対して映画芸術科学アカデミーは「名誉賞授与はアカデミー評議会の全会一致。あなたが一番受賞にふさわしい。どうか3月23日の授賞式に来てください。今、受賞する意思がないなら80歳になるまで、あるいは受賞してもいいと思った時までアカデミーで保管します。」と答えたんだと。イキですな!くーっ(震)!
2003年1月25日
関西の和洋菓子メーカー「タカラブネ」が民事再生法の適用を申請。タカラブネお前もか〜。なんとか頑張って持ちこたえてそして俺の青春時代を支えたあのリーズナブルかつ美味なお菓子の数々を存続してくれなさい俺のために〜(泣願)。
2003年1月24日
映画「千と千尋の神隠し」をテレビ観覧。・・・う〜ん凄い。・・・凄い・・・んだけど、俺にはコレ手放しで「面白い!」とか「あー観てよかった!」とかって感じられない・・・。あの「もののけ姫」よりは数倍良かったけど・・・。最近の宮崎アニメ良くも悪くもかなーりオヤジの説教風味。
2003年1月23日
中国遼寧省の中生代白亜紀前期(約1億3千年前)の地層から、これまでで最も鳥に近い恐竜の化石が見つかった。これは小型恐竜「ミクロラプトル」の一種で「ミクロラプトル・グイ」と名付けられた。前後の脚にそれぞれ羽があり、これを駆使して樹上から滑空したらしい。自力で羽ばたいた最古の鳥「始祖鳥」と恐竜との間がまた縮まった。昨年夏(7月25日のカクレガ日記参照)に発見された最も恐竜に近い鳥類と併せて、もう進化のうえでの鳥と恐竜の境界線は引けなくなってきた感じ。
2003年1月22日
庭にアロエの花が咲いていました。というワケで、<愛機「QV-10」で撮った写真を見る>
2003年1月20日
次回の月光曲技団ひっさびさの新出し物の名前を「トランポランスキー」と決定。それまでは、違う出し物(『錯視効果』を利用した不思議モノ)を作ろうと思ってたんだけど、今日なんとなく眺めてたテレビでロマン・ポランスキー監督の新作映画「戦場のピアニスト」の予告編を見てる時、宇宙からのインスピレーションがビビビ(←(C)松田聖子)と。急遽「トランポランスキー」って名前がまずありきなトランポリンのミニゲームを製作する事に変更となりました。タイトルや内容がこーゆーふうな決まり方をした作品はだいたいトントン拍子に事が運ぶと相場が決まっているので今回は安産決定。もう勝ったも同然ですな。乞うご期待!
大相撲。横綱貴乃花が引退。
2003年1月19日
我が町の駅前には数年前から、このダッサダサの田舎町には取ってつけたように不似合いな、それゆえ破廉恥スレスレかつ陳腐極まりなくも見えてしまう、不幸な裸婦像が設置されている。彼女は常日頃、異性を意識し始める年頃の男の子の好奇の視線や、良識あるご夫人方の嫌悪にも似た視線、夜な夜な繰り出すヤンキーどもの心無いラクガキなどなどに、ただひたすら黙して耐えるだけだった。
だが今日ふと彼女を見ると、心優しい誰かが彼女にステキな贈り物をしたようだ。その姿があんまりチャーミングだったので思わず激写。というワケで、<愛機「QV-10」で撮った激写を見る>
2003年1月18日
タカナシ宅にて大学時代のサークル同窓会誌の編集会議。"ページ余白を埋める無責任イラスト描き作業"&"DTPが当たり前の今となっては懐かしの切り貼り版下作成作業"にしばし勤しむ。夜は梅田に出て新年会。
2003年1月17日
「曲技団」が5年目に突入。そして今日はヨシローの誕生日。こんな俺を祝ってくれるのはお前らだけだ〜、なんて思ってたら、夜、しばらく音信不通で連絡が取れなかった親友が、思いがけなく誕生祝いの電話をくれた。本当にビックリ。公衆電話からかけてくれたようだったんだけど、あんまり突然だったんで何を話していいかわかんないうちに、時間切れになってしまった。ともかく、憶えててくれてありがとーな!元気そうな声を聞けて安心したけど、何か他に話したい事あったんじゃないのかと気にかかってる・・・。いろいろあるが、負けずに頑張ってくれ!俺も頑張るからな!
2003年1月16日
滋賀県豊郷町の町立豊郷小学校の校舎保存問題に続報。最近のヨシローお気に入りキャラ・大野和三郎町長の唱える「現校舎の耐震性の問題」の根拠となっているのは、町の依託を受けた設計業者により作成された耐震診断データだった。だが、このデータ、実は校舎の一部を実測せずに図面からの推測だけで作成していて、11本の柱の直径を5〜10cmも細く見積もっていた事が判明した。関西学院や神戸女子学院にも同じ建築家ヴォーリズの設計による校舎があるが、これらはあの阪神大震災にも耐えており、豊郷小学校も補強さえすれば校舎として充分な強度が確保できるという。さー、この新事実発覚に対して次の一手はどー出る?ワサブロー!
2003年1月11日
「チーズホームページ」のCheeさんと2人で、「4桁数字探検隊(ふたたび)」を決行した。そもそも「4桁数字探検隊」って何なん?って人には上記「チーズホームページ」の「diary-1999」らへんを見てもらうとして・・・、あれから3年半。屋根の数字も当時とはかなり変わってた。時は流れたね〜。♪あの〜時の〜歌は帰らない〜、人の姿も変わったよ〜♪というワケで今回、なんとCheeさんは妊娠8ヶ月のマタニティストとしての参加。そーゆー状態の人と2人連れで町中をウロウロ探索した経験など無いヨシローは「無事旦那さんのもとに送り届けるまでは〜」と、腫れ物を触るような(だって腫れてるんだもん)というかハッキリ言ってかなりビビりバビりブーな及び腰な感じなのだったが、当のCheeさんには自らが腫れ物である自覚などまったく無く、慢性背骨弱々男のヨシローなんかより道中よっぽど元気ハツラツで足取りもスッタスタと軽やかなのだった。そーゆーもんなのか、妊婦。
この日突撃訪問した数字のお宅では、3年半前の訪問を憶えてくれてる人もいたり、いろいろ懐かしくて面白かったんだけど、その凸凹コンビの弥次喜多道中のもようについては、そのうち「チーズホームページ」で発表されるかも知れない「4桁数字探検隊(ふたたび)レポート」に譲る事として・・・。
さて、この日のハイライトは何と言っても「ルーフアート」の作者、余田卓也さんご本人と初めて実際に会える事だった。探索を終えて夜、ヨシロー、Cheeさん、余田さんの3人で新今宮の焼鳥屋さん(ここもルーフアート協力のお宅)に集合して乾杯。ほろ酔い気分になったところでフェスティバルゲート内のモスバーガーへ場所を移し、冷たい物など飲みつつまたダベり。ヨシローはイイ気分で次第に愚痴っぽく(←タチわるい)。Cheeさんは、合流する予定だった旦那さんにケータイでしきりに連絡。だけど彼のお仕事が終わんなくて今回の参加は見送り。残念。余田さんは近頃テレビや雑誌で取りあげられてなんだか有名人なんだけど、気さくでメチャよく喋る、ちょっとキアヌ・リーブス似で背高ノッポな面白い人だった。作品ファイルを見せてもらったり苦労話を聞かせてもらったりと、非常に興味深いひと時を楽しく過ごしました。
ただ、余田さんがこんなヨシローの事まで「アーティスト扱い」にしてくれてしまうのは実はどーにも気恥ずかしくてコソバユかったっす。俺、「アート」って何なのか未だに皆目解んないクチなので(苦笑)。
2003年1月10日
総合格闘技「PRIDE」主催のイベント会社「DSE(ドリームステージエンターテインメント)」の森下直人社長(42)が西新宿のホテルで首つり自殺。報道では一応、動機は女性関係のトラブルではないか、との事。しかし独身42歳の経営者が女性関係のトラブルで発作的に自殺?記者会見で今後の展望&次回興業を語った直後に?謎が謎を呼ぶ展開だ。この前の「K-1」石井代表の不祥事といい、この自殺といい、「格闘技界はやっぱ暗い怖い世界」ちゅうイメージを世間にますます広めるニュースだねえ。・・・っていうかこの話、あんまり裏に首突っ込まないほうが長生き出来そうな気がする〜・・・(震々)。
映画「インデペンデンス・デイ」をテレビ観覧。ツッコミどころ満載でありつつ笑えない、そのあまりのくだらなさに口あんぐり。アメリカばんざーい(涙)。
2003年1月7日
「メグミルク」本日発売。思い切ったネーミングで旧雪印に付いたブランドマイナスイメージをどこまで払拭できるか、お手並み拝見だよ〜。
2003年1月5日
「シルク・ドゥ・ソレイユ」の「QUIDAM」チケット先行予約を申し込み。これだけのために、今後使うかどうか全く分からない「e+(イープラス)」にも会員登録しちゃいましたよ。うまくいけば8/31の大阪での最終公演が取れるはず。楽しみ〜。
2003年1月4日
テレビ朝日「史上空前の闘魂バトルSP」をテレビ観戦。試合のほうは、興行的にはまあ盛り上がってたみたいなんだけど、ヨシロー好みのカードが無くて個人的にはイマイチ燃えられなかった・・・。そんな中、安田忠夫選手を胴絞めスリーパーで落とした新人・中邑真輔選手の技の正確さとキレには目を見張るモノがありました。いや彼、マジで強いよ・・・(驚)。
番組では「新日本プロレス激動の30年」コーナーとして、過去の名勝負&名場面もチョコっと放映されてた。その中であの幻の三重・津大会「前田日明 vs アンドレ・ザ・ジャイアント」の一戦が流される、と聞いて、「ダビングし過ぎで画質ブヨブヨの流出ビデオ」しか見た事ない俺はもんのすごく期待していたのだが、放送が始まってみると、その映像は件の画質ブヨブヨ裏ビデオそのものなのだった・・・。なーんだ。きっと局でオリジナルのテープが見つかって、それの蔵出し映像だと思ったのに。しかも当たり障りの無いような場面しか流さんし!(←それは当たり前)あと「初代タイガーマスク」の勇姿には涙々。あー今見てもスゴいよ佐山さん・・・。対ダイナマイト・キッドの一連の試合はプロレス史に残る永遠不滅の金字塔だよぅ〜んおんおん(懐涙)。
2003年1月1日
お正月です。おめでとうございます。今年はあんまり予想外のテンヤワンヤに振り回される事なく過ごせればいいなあ(祈)。
2002年12月31日
何年かぶりにオンタイムでNHK「紅白歌合戦」を観る。見てるほうが恥ずかしくなるような"あんまりな"演出も健在で、なかなかに楽しかった。
印象に残った歌手の筆頭は中島美嘉。今までヨシロー的には「流行りの『ダウナー系』&『裸足のディーバ風』アイドル歌手」或いは「『濱マイク』の妹(笑)」って認識しか彼女にはなかった。けだるい雰囲気もイマイチ背伸びしきれてなくて「きちんと唄おう」とイッパイイッパイの窮屈な歌だな〜、と(このへん"小柳ゆき"しかり)。だがこの日の「WILL」を聴いて(観て)その認識を改めた。年末スケジュールの疲れかレコード大賞最優秀新人賞受賞の興奮さめやらぬのか、声は裏返るわ音程外すわなんだけど、物凄〜く気持ち入ってて、観客のココロを触るように唄ってた。このコ、こんな風に唄えるんじゃん!と感心しきり。これからもそーゆー感じでグッリグリ唄っていって欲しいよオッチャンは。今後の美嘉チャンに俄然期待大っす。
いっぽう番組としてイチオシの今年の目玉企画は、歌の由来の地(アメリカ)から中継の平井堅「大きな古時計」と、黒四ダムから中継の中島みゆき「地上の星」の豪華ロケ2本立て。これはまあまあの出来。中島みゆき嬢が歌詞忘れちゃったのはご愛敬(笑)。
じっくり最後まで観終わったところでヨシロー審査員からのMVPは、香西かおりの「津軽じょんがら節」に決定!いや〜、民謡専門の「上手く綺麗に唄う」だけの歌手には表現出来ない(かおり嬢も元民謡歌手だが)このキレッキレの歌唱!シビれました〜。
その後続けて「イノキボンバイエ2002」をビデオ観戦。
「高山善広 vs ボブ・サップ(腕ひしぎ十字固めでサップの勝ち)」「藤田和之 vs ミルコ・クロコップ(藤田手も足も出ずミルコの判定勝ち)」など熱いバトルの数々が展開されたが、猪木祭りの本領は何と言っても休憩時間の「猪木劇場」!
第5試合終了後、猪木のテーマ曲が流れる中、花道に祭装束の男衆に担がれた神輿(みこし)が唐突に登場。そこへアントニオ猪木が現れ神輿にまたがる。「奉納 猪木祭」と書かれたのぼりと場内の大猪木コールに煽られながら、扇子を口にくわえた猪木は拳を突き上げつつ神輿に揺られてリングへと向かう。
リングに上がった猪木、何はともあれ恒例の「元気ですかーっ!!・・・元気があれば何でもできる。」を一発。そしてマイクアピールを続ける。「猪木ボンバイエ2002キャンペーンで全国を元気に廻って参りました。暗くなった世の中に明かりを灯す。元気のなくなった世の中にビンタを入れる。オレは怒っている。(ここから夢見るようなポエム口調に→)怒って、怒って、怒ってみろよ。怒りの種が燃えつきりゃ、優しい心の芽が吹いた。」猪木劇場に入ってからは殆ど無意味な言葉の羅列をマシンガンのように一分の隙も無く喋りまくっていた実況の古館伊知郎もここで「還暦の猪木に元気ですかと励まされる若者はどうなってるんだ!」と鋭いツッコミ。もうこの段階で俺の頭は狂いそうです(笑)。そんな俺を尻目に猪木のパフォーマンスは続く。「俺は怒っている。俺はさびしい。俺はスネてる。スネたついでにスネ相撲。俺に勝てるヤツがいたら出てこーい!」と突拍子も無くスネ相撲が始まる。なんでや!なんでやねん!!(説明しよう。「スネ相撲」とは、対面した2人が「体育座り」になって双方の片足を絡ませるように組み、スネを上手くテコに使って相手をひっくり返す、というゲームなのだ)「俺はコレではまだ最強だ!」とうそぶく猪木は、レフェリー島田、グレート・サスケ、紅白仮面(裏番組の紅白歌合戦を揶揄したキャラ)を大人気なく吹っ飛ばした後、浅草キッドとともにリングインした"そのまんま東"にビンタ一発! ・・・と、ここでリング内の空気が変わった。素人風の女性が1人リングに上り、果敢に挑戦してきたのだ。MC古館も彼女が何者か知らないらしく「おーっと若い女性が・・・」なんて言ってるが俺は知っていた・・・。彼女こそ「忍風戦隊ハリケンジャー」の悪役「フラビージョ」役のアイドル、山本梓ちゃんである事を!場内のほとんど誰にも芸能人であると気付かれないままニコニコと猪木との対戦に赴くフラビージョ。がんばれ山本梓!いろんな意味で!猪木、しばし嬉しそうに脚を絡めてスネ相撲を満喫した後、なんだかヤらしい笑みを浮かべつつ、いかにもオヤジっぽくワザと負けてあげる。むー(羨怒)。最後に本気モードに戻った猪木はマーク・コールマンを返り討ちにして試合終了。ここからはいつもの「開運ビンタショー」に突入するのだが、突然「俺にブン殴られたいやつがいる!野村沙智代ー!出て来ーい!」とリングサイド席にいた野村沙知代を指名。リングに呼び込むやビンタ!沙智代、負けじとお返しのビンタ!猪木マジ顔でトドメのビンタ!この日一番といっても良い盛り上がりを見せる大観衆!もームチャクチャですワヤクチャと言ってもいいでしょう(泣)。猪木の辞書にはきっと「不可能」だけでなく「脈絡」という文字も無いに違いありません。お腹いっぱいお腹いっぱい。あー面白かったと。
2002年12月28日
なんとなくテレビを見てたら「世界初のクローン人間の女児を誕生させた」とのニュースが!ホンマかい!とよくよく聞いてみたら、そう記者会見で語ったのは「ラエ○アン・ムーブメ○ト」っていう宗教団体。なーんだ。ここって、新聞のページ下部に「私は宇宙人と会って(以下うんぬん):ラ○ル 著」みたいなヘンな書籍広告よく出してる目立ちたい系の宗教だよねえ。たはは、限りなくマユツバっぽい・・・(呆)。
2002年12月27日
深夜テレビで映画「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」を観る。なかなかよく出来た映画で面白かった。初めてトム・クルーズを格好イイ!と感じた(笑)。ブラッド・ピットも良かった。萩尾望都の「ポーの一族」がまた読みたくなっちゃったよ。
2002年12月24日
このごろ、躊躇なく戦争へと進んで行くように見える世界が、どうにか思いとどまって、みんなが少しでも平和方面に向かおうとしてくれる事、ひとりひとりの生活や心に平穏が訪れますようにと祈りながら、今年も小さな箱に入った思い出のクリスマスツリーを本棚に飾りました。 Merry Christmas !
2002年12月23日
滋賀県豊郷町の、町立豊郷小学校の校舎建て替え問題が盛り上がっている。何が何でも新校舎建設を決行したいワンマン町長と、歴史的建造物として価値の高い旧校舎を守らんとする住民有志とのなりふり構わぬ闘いの様相に突入。豊郷小学校は有名な建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズの作で、調べてみると確かにこの旧校舎はとても美しく、細かい部分にまで気持ちの行き届いた暖かみのある設計であり、俺個人としては「これはぜひとも残して欲しいぞ〜」と思わせる建物だ。
駄菓子菓子・・・この件で、違う意味で俺のココロを激しく捕らえたのが、町長・大野和三郎氏。見たからにダークなフォースに満ち満ちたかのようなその面構えからしてタダモノではない。ていうか「最高ですかー!」でおなじみの足裏占いイカサマ宗教「法の華三法行」の福永法源代表にソックリ生き写しだ。反対派住民の座り込みやマスコミ取材陣を物ともせずになりふりかまわず工事を強行(その時、小学校の向いの建物の2階の窓に陣取った彼が、自ら業者を指揮し、激を飛ばす姿が目撃されているらしい:笑)し、やがて報道などでこの問題が広く世間に知られるようになって大津地裁から解体工事の差し止め仮処分まで出ても「これは解体工事ではなく引越しだ」と作業を続行。いったい貴方は何故それほどまでに新校舎建設の工事を、狂おしいほどに工事を、何としても工事を行いたいのか?或いは行わねばならないのか?イヤ「旧校舎は老朽化しているため、耐震構造や最新設備を備えた新校舎が必要」という主張は判りますタテマエとして。だが俺が知りたいのは「ホントの理由」は何なのか?という事なので。とにかく大野和三郎、いろんな意味で超ド級である。俺の中ではあのジー・オーグループ大神源太社長以来の新たなスター誕生の予感。
・・・それはそうとその髪型なんやねん!!
2002年12月22日
東京書籍による中学教科書の「雪国はつらつ条例 → 雪国はつらいよ条例」誤記問題に愉快な続報が!この問題で抗議していた中里村だが、この騒動を逆手に取り、全国から「つらいよ」なエピソードを募集して、「雪国はつらいよ」「農山村はつらいよ」「都会はつらいよ」「その他」の4部門からなる「つらいよ常例(条例)」ってのを作るらしい(笑)。で、応募作品の内、優秀賞には「平成15年クリスマス初雪プレゼント」、最優秀賞には「とれたて山菜ジャンボ詰め合わせセット」が贈られるんだと。イヤお見事な切り返し。物事万事こーゆー風でなくちゃねえ。中里村に拍手ー。
スケート全日本フィギュア女子シングル。ジュニアの台頭が目覚ましい中、それらの選手を押さえて優勝したのは村主章枝選手。この日はジャンプで無理をせず表現力で勝負したのが良かった。確かに高難度のウルトラCジャンプは無いし、このところやや不安定ではあったけど、彼女の「想いの伝わる演技」はどんどん良くなってきてて、感動的で心に残る。スポーツの試合としては勝てない事も多いけど、プロの表現者向きなんだろうね。「記録」より「記憶」、「アスリート」より「アーティスト」指向っていう。
男子シングルは本田武史選手が、4回転こそ失敗したものの、アイリッシュダンスをモチーフにした新プログラムを華麗に披露して堂々の優勝。こと国内大会ではもう横綱相撲というか貫禄漂ってきました。
2002年12月21日
ついに我が家にADSLが開通した。ウチはなんと最寄りのNTT基地局から4.7kmも離れていて、従来の「フレッツADSL/1.5M/8M」の両プランではサービス提供エリアにすら入っていなかった。しかし新設の「フレッツADSLモア/12M」ではエリアが6kmまで広がったので、晴れて我が家もADSL接続の恩恵を受けられる事となったのだ。なにしろ人に聞けば「ADSLにしたら、重かったWebページがパッと一瞬で表示された」「ADSLにしたら、丸1日がかりだったダウンロードも数分でOKだった」「ADSLにしたら、恋人が出来た」「ADSLにしたら、背が伸びた」「ADSLにしたら、不治の病が治った」「ADSLにしたら、庭から石油が出た」と、イイ事づくめなので、俺の心は天高く舞い上がりさえずる春のヒバリのごとく、いやがうえにも盛り上がりまくっていたのだった。そして開通日の今日。チョー高速アクセス12Mbpsでブロードバンドの大海原へと船出すべくネットに接続してみたところ!・・・今まで(ISDN)とあんまし変わんない・・・?イヤちょっとは速いけど・・・こんなモンなん・・・?早速ネット上のいろいろな転送速度測定サイトで調べてみたところ、だいたい800〜900Kbpsの速度で、ウチは12Mプランにも関わらず、1.5Mプランの平均速度にすら及ばないと判明。やはり最寄り基地局から4.7kmのハンデは大きかったのか〜(涙)。
2002年12月20日
大学時代のサークルの同窓会誌に掲載するため、「なぞの鋼鉄巨人」に続く第2弾・空想科学バカショートショート「ナン・ジャイナーB」を書き上げる。架空の70年代テレビまんが番組の、声のドラマ入り主題歌ソノシート(俺と同世代のテレビっ子には懐かしい、あの「朝日ソノラマ・パピイシリーズ」)のジャケット本という体裁だ。我ながら目眩がするほどアホらしい内容に仕上がって、とても満足。
お薦めしないが、どーしても読みたい酔狂な人はこちらから → 「ナン・ジャイナーB」PDF版を読む
(*ファイルを開く時のパスワードは「 nanja 」の半角5文字だよ)
プロボクシング、WBAとWBCのダブル世界戦をテレビ観戦。
まずはWBA世界ミニマム級タイトル戦「星野敬太郎 vs ノエル・アランブレット」。33歳4ヶ月で国内最高齢の王座奪取記録に挑んだ前王者・星野選手だったが、果敢な攻めも詰めをあと一歩欠き、0-2の僅差判定で王者アランブレット選手に敗れる。星野さんって普段は町の食堂の「現役トンカツ職人」なのだ。現役王者だった時でも板場でトンカツ揚げてたらしい(笑)。でも、そういう人にもう1度王座に返り咲いて欲しいよなあ。そしてもう1度、俺たちオッサン入り口世代に夢と勇気を!
次にWBC世界スーパーフライ級タイトル戦「徳山昌守 vs ジェリー・ペニャロサ」。強気に攻めていく徳山選手と、それを柔軟な防御でしのぐペニャロサ選手。互角の展開で回を重ねるが、やや焦りが感じられる徳山が頭を下げて突っ込み、バッティングする事数回・・・。パチキか?これはパチキなのか?とにかくこれでペニャロサは顔面数カ所から出血、徳山自身も右まぶたを切り、悲惨な流血試合となってしまった。勝負は僅差判定の0-3で徳山が辛くも王座を防衛した。けどイマイチ煮え切らない試合だったにゃあ(涙)。
韓国の16代大統領が、与党・新千年民主党の盧武鉉(ノ・ムヒョン)氏に決まる。
2002年12月19日
プロ野球、元巨人の松井秀喜選手の移籍先は、大リーグ、ニューヨーク・ヤンキースに決定。良かったねー。
2002年12月17日
今年2月に発行された東京書籍刊行の中学の教科書「新しい社会 公民」に、けったいな誤記問題が見つかった。「地方の政治と自治」という章の各地のユニークな条例を紹介するコーナーで、「雪国はつらつ条例・新潟県中里村」とすべき所を、「雪国はつらいよ条例・新潟県中里町」と書かれてあった。間違え方に、この部分の著者の「雪国なんやからきっと辛いはずや」っちゅー思い込みというか決め付けがついつい迸り出とります。なんとなく気持ちは分からんでもないけども(笑)。あと、もひとつ地味〜に「中里村」を「中里町」にも間違えてるしダメダメ。中里村のみなさんはもーふんだりけったりだー。
2002年12月16日
オランダで行われたフィギュアスケート、ジュニアGP 女子シングルにて、安藤美姫選手が女子では競技会史上初の4回転サルコーを成功させた。本人曰く「技術的には3回転半のほうが難しい」んだそうだが、4回転サルコーなんて男子でも世界に数人しか成功させてない超高難度ジャンプだよ。期待の新星がいきなりやってくれました。これはスゴイ!
映画「ハリー・ポッター」シリーズの主人公役、ダニエル・ラドクリフ君が新作PRのため来日。もー日本中どこへ行っても黄色い歓声が飛びまくり。なんだか映画でのイメージより大幅にオトナだった。ていうか映画観てないけど。ていうか本も読んでない。イヤ見ればきっとそこそこ楽しめる面白い物語だって分かってるんやけど、どうも「俺の好きなモノと似て非なるモノ」感が強くて手を出せずにいる。
2002年12月15日
ボクシング「辰吉丈一郎 vs セーン・ソー・プルンチット」をテレビ観戦。もう何回目になるか忘れちゃったが、辰吉選手がまたまたカムバックを果たした。元世界チャンプ同士の対決という事で話題性も充分なのだが・・・。3年4ヶ月ぶりの緊張のせいか、試合前、辰吉がリングインする時に足を滑らせてリングサイドの机の上に転んでしまうハプニングが。・・・大丈夫か・・・?ふとよぎる不安の中、試合開始。相手のセーンは稽古不足なのか、序盤からなんだか動きがぎこちない。地元大阪のファンの熱狂的な応援に後押しされた辰吉が終始堅実に攻め続け、5Rに左フックからの猛攻でセーンをロープに釘付け、そして6Rには再び左フックからの連打を見舞ったところでレフェリーストップ。かつてトレードマークだった「ノーガード戦法」や「腰をくねらせての挑発」も観客にサービスする余裕ぶりで、辰吉が「絶対不利」の前評判を覆すTKO勝ちを奪った。試合後は「勝つのは当たり前のことなんで」「みなさん、ええクリスマスとええ正月を迎えてください。来年も暴れさせてもらいます!」と、いつもの辰吉節で会場を沸かした。しかしこの勝利、セーンの衰えぶりに助けられた感も否めない。何度でも這い上がるその執念には脱帽だけど、今日の試合を見る限り世界チャンプへのカムバックは相当厳しいのも確か。頑張れ浪速のジョー!(←「浪速の」とかいっても実は岡山出身だったり:笑)
2002年12月14日
東京で、中国雑技団の選抜トップスターによる公演「ゴールデンライオン」が始まった。何でもコレ、日中国交正常化30周年の記念イベントなんだそう。うう、見たいっす!でも東京とはチト遠い・・・(涙)。日中国交正常化といえば、そうか〜、カンカンとランランが上野に来たのはもう30年前の事なのか〜(老)。
ここで「中国雑技団」に関するネタをひとつ(以下ドキュメンタリー↓)。
中国は河北省の南部、天津から車で2時間あまりの所に「雑技の故郷」と呼ばれる物凄い村「呉橋(ウーキャオ)」があるのを貴方はご存知か。そこは雑技界のリーダーを多数輩出してきた中国ではとても有名な村なのだ。訪れる旅人は皆、そのへんに居るごく普通の村人が自分の目の前で突然豹変して超絶技巧を事も無げに披露するさまに驚愕するという。(超絶技巧ほんの一例:ジャグリング/一輪車/アクロバット/動物使い/手品/皿回しよろしく熱湯入りの壺を回す/ボールを飲み込んでは吐き出す/腹をまな板にして包丁で野菜を切る/鉄の鎖を身体に巻きつけ胸を膨らませて鎖を切る/鼻から針を入れて目から出す/etc)なぜそれほどまでに村人全員雑技団状態なのか?じつは呉橋では千年を越える昔から「農閑期になると芸を売り歩く旅に出て春の種まきの頃にまた舞い戻る」という生活を続けてきたからなのだ。歴史の賜物である。
また呉橋には公立の「呉橋雑技専門学校」もある。1985年に設立されたこの学校は6年制で毎年の募集人数は60人。これに対し中国全土からこの狭き門を目指して3000人近い子供たちが受験に訪れるそうだ。毎年60人が
入学しても全校生徒はいつも130人ほど、という事だから、卒業を待たずに夢破れて辞めていく人数の多さが判る。さて、晴れて合格でき生徒になると、プロとして通用する個人技と団体芸の最低2つずつを在学中に完璧に習得すべく、10kmのマラソンと15分間の倒立が毎朝の準備体操、という厳しい訓練の日々が始まる。 入学してからの2年間は延々と基礎鍛練(股割りなどの柔軟と倒立)だけしかやらせてもらえない。 午前中ずーっと逆立ちしてる事なんて日常茶飯事なのだ。こうした毎日に落伍せず無事6年生に勝ち残った生徒は、実習としてやっといろいろな公演(海外も)にも出演できるのだそうだ。
2002年12月13日
北朝鮮が、'94年の「米朝枠組み合意」以来凍結していた原子力発電所などの核施設について「稼動と建設を即時再開する」と表明。うぅーこんな時に。ていうか、こんな時だからか。一応タテマエ上は「現在不足している電力供給のため」って事だけどなあ(怖)。
2002年12月11日
スウェーデンのストックォルムでノーベル賞の授賞式が開かれる。物理学賞「カミオカンデ」の小柴昌俊教授は堂々かつ飄々と、化学賞の田中耕一氏は緊張の面持ちで。物凄い勢いの日本マスコミの取材攻勢にはスウェーデンの方々も苦笑(恥)。もーいいかげんに田中さんを「タマちゃん」扱いするのはやめなちゃい!
2002年12月10日
日本産業技術教育学会というトコロが主催する「エネルギー利用工夫作品コンテスト」で、兵庫県の高校1年生、青木香織さん(15才)が中学生の時から独自で開発してきた二足歩行ロボット「THE SPRING ROBOT すすむ君」が文部科学大臣奨励賞、つまり一等賞を見事受賞。アルミで出来たこのロボットは、高さ約70cm、重さ約2kgで、胸部にあるただ1個の電動モーターからバネやワイヤを使って、膝、足首など複数の関節を動かす仕組み。まだ完全な自立歩行はできず、人が手を引っぱるなどの補助が必要だが、人間の歩行動作に近い動きをするという。制作費約2万円 というこのロボットは、審査員の大学教授や技術者を「ここ数年で最も驚いた作品」「モーター1個のシンプルな構造でここまでできるのか」「人の筋肉をまねる発想はホンダのASIMOより進んでいるかも」「実用ロボットに応用がきく」などと唸らせたという。ホンマ凄いっすね!香織ちゃんにはもーこのまま「天才美少女マッドサイエンティスト」(←なぜに「マッド」)への道を突っ走っていただいて、ゆくゆくはアンドロイドやらサイボーグやら改造人間やらバイオニック・ジェミーやらそんなような物をバッツンバッツン作りまくってもらいたいもんっすね!
プロ野球、大リーグ帰りの伊良部秀輝投手は結局(というかやっぱり)阪神タイガースへ入団を決めた。
2002年12月8日
人気格闘技イベント「K-1」の企画・運営会社「ケイ・ワン」が2年間に1億数千万円に及ぶ多額の法人所得を隠していたとして、空手の正道会館館長でもある石井和義社長が脱税の疑いで立件された。これ以前にも同じ手口で数億円の脱税疑惑があるらしい。それにしても昨日の今日で(情無)。聞けば前々から本人には事情聴取が入ってたっていうから、せめてイベントが終わるまで、って捜査当局の計らいなんかねえ?・・・あ、一番目立つタイミングで、って事か(笑)!
2002年12月7日
「K-1 GP 2002」テレビ観戦。
注目のカード「ボブ・サップ vs アーネスト・ホースト」が1回戦で早くも実現(もったいない)。試合は、ガードを固めて猪突猛進のサップ選手と、闘牛士のように身をかわしてローを蹴るホースト選手という展開。前の試合とは違い、思うように間合いを詰め切れないサップ。そのレバーにホーストの左ボディが決まる。動きの止まったサップに再度ホーストの抉るような左レバーブロー!サップは崩れるようにダウン。カウント8でなんとか立ち、手数を出して逆転を狙うサップだが、いかんせんパンチが大振り。冷静にさばいてワンツーから更に左ボディを叩き込むホースト。サップが苦し紛れに不格好なハイキックの牽制を見せたところで1R終了。ゴングに救われたサップ。
2Rも突進あるのみのサップにパンチを繰り出すホースト。しかしガタイも精神も頑丈なサップは後ろに下がらない。意地になったかホーストの攻めがやや荒くなったところで、サップが起死回生の強引な右フック(←ホールディングの反則っぽい)を無理矢理ねじ込んで打ち合いの展開へ。アッパー→左フック→左フックというサップの連打に張り合ってホーストも左フックを返した時、ドンピシャのタイミングでサップの右ストレートがカウンターで炸裂!吹っ飛ぶホースト(比喩的表現ではなく本当に吹っ飛んだ)!場内にどよめきと悲鳴が巻き起こる。根性で立ち上がりKOこそ逃れたホーストだが青息吐息状態。サップはここぞとばかり間合いを詰め、クリンチ状態からアッパー、フックをブチ込む。が、必死でこれをしのいだホーストがテクニシャンのプライドを賭けたような逆襲のパンチ7連打!そしてトドメの左レバーブロー!・・・しかしサップは倒れない!最後の力を使い果たしたようなホーストを体圧でコーナーに押し込んだサップは、押し付けるように体重をのせた左右の重たいパンチをドシンドシンと連打!パンチが当たる度に右へ左へと体を飛ばされるホースト。ガードが徐々に打ち砕かれてついにスタンディングダウン。2ダウンを喫し、ここで試合終了、サップ選手の大逆転TKO勝ちとなった。いや〜それにしても常識や理屈を超越した物凄い男だわボブ・サップ。この試合のド根性ファイトぶりには震えが来た。マジ感動したっす。
さて、死闘の末に劇的な勝利をもぎ取ったサップだったが、試合後にはセコンドに肩を支えられダメージと酸欠でボロボロ。ほどなく右手拳中指骨の異常による2回戦の棄権が報告され、代わりにホーストが2回戦にコマを進める事となった。ここからホースト選手の「メイク・ミラクル(恥:(C) 長島茂雄)」が始まった。2回戦「レイ・セフォー vs アーネスト・ホースト」は、共に激しい1回戦を闘ってダメージの残る選手同士の対戦。セフォー選手は1回戦の対ピーター・アーツ戦で受けた右足のダメージが大きく、ホースト選手の巧みなローキックの前に沈黙。最後はセフォーが出した右ローが、ホーストの脚でのガードに逆に砕かれて1R1分49秒自爆KOとなった。なんか幸運の女神がそのへんで見てる感じ。
準決勝第2試合はド迫力怪獣対決「マーク・ハント vs ジェロム・レ・バンナ」。1Rから派手に打ち合う2人だが、強引な攻めのハント選手に比べ、冷静な対応を見せるバンナ選手が次第に優勢に立つ。2R、試合が接近戦になり、ハントの右アッパーからの逆襲のラッシュでバンナが鼻血。だがバンナはすぐにヒザとローを中心に再び主導権を取り返す。バンナの右ハイが顔面に決まるが倒れず反撃するハント。3Rは、距離を取って攻めるバンナに捨て身の前進を続けるハント、の展開。バンナは「俺はパワーだけじゃない」とばかりにテクニカルな攻めを見せる。そして細かいパンチ連打からの左ハイ、左ロー、左ストレート!だが、ハントはこれでも倒れない!試合終了10秒前、バンナが出したとどめの右フック・・・。これを待っていたか、ハントは渾身の力を振り絞ったような強烈な右フックを合わせた。・・・一瞬後、リングに倒れていたのはバンナ。慌てて立ち上がったところで試合終了。判定で勝利はモノにしたバンナだが、決勝に向けて大きなダメージを負った。しっかし、ハントのあの打たれ強さはやっぱし尋常じゃないっすわ(怖)!
そして決勝は「アーネスト・ホースト vs ジェロム・レ・バンナ」。一度は消えたチャンスの糸を手繰り寄せたホースト選手と、今回こそは優勝し「万年優勝候補」の異名を返上したいバンナ選手の因縁対決。この試合はクリンチが多く両者流血でヘトヘトのなんだか凄惨な展開に。2R、バンナは思うように自分の距離を取れず、次第にホーストのローキックが効き始める。3R、左右パンチ、アッパー、フックと変幻自在の攻めを見せ翻弄するホースト。ハイキックをブロックしたバンナが痛そうな顔をして背を向けスタンディングダウンを取られる。突然まったく動けなくなったバンナ。続けざまに2度のスタンディングダウンを取られ、3ダウンで試合終了。ホースト選手が見事4度目のGP制覇を成し遂げた。試合後の情報では、バンナ選手はハイキックの防御の際に左腕肘周辺を粉砕骨折していたらしい(痛)。1回戦から決勝まで、次々と相手が自滅する形での優勝を勝ち得たアーネスト・ホースト。実力もさる事ながらその「運」もまた強し!
2002年12月4日
米軍がイラク攻撃に踏み切った際の支援として、政府は、海上自衛隊のイージス護衛艦をインド洋に派遣する事を決定。いろいろな意味で心配な今日この頃。
2002年12月3日
サッカー「トヨタカップ」クラブ世界一決定戦「レアル・マドリード(スペイン) vs オリンピア(パラグアイ)」をテレビ観戦。試合は超スター軍団レアル・マドリードが終始圧倒的な個人技の強さを見せつけ、2-0で全く危なげ無く勝利。しばし豪快かつトリッキーな個人技の数々に酔いました。最優秀選手は、前半に華麗なゴールを決めたロナウド選手に。この前のW杯では残念ながら殆ど活躍を見られなかったジダン選手も大活躍だった。しっかし、それにしてもレアル強過ぎ。
2002年12月2日
ウチでちょっとした騒動が起こった。妹が職場で「近所でニセ一万円札が出回っている」というウワサを聞いて来たのだ。なんでもそのニセ札は、
(1)本来は「茶褐色」であるはずの番号部分の印刷が「黒」になっている。
(2)本物には「パッと見では一本のラインに見えるが、よく見ると肉眼では読めない
ほど細かい文字で『NIPPON GINKO NIPPON GINKO NIPPON・・・』と印刷されて
いる部分」があるのだが、この部分が単なる一本の実線で描かれている。
(3)透かしはちゃんとあり、一見しただけでは判別不能なほど巧妙。
という特徴があるのだという。で、母がさっそく財布の中の一万円札を調べてみると、上記ニセ札情報に該当する一万円をイキナリ2枚も発見!慌てて家じゅうの現金を引っぱり出してチェックしてみたところ出るわ出るわ。全ての一万円札のうち、なんと半数以上がニセ札ではないですか!一瞬にして家族全員顔面蒼白に。妹などは「みんなには黙って、早く使ってしまおう!」と恐ろしい事を言いだす始末。ヤツは根っからのワルだ・・・(憤)。
それにしても、あまりにもニセ札率が高過ぎやしないか?と思った俺は、あれこれわめきたてている母と妹を横目に、インターネットの財務省印刷局のサイト(注:2003年4月より独立行政法人国立印刷局となったようです)で一万円札の情報を調べてみた。すると・・・。
結論から言うと、それらはニセ札でもなんでもなくて、正真正銘本物の一万円札だったのだ。お札の番号は129億6千万枚目で全ての番号を使い切ってしまうため、印刷の「色」を変えてまた最初の番号に戻るんだそう。これが上記の情報(1)に対する答。情報(2)の答えは、ニセ札の製造をより難しくするために、元は一本線で描かれていた部分を、ある時期からこの「NIPPON GINKO・・・」のマイクロ文字の印刷に変えたとの事。情報(3)の答えは・・・これはモチロン本物なので言うまでもなし(笑)。・・・てなワケで、そのへんのもうちょい詳しい話(写真入り)はコチラにて。
ともかく、有り金の半分以上がニセ札でなくて俺たちバカ家族もひと安心。結局、被害は一銭も無く(←あたりまえ)、オカンが慌てて引っぱり出したヘソクリがバレただけで済みました。皆さんもニセ札やニセニセ札情報(←ややこしい)にはくれぐれも気をつけよう!
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