2002年5月31日
日韓共催によるサッカーワールドカップがいよいよ開幕。NHKの開会式中継を観てたんだけど、グラウンドで行われているアトラクションというかセレモニーをブツ切りにして、中継ブース内の映像ばっかし流してて閉口した。ゲストの木村拓哉さえ画面に出してれば視聴率稼げると思ったんでしょうな。まあそうやけども。アナウンサーの浮き足立ち具合もなんかヤな感じで、もっとじっくり淡々と中継して欲しかった。面白そうな開会式だったのに〜。音声は浮き足立ちトーク垂れ流しでもいいから、映像だけでもアトラクションの様子を映し続けるとかよ〜(腐)。「衛星放送で見りゃいいじゃん」とおっしゃるかも知れないが(誰が)、自慢じゃないが俺ん家ではいまだに地上波しか見られん!
開幕試合「フランス vs セネガル」は、指令塔ジダン選手を欠くフランスが初出場のセネガルに0-1で敗れる波乱。前回優勝チームが苦しいスタートを切った。
2002年5月29日
NASAが、火星表面の比較的浅い地下に大量の氷が存在する事が判明したと発表。地表の層の総重量の20〜30%を氷が占めているらしい。未来には海復活も可能かも知れないなあ。なるか、第二の地球(なっても住みたくないが)!
2002年5月28日
母が、庭で巣から落ちたと思われるスズメの子を拾ってきた。見たところ大きな怪我などはしていないみたいだ。とりあえず小さいダンボール箱の底に使い捨てカイロを置き、その上にタオルを敷いて巣箱を作る。昔、文鳥のヒナを育てた時の事を思い出して、ストローと割り箸を削った簡易エサやり器を作り、それを駆使して、ゆで玉子をつぶして練ったエサを食べさせようと試みた。だが怯えているのか、スズメっ子は目と口を「い〜」と一文字に固く結んでダンコ拒否する。なんとか食わせないと餓死するので(それとだんだんイライラしてきたので:笑)、しまいにはギュウと体を握って押さえつけ、無理矢理くちばしをこじ開けて少しづつ流し込んだ。ひと口食べてしまえば後はわりとすんなり自分からくちばしを開けて食べてくれたのでホッとする。いつか放鳥して野生に復帰させるまでの間、当分コイツとの付き合いが続きそうだ。落ちて可哀相なヤツなので名前は「中村チュン輔」。(←うそ)
・・・というワケで、<愛機「QV-10」で撮ったコスズメ写真を見る>
防衛庁が、情報公開法に基づいて公開請求した人の身元などを内部閲覧用にリストにまとめていた事が発覚。このリストには、生年月日、職歴、活動歴、思想信条などなど、公開請求書類に記入しない個人情報まで詳しく盛り込まれている(例:「元自衛官」「反戦運動家」など)。自衛隊独自に情報の請求者1人1人を身辺調査していたものと思われ、これはどう考えても組織ぐるみだろう。やがて始める思想統制への、危険分子の洗い出しなのだろうか。情報公開をエサに使って自分達に都合の悪い人間をおびき寄せ、返り討ち的に秘密調査していた訳か。コワい時代になったもんだ。・・・なんて、こんな事書いてたら俺もリストに加えられて何書かれるかわかんないや。くわばらくわばら(怒)。
2002年5月27日
ボードビリアンの坊屋三郎さんが逝去。俺たち世代には「クイントリックス」テレビCMでおなじみのあのおじさんだ。往年在籍した、川田春久率いる「あきれたぼういず」は当時としてはモダンなジャグ・スタイルのコミックバンドで、このへんの年代の歌をレパートリーとしてた俺も、時々リクエストをもらって唄ってた。♪地球の〜上に朝〜が来る、その裏側は〜夜〜だろう♪合掌・・・。
2002年5月26日
「F1モナコGP決勝」「K-1 WORLD GP 2002 in パリ」の2連チャン中継をフジテレビの思うツボ的にテレビ観戦。
「F1モナコGP決勝」は、予選が調子良くて期待されてたトヨタチームが2台ともリタイア、ジョーダンの佐藤琢磨選手も一時は9位に浮上したものの24周目にスピンしてリタイア。この時点で日本勢はいなくなっちゃった。優勝したのはD・クルサード(マクラーレン)。M・シューマッハ(フェラーリ)は2位だった。モナコの市街地公道コースは、なんとなくレースを眺めているだけでも心楽しくて気持ちいい。でもドライバーにとっちゃコレ、大変なんだろうなあ。
「K-1 WORLD GP 2002 in パリ」。初めてフランスで行われるK-1は、地元バンナ選手のための大会となった。
メインは「ジェロム・レ・バンナ vs マーク・ハント」の怪獣対決リターンマッチ。前回の対戦でハント選手に派手にKOされた反省からか、相当身体を絞り込んで(それでも他の選手よりかなりゴツい)登場したバンナ選手。軽くなった分スピードアップされ、パンチ、キックのコンビネーションもスムーズになった。以前の「パワーを見せつけて圧勝しよう」という態度も見えない。こうなるとハント選手はリーチが無い分だけ苦しいが、ひるまず真っ向から激しい打ち合いに応じていった。2R開始早々、バンナ選手の放った右フックがダウンを奪う。ハント選手がパンチでダウンするのは初めての事だ。これでKOかと思われたがハント選手は立ち上がり、ここから反撃の猛ラッシュをかけて、逆に右ストレートでダウンを奪い返した。驚きと両者への応援のものすごい歓声の中、この後はおたがいパンチに酔ってヘロヘロになりながらの息詰まるような「どつき合い」へ。このどちらがいつ倒れてもおかしくない状況は前回の試合と同じでハント選手の勝機・・・。だが、勝負を決めたのは前回には無かったバンナ選手の「キック」だった。パンチ連打からつないだ左ハイキックにハント選手はロープまで吹っ飛んでダウン。驚異的な打たれ強さでハント選手が立ち上がったところでゴング。だが、もう余力は残っていなかった。2R終了後にセコンドからタオルが投入され、バンナ選手のTKO勝ち。地元でイイとこ見せて大喜びのバンナ選手はいつもの不良キャラは封印して(笑)ベビーフェイスの笑顔だった。
あと、この日驚いたのは「アーネスト・ホースト vs ステファン・レコ」。このところ絶好調の強さだったレコ選手。テクニシャン同士の好勝負が見られるかと思っていたが、ゴングが鳴るやホースト選手はレコ選手にまったく何もさせず一方的に打ちまくる怒涛の攻め。あっという間に2度のダウンを奪ってKO勝ち。三十路に入ってもますます強くなっていくアーネスト・ホースト、恐るべし!
今日はいろんな「グランプリ」と銘打たれた大会が開催されたワケだが、そんな中「ベイブレード世界大会」も開催されていたらしい。こんなコマのおもちゃに果たして「世界」なんてスケールの広がりがあるのか?とか思ってた俺だが、それはどうやら認識不足らしい。この大会には日本のほか韓国、香港、台湾、米国の代表選手が参加するんだって。すごー。
2002年5月25日
梅田スカイビルにて、学生時代の友人たちと「人体の不思議展」観覧。プラスチック加工した本物の人体標本の展覧会だ。全身標本、臓器の標本、切り開かれた標本、輪切りの標本、胎児の標本などなど・・・。今回で3回めの開催となるこの展覧会、なぜかその度に見に来てしまうので、もう俺には顔なじみの標本さんたちがいっぱい。普通なら生前は絶対に会う事がないドイツ人の標本さんと、亡くなってからウン十年の時を経て、遥か遠い日本の地でこうして3回もお目にかかれるのはとても不思議な感覚なのだった。今回は初対面の中国人の標本さんたちも多数いて、プラスチック加工の標本以外にも、数百年前の中国の地方の知事さんのミイラが来日してました。
あと、展示室の一角にある「脳の重さを体感しよう」というコーナーで、本物の脳みその標本を持ってみた時のリアルな重さとしっとりとした感触がしばらく手から消えなかったよ・・・(寒)。
夜は駅前第3ビル地下の飲み屋で一杯やった後カラオケで大騒ぎ。ええトシした男ばっかしの異様な団体で、昔の子供番組の主題歌ばっかし選んで唄いまくリマクリスティー。うろ憶えで唄えるだろうとリクエストを入れた「宇宙猿人ゴリなのだ」の歌詞がメチャクチャふるってて大爆笑。俺は笑い過ぎで腹筋がツッてしまって悶絶。< その歌詞をコッソリ見る >
2002年5月22日
国会・衆院予算委員会で、中国・瀋陽の領事館駆け込み事件に関して「民主党が瀋陽で行った現地調査は『自虐的』だ」とした小泉首相に対して、民主党の海江田万里議員が発言の撤回を求めて猛抗議。
海江田:「撤回しないというなら、我々の調査のいったいどこが『自虐的』なのか。」
小 泉:「日本と中国はまだ交渉中なのに、日本の非をあげつらうのはいかがなものか。
政治家同士で、相手が気に入らない意見を言ったから撤回しろというのはおかしい。」
海江田:「質問にちゃんと答えていない。我々の調査の『どこが』自虐的だというのか。
日本の非をあげつらったりしていないし、事実を正しく把握するのは日本のためだ。」
小 泉:「あの発言は一般的な感想を述べたまで。いかにも中国側が正しくて
日本側が間違っているかのような印象を与える、といっただけだ。」
海江田:「根拠もなく批判するというのは大本営発表と同じだ。」
小 泉:「総理だって一政治家として言論の自由がある。私の発言の自由も認めてくださいよ。
『自虐的』だと言うのがけしからん、と言うのがそれこそ言論統制だろう。」
海江田:「『言論の自由』というなら撤回しろというこちらの自由もあるじゃないですか。」
小 泉:「一政治家の一般的な意見に、いちいち批判するのはおかしいと言っている。」
海江田:「批判するのはおかしい、というが、それ自体も批判じゃないですか。
批判するのはおかしいと批判するのはおかしいじゃないですか!」
小 泉:「批判するのはおかしいと批判するのはおかしいと批判するのはおかしいだろ!」
海江田:「だ〜か〜ら〜、批判するのはおかしいと批判するのはおかしいと批判するのはおかしい
と批判するのはおかしいと言ってるんですよアンタ!!」
小 泉:「アンタとはなんだアンタ!」
海江田:「うぬっ、アンタとはなんだアンタとはなんだアンタ!!」
小 泉:「アンタとはなんだアンタとはなんだアンタとはなんだアンタ?・・・ナンダ???」
・・・以上、後半部分に多少の脚色を交えてお送りしました。でも質問の持ち時間たっぷり20分、ホントに大体こんな感じのまったく噛み合わない無意味なやりとりに終始して、往年の「空飛ぶモンティ・パイソン」見てるみたいだった。なんだか、ガキの頃「アホ〜」「アホ言うモンがアホじゃ〜」なんてやってた事思い出したり。
でもあの亡命希望の家族を思うと笑ってられんよね。言葉遊びもいいかげんにしろ、ソーリ!!
2002年5月19日
今日は朝からお寺に集まって念仏、お焼香。その後お墓へ移動して念仏、お線香をあげる。親父宅に戻って親族一同で故人をしのぶ(ここだけのハナシ、しのんでる人いなかった:苦笑)。持って帰ってもらうお膳が店の手違いで届かなくてひと悶着。皆が帰って、俺たちが後片付けしてると、面倒な事は何一つしなかった親父がテレビ見ながら「終わった終わった、いやー大変だった」みたいな事を言うのでカチンときたが、もう言っても無駄だしあまりにアホらしいのでケンカはしない。徒労感と冷え冷えした心持ちだけが残る。母と妹と俺で黙々と後片付けなどやるべき事をすべて終え、夜、とっとと帰宅。
いろんな人にいろんな事言われたりされたりするのももう慣れた。片側の言い分(ある事ない事)だけを信じ込んでこちらに不信感を持ってる人に、イチイチ説明して誤解を解くのはしんどい。わかってくれる人はわかってくれてるし、お天道さんが万事お見通しなので、それで充分だ。
2002年5月18日
田舎の親父宅。仏間にお坊さんを呼んでお経をあげてもらう。準備にバタバタ。
夜は「PRIDE 20」をテレビ観戦。メインは「ヴァンダレイ・シウバ vs ミルコ・クロコップ」。PRIDEミドル級王者と、今や「無冠の帝王」の風格すら漂うK-1戦士の対決だ。いつもの冷徹な表情のミルコ選手に対して、シウバ選手は今まで見せた事がない緊張の面持ち。だが試合が始まると積極的に攻撃を仕掛けていったのはシウバ選手だった。接近しての打撃戦ではミルコ選手に勝る勢い。が、一瞬の隙を突いて、並みの選手なら一発KOでもおかしくないミルコ選手の鋭いミドルキックが決まった。パシーン!という大きな音、紫色になったシウバ選手の右脇腹に場内がどよめく。ミルコ選手が攻勢に出るが、ひるまず蹴り足を取って倒すシウバ選手、ガードポジションでしのぐミルコ選手に覆い被さりゴツゴツとパンチを繰り出す。グラウンドでの打撃に不慣れなミルコ選手の顔色が変わって最初の余裕が無くなり、この後スタンドの攻防に戻ってからも防御を気にして攻撃が単発になる。
結局、シウバ選手、ミルコ選手共にあと一歩攻めきれず、緊張感溢れる死闘も3分5Rを闘ってドロー。「PRIDE」の看板を守って安堵した様子のシウバ選手の笑顔が印象的だった。
2002年5月17日
父方の祖母の一周忌のため、田舎へ帰省。親父は相変わらず。でもケンカはしない。
サッカーW杯日本代表が決定。ゴン中山雅史選手、秋田豊選手のベテラン勢も選ばれた。中村俊輔選手が外されたのにはちょっとビックリ。
プロレスラーのデイビーボーイ・スミス氏が逝去。 現役時代は、名手ダイナマイト・キッドとのコンビ「ブリティッシュ・ブルドッグス」で一斉を風靡した。共にレスラーとしては小柄なジュニア・ヘビーの体格ながら、堂々たる筋肉美を誇ったこのタッグチーム。自分たちよりひと回りもふた回りも大きな巨漢レスラーたちを、軽々と投げ飛ばし派手に殴り倒すスピーディーでパワフルなファイトが懐かしい。鋭く威圧的なルックスのキッド(実の従兄)とは対照的に、端正な甘いマスクのスミスには女性ファンも多かった。全日本プロレスのマットで実現した「ダイナマイト・キッド/デイビーボーイ・スミス組 vs ジョー・マレンコ/ディーン・マレンコ組」の芸術的なタッグマッチは今も忘れられない夢の名勝負だった。噂ではドラッグ使用でかなり身体が病んでいて、引退もそれが原因だったという。39歳の若さだけに惜しまれます。合掌・・・。
2002年5月15日
「Newer Technology」が復活するらしい。この会社、不幸にして2000年末に倒産するまで、かつてはMacのアップグレードパーツのブランドとして高い技術力と品質を誇り、その信頼性に対する高い評価を得たメーカーだった。ウチのMacもNewerのCPUアップグレードカードのお世話になっているので、この復活のニュースが本当なら非常に嬉しい。ここの製品、ホントに不具合少なかったのよ。
ただし、この「新生Newer」は、前Newerが倒産した時に売却した社名やロゴの知的所有権を買い取った人が、Newerブランドを使用した新しい会社を作るだけという説もあり、また当時の主立った技術者はすでにライバル企業の「Sonnet Technologies」に移籍済みなので、どの程度「復活」なのかはまだまだ未知数。・・・なんだけど、やっぱし人情としてちょっと期待しちゃいますね〜。今度は「技術」だけじゃなく「商売」のほうも上手くやってもらいたいもんです。
2002年5月14日
神戸市立王子動物園の人気者、ジャイアントパンダのカップル「コウコウ(興興)」と「タンタン(旦旦)」。子パンダ誕生が期待されていたこの2頭のうち、雄だとされていた「コウコウ」が、実は雌だった可能性が高いと判明したらしい。そんなアホなー(笑)!
2002年5月13日
道頓堀東映パラスにて「モンスターズ・インク」観覧。登場するモンスターたちがいちいちカワイイので大喜び。夢いっぱいのおとぎ話でありながら、先行き不透明な時代の不景気の波にあおられまくるビジネスマンの悲哀まで描かれてて、もー可笑しいやら切ないやら。それから人間の女の子、ブーの仕種や声が愛くるしい事このうえなし。ちっちゃい子供って、ホントあんなんだよなあ。
声のキャスティングがまたふるってる。主人公のサリーの声はジョン・グッドマン。この人「バートン・フィンク」で隣室の優しい殺人鬼を演じてたあの印象的な俳優さん。相方のマイクはヨシロー大好きなTVドラマ「SOAP」のオカマのジョディ、ビリー・クリスタル。
次々繰り出される大ネタ小ネタのジョークの連発はセンス良く、コンベアで流れる無数のクローゼット扉に乗っての手に汗握るジェットコースター・アクションは迫力満点。楽しい映画だったっす。
それにしてもPIXERの映画にはいつも、いわゆる「CG」映画、「アニメーション」映画、なんて「ジャンル」内で甘えない、普遍性のある1本のちゃんとした「映画」を作ろうって意識が強く感じられる。「オタク」世界に埋没しない。そこんとこは俺も見習わネバ〜(粘)。
イランで世界最古級の仏像が19体発見された。アフガニスタン東部より西で仏像が見つかったのは初めて。この発見によって、パキスタンのガンダーラやインドのマトゥーラが仏像発祥の地だとする定説が覆る可能性も出てきた。この仏像たち、掘りの深いエキゾチックなお顔だちでなかなかの美貌。
2002年5月12日
「新日本プロレス中継」。創立30周年記念「闘魂記念日」当日の生放送に乗らなかった「蝶野正洋 vs 三沢光晴」がやっと放送された。エキシビション・マッチ的な意味合いが濃いものの、実力者の2人だけに、見ごたえのある技の応酬が見られた。結果は30分時間切れ引き分け(←お約束:笑)。かなりタフで激しい試合内容だったが、この闘いを堪能している2人の姿はなんだか楽しそうでもあった。試合前は共に「馬場、猪木は関係ない」と口を揃えたはずが、お互いに猪木、馬場の得意技だった卍固め、河津落しをかけ合う展開も作ってみせたり。う〜んさすが。
2002年5月11日
「K-1 WORLD MAX 2002」テレビ観戦。タイ、オランダ、スイス、中国、アメリカ、ニュージーランド、日本の7カ国の強豪選手によって競われるK-1中量級のワンナイト・トーナメント戦だ。日本からは魔裟斗、小比類巻貴之の両選手が出場。決勝での一騎討ちが見られるかも、と期待が高まったが、共に惜しくも準決勝で敗退してしまった。いつも涼しい顔でゴーマンかましてる魔裟斗選手が試合後リング上で「生まれて初めて(本人談)」の悔し涙にくれる姿は見てて痛々しかった。
この日俺が一番燃えたのは1回戦の「ガオラン・カウイチット vs ジャン・ジャポー」。伝説的な強さを伝え聞くムエタイのトップ選手ガオランのファイトが見られる、というのもさることながら、予測不能なムエタイ対中国散打の闘いが、いったいどんな火花を散らすのか興味シンシン。果たして試合は「イイ意味でまったく噛み合わない」他流試合ならではの展開となった。ジャポー選手の変則的でトリッキーなパンチ、キックに、さすがのガオラン選手もとまどいを隠せない。腕を伸ばして大きく降り回してくる「1人時間差」気味のオープン・ブロー(反則では?)や、真横を向いた半身の構えからまっすぐ突いてくる横蹴り(ブルース・リー風)を、けっこうまともに食らってしまう場面も。が、ガオラン選手は次第に落ち着きを取り戻し、冷静にパンチ、キックを当て、首相撲からのヒザ蹴りで着実にダメージを奪っていく・・・。結局、判定でガオラン選手の勝ちとなったが、グッサグサヒザ蹴り入れられまくっても最後までダウンしなかったジャポー選手の中国四千年の(←すぐこれだ)ド根性には個人的に大拍手。
決勝は「ガオラン・カウイチット vs アルバート・クラウス」この日、1回戦から準決勝まで驚異的な頑丈さとハードパンチで接戦を勝ち上がり、最も注目を浴びていたのがオランダのクラウス選手。だが、ここまでが全て激しい試合だったため、すでに顔面が腫れ上がって「アンタ誰?」状態(普段はハンサム)に。かなりのダメージがありそう。対する「生きた伝説」ガオラン選手にはほとんどダメージは感じられない。ガオラン有利、誰もがそう思った。
ところが勝負はフタを開けるまで分からない。ゴングと同時にクラウス選手が猛突進。ガオラン選手のパンチ、ローキックをものともせずグイグイ圧力をかけ、前へ前へとパワーで押しまくる。そして左ボディ・ブローを入れて動きを止めると、返しの右フックが鋭く決まった。これが効き、ガオラン選手はスローモーションのようにスーッと前のめりにリングに沈んでいった。なんと1R1分ジャストのあっけない幕切れで、初代K-1中量級世界王者はクラウス選手に決定した。見かけによらぬブル・ファイター、アルバート・クラウス、カッコいいぜ!
2002年5月9日
中国・瀋陽の日本総領事館に、北朝鮮からの亡命希望者と見られる男女5人が走り込もうとし、中国の武装警官に拘束された。その一部始終を撮影した写真とビデオを、亡命者の支援グループが公表。その中には、武装警官が治外法権のはずの領事館の敷地内に踏み込んで子供連れの女性を取り押さえる場面、騒ぎを聞きつけてゆっくりと歩いてくる緊迫感のまったく無い領事館職員の姿、などがハッキリ映っている。また、ビデオには映っていないがその後、駆け込みに成功した男性2人も領事館内に入ってきた武装警官に引き渡されたらしい。中国側の強引なやり方も不愉快だが、日本領事館側にも「やっかい事にはタッチしたくないなあ」という態度が感じられ、非常に憤りを感じる。おそらくは家族と思われるこの5人が北朝鮮に送還されずに済む事を祈るばかり。
財務省では、庁舎のマスターキーを紛失して警察にも届けないまま現在まで1ヶ月ちかくも経過していたという驚くべき不祥事。この間に庁舎内の金庫から現金やビール券が盗まれる事件も発生しているらしい。コレ絶対、発表できないだけで、もっと大事なモノも盗み出されてると思われる。ええかげんにしてくれ!ちゃんとしようぜ。ふんとにもー(怒)。
2002年5月7日
「アニドウ」の通信販売で注文してた「森やすじ画集」が届いた。尊敬する森やすじさんの美しく愛らしい絵の数々にうっとり。この画集をすみずみまで熟見し尽くして勉強するぞ(決意)!同封されていたメンバーズカードの図柄も超ラブリー。
それはそうと「アニドウ」もついにフィギュアの製作に着手したらしくて、その第1弾が「ヒルダ」なんだそう。高額商品なので俺には手が出ないけど、ちょっと欲しいカモ〜。
2002年5月6日
宇多田ヒカルさんが卵巣腫瘍の手術を受けていたらしい。「切除した腫瘍の直径は5.5cm」という報道をテレビで見た妹がひと言、「勝った」。・・・って、コレ、笑ってもいい冗談なのか・・・(怖)。とりあえず、宇多田ヒカルに勝った女の兄ってことで。
2002年5月5日
星菓さんから貰って秋に蒔いたサボテンの種がまだ半分残っていたので、新しい鉢にそれを蒔く。
・・・というワケで、<愛機「QV-10」で撮った新サボテン写真を見るサボよ>
2002年5月3日
「EXPO'70 大阪万国博覧会」のシンボルのひとつだった「エキスポタワー」が今年8月に解体される事が決まったらしい。まっすぐに立つ巨大な2筋の無骨な鉄塔と、それに抱きつくようにくっついたいくつもの多面体の展望ゴンドラ。今見てもレトロフューチャー感いっぱいのこの塔が無くなってしまうのはホントに惜しい。大丈夫だとは思うけど、あの「太陽の塔」だけはいつまでも解体しないで永久保存して欲しいよな。
2002年5月2日
新日本プロレス創立30周年記念「闘魂記念日」をテレビ観戦。ついに実現した真の新日本対全日本「蝶野正洋 vs 三沢光晴」がこの日のメインだったが、これは残念ながら生放送されず。
俺的にいちばん燃えたのは「中西学 vs バス・ルッテン」。この試合は、元パンクラス王者のルッテン選手に対して、中西選手が頭に「ど」の付くようなコテコテのプロレス技をこれでもかこれでもかと真っ向から仕掛けていく展開に終始。ルッテン選手のパンチや掌底や関節技をひたすら力まかせで耐え、ボディースラム、エルボードロップ、バックドロップ、ブロックバスター、足へのラリアートから果てはアルゼンチン・バックブリーカーまで決めてみせた中西選手の根性に大拍手。
ああ、なんでリアルファイト系の選手にプロレス技が決まるとこんなに嬉しいんだろう・・・(喜)。ルッテン選手は次第にスタミナが切れてヘトヘトに。試合終盤には技巧派の面影もどこへやら、中西ペースで子供のケンカ状態の殴り合いに誘い込まれていた。かかりさえすればプロレス技は効くのだ(笑)!勝負は結局ルッテン選手が三角絞めで中西選手からギブアップを取ったが、この試合はある意味、中西学の大勝利!!堪能したっす。
IWGP ヘビー級選手権試合 「永田裕志 vs 高山善廣」は、序盤のグラウンドの攻防から終盤のキック合戦まで、互いに得意技をフルに出して攻め合うスタミナ消耗戦。体格に勝る高山選手の豪快なスープレックス、ハイキック、ニーリフトの波状攻撃を受け切ってしのいだ永田選手は軸足払いのローキック、延髄斬りからナガタロックへ。永田選手がバックドロップ・ホールド、高山選手がジャーマン・スープレックスを出し合ったところから、ノーガードのゲンコツでの殴り合いになり、両者ダウン。最後はハイキックをかわした永田選手が、逆に左右のハイキックを両側頭部へ連発し高山選手をKO。初防衛に成功した。
・・・が、試合後、勝利の余韻に浸っているところへ突然乱入してきた藤田和之選手にキョーレツに投げ飛ばされてノビてしまった永田選手。それにしても永田って、こういう理不尽なやられザマがなぜか似合ってしまうんだよなあ・・・(哀)。
いろいろ盛り沢山の興行だったが、この日のMVPは、元夫のアントニオ猪木に内緒で駆け付けて「1、2、3、ダーッ!」に参加した倍賞美津子さんだったのかも知れないと思った(笑)。
2002年5月1日
キリンの清涼飲料「ラクダ」のCMに、気球に乗ってMISIAが出演してる。「幸せの黄色です。ローヤルゼリーでゆったり、カリウムですっきり。ラクダ。キリンから。」なんてナレーションもしてるんだけど、その声が激キャワイイー。
2002年4月30日
力道山と名勝負を繰り広げ、必殺の岩石落し(バックドロップ)で日本中を戦慄させ、不滅の936連勝の記録を誇ったプロレスラー、鉄人・ルー・テーズ氏が86歳で逝去。「生きた伝説」がまた1人、本当の伝説になっちゃった(悲)。合掌・・・。
2002年4月29日
柔道全日本選手権をテレビ観戦。この体重無差別の大会の決勝「井上康生 vs 棟田康幸」は、お互い積極的に技を繰り出し意地と意地が激しくぶつかる名勝負となった。お互い積極的に攻め合うも最後の決め手が出ず中盤まではほぼ互角。終盤、やや疲れの出た棟田選手が押される場面が何度かあり、結果は判定2-1で井上選手が2連覇を達成した。井上康生やはり強し!!だが、惜しくも敗れた棟田選手もあと一歩のところまで井上選手を追い込んだ。2人とも時間いっぱいまで果敢に「一本」を取りにいってた。いや〜緊迫感のある素晴らしい試合でした。
2002年4月28日
昔よく行ってた梅田の東映(映画館)が閉館になる・・・。その最後の閉館イベントは、千円ポッキリで過去の上映作品の中から名作ばかりをずらっと並べて観せてくれるというもの。俺はその中から東映パラス2で行われた「アニメーション特集」を観覧。「白蛇伝」「太陽の王子ホルスの大冒険」「銀河鉄道999」と、全部俺の大好きな映画ばかりの豪華3本立てで感無量だった。
東映初の長篇カラー漫画映画「白蛇伝」は繊細な動きの描写や美しい色使いで、現在観ても新鮮な感動に満ちている。また、声の出演は宮城まり子さんと森繁久弥さんだけで全てをこなしていて(「まんが日本昔ばなし」みたいな感じ)、この2人がキャラクターにとてもイイ味を与えている。とくにけなげで可憐で妖艶な白蛇の化身、白娘(パイニャン)はなんとも魅力的でヨシローノックアウト。
「太陽の王子ホルスの大冒険」は俺の意識の深層に楔のように打ち込まれた思い出の映画。手に汗握るアクション、重厚感のあるタッチと色調、それから格調を感じさせる間宮芳生氏の素晴らしい音楽!あと、この映画は何度観てもその度、少女ヒルダの苦悩に胸がつぶれる思いがする。「刺繍なんか出来なくたって、私にはもっと出来る事がある・・・!(声:市原悦子)」ああ、他人事とは思えない・・・。平幹二朗演じる悪魔グルンワルドはカッコ良く、主役のホルスは全編通じて大活躍なのにも関わらずなんだか影薄い(笑)。そしてラストシーンでもたらされる強烈なカタルシスには思わず隣の人と肩を組み♪ゆっけー、はしれー、ホッルースー♪と合唱せずにはいられない。(←マジしたくなる)場内にはリアルタイム世代だけでなく、今時の若いコたちもいっぱい来ていて、そんな若い連中が「ホルス」を観て「よかったね〜」「感動したね〜」とか言ってるのを聞いては「・・・うんうん、さもあろう、さもあろう・・・」と心の中で満足げにつぶやく俺なのだった・・・。
ラストは「銀河鉄道999」。松本零士アニメのマイルストーンといえる作品だ。りん・たろう氏の演出って、俺はイマイチしっくりこない面が多いんだけど、この映画は許しちゃう。母の面影から姉のような存在へ、やがて恋心へと変わっていく鉄郎のメーテルへの想いがもー切なくて切なくて。
物語終盤、大崩壊を起こした機械化母星から脱出すべく、堅く握りしめたメーテルの手を引いて走りに走る鉄郎・・・。そして最も緊迫し終末感溢れるこの場面に流れる音楽は、青木望氏の編む甘く優しくゴージャスなストリングスの調べ。ここは本当に何度観てもいいシーンなんだよなあ。
「いつか私が帰ってきて、あなたのそばに居ても、あなたは私に気がつかないでしょうね・・・」と最初で最後のキスをして、メーテルと鉄郎が別れていくラストシーンでは場内あちこちから女性のすすり泣く声が・・・。いや、俺は泣けへんけどね・・・泣くもんか・・・。(←あやしい)
あと、子供の頃観た時と違って時々メーテル目線で鉄郎を見てる自分がいる事に気付いたり。
余談1:この日隣に座ってた54〜5歳くらいのおばさん、やたらと話しかけてきたりいろいろ
してたけど、あなた本当はスリでしょ(見破)。
余談2:この日は来場者に、余っている映画パンフが2冊ずつプレゼントされた(種類は選べない)
んだけど、俺が貰ったのは「ドラゴンボール・最強への道/ご近所物語(2本立)」と
「魁!!男塾」(←笑)でした。
・・・ともかく梅田東映はこの日が最後。いろいろと思い出深い映画館だったのですごく残念。花に嵐のたとえもあるとか。さよならだけが人生なのか・・・。さびしーっ(泣)。
2002年4月27日
NHKのドキュメンタリー「ドキュメント地球時間・チャレンジャー号 73秒後の悲劇(再)」を観た。7名の宇宙飛行士の貴い命を奪ったあのスペースシャトルの打ち上げ直後の爆発事故が実は偶発的なものだったとは言い切れず、起こるべくして起こった人災ではなかったか、という事を取材と証言で証明するショッキングな内容だった。
チャレンジャー号の最初の打ち上げは延期される。その原因はシャトルの搭乗口ハッチに使われている1本のネジの異常だった。それ自体は大した問題でもなかったようだが、この修理に使うドライバー(ネジ回し)を係員が持ち忘れていたため、これを取りに帰って発射台まで持って来るのに数時間を費やしてしまい、当日の打ち上げが不可能になってしまった、というお粗末な理由。しかし後から考えれば、これは神様が与えてくれた、後の大惨事を防ぐチャンスだったのかも知れない。ただ、この延期によって、打ち上げが気温の低い季節へとズレ込む事になる・・・。
打ち上げ用ロケットブースターに使われている部品「Oリング(円形パッキン)」に問題があるのではないか?という疑問は、前回のシャトルの回収後すでに指摘されていた。そのうえ、「Oリング」の耐用温度が「4℃以上」であるのに対して、打ち上げ当日の予想気温は「-10℃」だった。
これを知った「Oリング」のメーカーは打ち上げに反対する。NASAには「部品会社の1社からでも反対があった場合打ち上げはできない」という規定があるからだ。しかし逆にNASAは反対の理由を激しく問い詰め、メーカーのエンジニアがプレゼンテーションをするが納得しない。延々押し問答となった会議に5分間の休憩が挟まれ、ここでメーカー経営陣が政治的圧力に屈する形で「打ち上げ反対」を取り下げる決断をする。担当エンジニアは帰宅後、彼の様子がおかしい事に気付いた妻に「今日の会議で宇宙飛行士を見殺しにする事が決定したんだよ」と告げたそうだ。
そして迎えた打ち上げ当日の気温は-3.8℃。秒読みカウント・ゼロとなり、チャレンジャー号のロケットブースターに点火される。直後に「Oリング」が破損した。この時点ですぐに発射台施設を巻き込んで大爆発が起こっても不思議ではなかったが、「Oリング」の破損部分に固形燃料の欠片が偶然はまって塞いだため、発射台での大惨事はかろうじて免れた(その様子は打ち上げ時の記録ビデオではっきり検証できる)。やがて大空へ一直線に飛び上がって行くチャレンジャー号。だが59秒後、固形燃料の欠片が外れ、さらに2秒後、ブースターの破損部分から炎があがり、そして73秒後・・・あの大爆発がとうとう起こってしまったのだった。
悲惨な事故が起こるまでの間に何度も回避のチャンスがあったにも関わらず、ことごとくそれを見過してしまう。また、命の重さや現場の技術者の警告よりも政治的圧力や我が身の保身を優先させてしまう。その人間の愚かしさについて深く考えさせられた。
2002年4月25日
中国遼寧省で、1億2500万年前(恐竜絶滅より6000万年も前)に生きていた哺乳類の化石が発見された。この動物はヒトなどを含む真獣類のうち最古のもの。ネズミほどの大きさで、恐竜などを避けて樹上で生活していたらしい。俺たちの直接の先祖って、そんな昔から元気にやってたのね。
2002年4月25日
NASAが、宇宙の年齢は130〜140億歳だという観測結果を発表。途方もない年月だが、逆にそんなもんなの?って気もする。それはそうと、じゃあ宇宙が出来る140億年前より以前には、今俺たちが感じている「時間」って存在してたんだろうか。ビッグ・バンの後、空間は膨張し続けているというが、時間のスケールは膨張や収縮しないのだろうか。不思議不思議・・・。
2002年4月24日
大阪・道頓堀の名物、グリコの大看板のランナーが、サッカー日本代表のユニフォームに衣替え。
2002年4月22日
伊豆半島の沖で、世界最大のイカ「ダイオウイカ」の赤ちゃんが泳いでいるところが撮影された。ダイオウイカは成長すると10m以上の大きさになる(最大記録は19.8m)が、この赤ちゃんは全長3cm。生きて泳いでいるダイオウイカ、しかも幼体というのは非常に珍しい。
・・・というワケで、< その写真をコッソリ見る >
2002年4月21日
かなーり切羽詰まってきてた厄介な仕事を、やっとこさ1つ片付けてひと息つく。はー・・・。
ビョーキやらなんやらで休んでる間にスケジュールが大幅に狂ってしまってヒーヒー言わされまくり。なんとかここを乗り切らネバ〜(粘)。
「K-1 BURNING 2002」テレビ観戦。日本人選手対外国人強豪の試合が中心の大会だった。
「中迫剛 vs アーネスト・ホースト」。最近好調な中迫選手だったが、1R中盤にホースト選手の左フックを受けてダウンすると、その後は一方的に攻め込まれ1RKO。ホースト強し。
「ピーター・アーツ vs ニコラス・ペタス」も1R決着となった。ローキックを狙うペタス選手に対して、身長差を利して圧力をかけ、ヒザ蹴りを返していくアーツ選手。やがて鋭いヒザがアゴを捉え、この一発で大の字KO。完全復調を予感させるアーツ選手の勝利だった。
メインは「武蔵 vs セーム・シュルト」。212cmの身長を誇るシュルト選手の攻撃は単調だが、なにしろデカいのでジャブだけでも破壊力は充分。これに臆せず武蔵選手は27cmの身長差をはね返すような勇敢な攻めを見せ、フックやアッパーなどの大きなパンチを何度も決めた。試合は判定にもつれ込み、僅差でシュルト選手の勝ち。武蔵選手の勝利を確信していた場内からはブーイングがもれた。うーん、俺も武蔵選手に勝たせたかった・・・。
2002年4月18日
南米ペルーのリマ郊外でインカ帝国時代のミイラ数千体(!)が見つかった。この一帯はインカの大規模な墓地で、全体では1万体にのぼるミイラが眠っているらしい。すごっ。
2002年4月17日
梅田のオーバルホールにて、マクロメディア社主催の「Flash MX」のセミナーに出席。説明を聞くと今度の新しいバージョンはなかなか良く出来てて、かなり欲しくなったんだけど、まずは財布と相談だなあ・・・。あと、ウチのMacじーさんにゃかなり荷が重そう(涙)。
今日は新機能などの説明をするマクロメディアの女性社員の方以外に、クリエイターの笠井聡宏さんとイラストレーターのまつむらまきおさんが特別講師に来てて、いろいろな隠れ機能やTIPSの解説など参考になる話がいっぱい聞けました。
その他にも場内にはDirectorやFlashの世界で有名なクリエイターの人が何人か来てて、「お〜」とか思ったり。
2002年4月15日
梅田タワーレコードへ「大西ユカリと新世界」のインストアライブを見物に行く。店内の狭い特設ステージ上、カラオケは使わずオルガン(マンボ松本氏)とテナーサックス(小松竜吉氏)による生演奏で1曲目「雨の日のあやまち」のイントロが始まった。2人の衣装は、いかにも古き良き時代のバンドマンみたいな白黒チェックのスーツに蝶ネクタイ。やがてGSサウンド全盛時代のアイドル歌手みたいなノースリーブでミニのワンピースと純白の長手袋に身を包み、髪は内巻きカールのヘアピースでキメた大西ユカリさん(37)が登場!パワフルな歌声でシャウトしまくる。カッコイ〜。2曲目は「恋の味」。こちらはこってり濃厚に唄いあげる。う〜んセクスィー。
曲の前後・合間でみせる、漫才師顔負けのしゃべくりもめっちゃオモロくて、プレゼントを賭けてのジャンケン大会も大盛り上がり。その後はサイン会に突入となったのだが、残念ながら俺はここで時間が無くなってしまい、後ろ髪ひかれる思いで帰宅の途につくのだった。
くー、サイン欲しかったカモ〜。
2002年4月14日
柔道・全日本女子選抜体重別選手権。48kg級で、田村亮子選手が新鋭・高校生の福見友子選手に敗れ、12連覇を逃した。日本人選手に敗れたのは12年ぶりで、連勝記録は「65」でストップ。右ひざの故障による練習不足もあっただろうが、福見選手も思いきり良く、強かった。
2002年4月12日
MISIAのDVD「THE TOUR OF MISIA 2002」を購入。早くもリリースされた昨年のツアーのライブ映像だ。大晦日の大阪城ホール、観に行きたかったっす・・・(涙)。今回のショーは、今までにも増して「じっくり聴かせる」事に、より重点を置いた演出で、見ごたえ聴きごたえ満点!
それにしてもミーシャの声は日本ポピュラー音楽界の宝だねえ・・・。
今朝、新聞のラテ欄で「アベノ橋魔法商店街」っていう愉快げな番組タイトルを見つけ、阿倍野(あべの)界隈で高校時代を過ごした身としては聞き捨てなりませんな!と楽しみに見てみたら、その番組の正体は「ガイナックス」&「マッドハウス」製作による、大阪人のノリと大阪弁を全面に押し出して、「タイムボカン」をオタクっぽく味付けしたような感じのドタバタコメディのアニメだった・・・。
ちゅうか、それはそれでええんやけど、「好き好き魔女先生」とか「5年3組魔法組」みたいなモノを期待してた俺としては、がっくりくりくりくりっくりっ。(←浜根隆ふう)
NHK紅白歌合戦などの司会、「どうも、どうも」の語り出しで知られる名司会者、高橋圭三氏が逝去。生前の語録から。「自分が正しいと思っている時ほど、相手には低い姿勢から語りなさい。」ホントですよね。肝に命じます。合掌・・・。
2002年4月10日
「大西ユカリと新世界」の新譜「実録大西ユカリ・ショウ」を購入。なんとライブ盤で2枚組。ステージが最大の魅力なバンドだけに、これは嬉しい!楽しくてカッコ良くて、コテコテにオモロイ。ヨシローの絶対おすすめCD!イチオシ!
宝塚ファミリーランドと神戸ポートピアランド。関西で親しまれてきた2つの遊園地が、来年4月をもって閉園となることが決まった。阪神大震災の災禍にも耐えて存続してきたが、昨年のユニバーサル・スタジオ・ジャパンのオープンで一気に客を奪われてしまったらしい。あのコと一緒に乗ったファミリーランドの急流すべりもなくなっちゃうのか。あの日はホント楽しかったよなあ・・・(悲)。
2002年4月8日
どうも最近、インターネット接続の調子が悪い。特にブラウザを使ってWeb閲覧していると、すぐに切断されてしまう。それも、見かけ上はまだ接続されているかのような振舞いを続けるのでタチが悪い。「PPP(MacOS8.1)」の「解除」ボタンをいったん押して、改めて「接続」ボタンを押すと復帰するが、しばらくするとまた密かに切断している。最初の1ページすら表示しきれず途中でロードが止まってしまう事もしばしばで、1ページ表示する度ごとに、止まる→「解除」→待つ→「接続」→待つ→閲覧→止まる→「解除」→待つ→・・・、の果てしない繰り返しを余儀無くされてもーイライラ最高潮。新たにインストールしたソフトも無いし(金欠)、システムの環境も「OpenTransport」の設定も全くなーんにもいじってないし、「IE」だろうが「ネスケ」だろうが同じ症状が必ず再現するので、これはきっとISDNを見限ったNTTが、そっちの内部でフレッツISDN用のインターネット接続の設定をどうにかして、で、それがウチの環境と合わないんだろうと思われる。なんか「ADSLに換えなはれ〜」っていうNTTの呪文のような声が聞こえる気がして、反射的に「意地でも換えるもんか!」と決意してしまう、小っちゃな頃から意地っ張りだった俺だ(憤)!なんとかしてくれなさいNTT!
「星の流れに」のヒットで知られる歌手の菊池章子さんが逝去。♪こ〜んな〜、お〜んな〜に〜、だ〜れ〜が〜した〜♪合掌・・・。
2002年4月7日
阪神タイガースが64年ぶりの球団タイ記録となる開幕7連勝を達成、あろうことか首位独走中!もー行くとこまで行ってくれ!こーなったら阪神の連勝ストップが先か、みずほ銀行のトラブル解消が先か、勝負じゃ!!(←名勝負の予感)
2002年4月6日
NHK「未来への教室」に、現在のパソコンの目標となる概念「ダイナブック(←東芝の商品名ではない)」を提唱した、アラン・ケイ博士が出演してた。ウワサのソフト「squeak」を使って、子供たちにプログラミングの楽しさを易しく教えていく。子供たちのイキイキした表情を見ていて、Macで初めて「HyperCard」に触れてパソコンに対する価値観が一変し、夢中でスタック作りまくってた頃を思い出した。Appleはなんで「HyperCard」の開発やめちゃったんだろうか。あんなスゴいソフトを〜・・・。って、あ、話がそれた。ともかく、ケイ博士の「ダイナブック」構想に比べたら、今のパソコンなんて使いにくくてまだホントダメダメっすね。
第一勧銀、富士銀、日興銀の大手3銀行が合併して誕生した超大型銀行「みずほ銀行」。その晴れのスタートとなるはずだった4月1日に大規模な口座振替システムの障害が発生し、今日6日に至るまで復旧のメドが立っていない。引き落としの未了分だけでも数百万件におよび、二重引き落としや振り込みの二重送金なども頻発している。その主な原因は、統合後のシステムをどのような形にするかで、元の3銀行がそれぞれ自分たちのシステムを使う事を主張して譲らなかった事によるシステムの複雑化なんだそうだ。ということはだいたい「このまま見切り発車したらヤバいでぇ〜」と、一部の関係者は判っていたと思われる。何事も「やめる勇気」って要るよなあ。
2002年4月4日
静かなブームとなっている旧ソ連のアニメーション映画「チェブラーシカ」のDVDを購入。本邦初公開の短編も収録されているのが嬉しい。ワニのゲーナがアコーディオンで弾き語りする歌が素晴らしいのに触発されて、押し入れの中からマイ・アコーディオンを発掘する。いつかこの曲を〜。(←野望 or 無謀)そして初回プレス特典のチケットを使い、さっそくフィギュア購入に応募してみたり。
うおー俺、踊らされてる踊らされてるー(情無)。
2002年4月2日
NHK「地球・ふしぎ大自然」、今日のサブタイトルは「深海のタイムカプセル・発見!恐竜時代の生きた化石」。不思議な海の生き物コウモリダコ(学名"Vampyroteuthis Infernalis"=地獄の吸血イカ)の生態の貴重な映像が紹介された。この生きた化石はアメリカ西海岸モントレー湾の深海600〜900m付近にある極端に酸素の少ない層に棲息していて、血のように赤い身体に、空を映した水晶玉のような青い目(←映画「風の谷のナウシカ」の「王蟲」の目みたいな)を持ち、状況に応じてコウモリ傘を開くようにダイナミックに体型を変化させる。頭の先には目に似た2つの発光器があり、敵に襲われるとこれを光らせて敵を威嚇したり、次第にその光を小さくすることで相手に自分との距離感を錯覚させたりできる(深海で見るとだんだん遠ざかっていくように見える)。それでも敵が接近してきた時には、普通のタコがスミを吐くように、キラキラ光る粉をまき散らして逃げたりもするのだ。どうです、スゴいでしょう。(←なぜ自慢する)< その姿の片鱗をコッソリ見る >
もーあまりの気持ち悪さ、素晴らしさに口あんぐりでポカーン。すっかり魅了されました。
2002年4月1日
今日は「4月ばか」。この日にちょっとしたウソをついて人をかついだりかつがれたり、なんてコト昔はけっこうした気がする。ところが今は、開いた口が塞がらないような呆れた事件や直視できないほどの惨事が毎日のように起こり、現実のほうがどんどんウソくさくなって、ちょっとやそっとのウソやホラ話なんてたちまち色褪せてしまう時代だ。それに、シャレが通じなさそうな人ばっかしで「騙したな!」なんてマジギレされそうだし・・・。
中国の無人宇宙船「神舟3号」が内モンゴル自治区の砂漠に帰還。< その時のもようを見る >
2002年3月30日
和歌山の根来寺へ夜桜見物に出かける。綺麗にライトアップが施され、夜店も出ててけっこう大勢の人が集まっていた。お寺からちょっと離れた場所にある古い枝垂れ桜の巨木が俺のお気に入り。あと初めて知ったけど、ここのお寺の塔は国宝なんだそう。
・・・というワケで、<愛機「QV-10」で撮った夜桜写真を見る>
プロ野球開幕戦。「巨人 vs 阪神」は新エース井川投手の完投で阪神が12年ぶりの開幕戦勝利。
2002年3月29日
性同一性障害に悩んでいた競艇選手に、全国モーターボート競走会連合会は、選手登録を男性に改め名前も変更することを認めた。輝くような表情で記者会見に臨んだ安藤千夏改め安藤大将(ひろまさ)選手、男ットコ前でした。あと、スパッとこの決断を下した協会も男ットコ前〜。
「お熱いのがお好き」「アパートの鍵貸します」などの名画を数多く生み出した映画監督、ビリー・ワイルダー氏が逝去。
2002年3月28日
食いだおれの町・大阪の台所、「黒門市場」のアーケードが大改装。南側の入口には、かつての「黒門」を思わせる新しい門も完成した。NHK朝のTV小説「ほんまもん」にあやかってイッキに行ったろか!って感じ。でもちょっと無理してないか〜。
2002年3月25日
アフガニスタン北部で大地震。
2002年3月24日
「吾妻光良&THE SWINGING BOPPERS」の新しいCD「Squeezin' and Blowin'」を購入。これ、ライブではお馴染みだが今までCD未収録だった数々の名曲をひとまとめにしたファン待望の1枚。「やっぱり肉を喰おう」「道徳ホップ」「バッチグー」、それに俺の大好きな「嫁の里帰り」もバッチリ収録。う〜んサイコー!Are you HEP to the JIVE ?
2002年3月23日
世界フィギュア女子シングルで、村主章枝選手が3位入賞。ホントに美しい堂々たる演技を見せてくれるようになりました。優勝はイリーナ・スルツカヤ選手(露)、2位はミシェル・クアン選手(米)。恩田美栄選手は5位。
2002年3月22日
プロ野球オープン戦。阪神タイガースが14勝2敗2分というモノスゴい成績で「オープン戦優勝(なんだそりゃ)」を決めた。ついに今年、万年最下位脱出か?
2002年3月21日
世界フィギュア男子シングル。冬期五輪では出なかった4回転ジャンプを2度中1度決めて、本田武史選手が見事3位入賞。
2002年3月20日
ギフトカードを買う用事があり、難波の南海サウスタワーホテル1階にある「JCB」のサービスセンターに立ち寄る。初めて行く店だが、大きな看板が出ているのですぐわかった。迷わず一直線にスタスタ歩いていって店に入る。・・・が、店内の様子にそこはかとない違和感を感じた。何かが違う・・・。窓口の女性にうながされて接客カウンターの椅子にかけようとした時ハタと気付いた。
ここ「JTB」やん!どこへ旅行すんねん!そしてそれは男ひとり旅なのか俺よ!「間違えました・・・。」などと呻きつつ(恥)あわてて店を出る。見れば「JCB」と「JTB」の店鋪は目と鼻の先に隣り合わせているのだった。なんてマギラワC!これは罠か?罠なのか!?まあ間違って入ったのが「TBC」でなかったのが不幸中の幸いだけども。でも、こんな失敗ってよくあるよネ(ない)。
2002年3月19日
♪さかなさかなさかなー、さかなーをー食べるとー、あたまあたまあたまー、あたまーがー良くーなるー♪の「おさかな天国」のCDがメジャーレーベルから再リリースされるらしい。全国の鮮魚店店頭からジワジワ口コミで人気に火がついたこの曲、ポニーキャニオンが獲得する前は、全漁連(全国漁業協同組合連合会)の自主製作盤だった。この全漁連盤、実はウチにも1枚あったりするんだけど、これってレア?プレミアつく?(←ばか)
2002年3月18日
例のヨーグルトのメーカーから妹に電話がきた。代替品を送り返した事と、そこに添えた手紙でやんわり抗議(←ヨシロー@ゴーストライター)した事が効いたのか、今までの感じ良くない応対ではなく、エラい人が電話に出て謝意を表わしてくれたそうだ。それまでの態度を反省したのか、クレーマーを刺激すまいとしてるだけなのかは不明だが、誠意ある態度を見せてくれて、今後の商品の改善を約束してくれれば、こちらはそれ以上言う事は何も無い。始めからそういうふうに普通に応対してくれればよかったのに・・・。この件はこれにて一件落着。
2002年3月17日
アメリカ村を歩いてたら、どこからともなく拡声器の大音響が轟いてきた。こんなどデカい迷惑な音出して町なかを練ってるのは、右翼の街宣車かプロレスやストリップの宣伝カー?と思って、背後からゆっくり近付いてくる大音響の主のほうを見やって驚いた。その宣伝カー、目の覚めるような真っ赤っ赤にペイントされたロールスロイスなのだ。その派手なボディには犬や猫とその足跡をかたどった大きなステッカーが所狭しとベタベタ貼られていて、屋根の上に取り付けた拡声器からは限界までボリュームを上げて店の宣伝のテープをエンドレスで流しつつ、交通の妨げなど我関せずとばかりに徒歩なみの速度でノロノロ運転している。ウインドウはスモークで車内の様子はよく分からない。なんじゃこりゃー、と驚き呆れつつ宣伝の内容を聞いてみれば、その店とはなんとあの「梅田わ○わ○ランド」だというではないか!「梅田○ん○んランド」といえば数年前、オランウータンなどの希少動物密輸密売(ワシントン条約違反)事件を起こして摘発されたのも記憶に新しい例のペットショップではないですか。今もこんなに堂々とショーバイやってたとは!
その徒歩速度大音響赤ロールスが行く所には、必ず店員が数人先回りしてビラまきをしている。道行く人がビラを手渡され、やがてド肝を抜く宣伝カーが現れる、という微妙な時間差を利用しての相乗効果を狙った宣伝作戦のようだ。ロールスの後方の道はギュウギュウの渋滞に陥っているのだが、あからさまに怪奇なこの車に恐れをなし、文句を言ったりクラクションを鳴らしたりする奴は誰もいない。この傍若無人な振る舞いに対して、俺と同じくマユをひそめる人も多かったが、若いコたちの中には「いやーん、カワイイー」などと嬌声をあげてビラや赤ロールスを好意的に迎え入れる向きも少なくはない(情無)。そしてそんな若者の集団に近付くとロールスの後部座席の黒いウインドウがスーッと開き、中からくわえ煙草のコワモテ親父がヌッと顔を覗かせて、あたりをギロギロ睥睨しながら無造作にビラを手渡していくのだった。この男が「わ○わ○ランド」の経営者だろうか。どうみてもカタギとは思えないその風貌&所業と、ワンニャン写真に丸文字を駆使したカラフルなビラや宣伝テープの愛嬌ある女声との、あまりのギャップに軽い目眩を覚える春の日の午後なのだった・・・。
2002年3月16日
例のヨーグルトのメーカーから、返品したカップ入りヨーグルトの異物の分析結果と、代替品10個入1箱が送られてきた。内容を要約すると次の通り。
1.専門施設での分析により、黒い粒はタンパク質の固まりと判明、ヨーグルトから
発生したものではない。
2.製造工程と当日の製造記録日報を考えると、自社工場での異物混入の可能性は
極めて少ない。
3.今後、検査装置を増設するなど、今以上の管理体制を整える。
・・・これ、どーですか。「そんな異物、開封後にお前んトコで入ったんだろ」とでも言いたげな感じじゃないですか。原文はもっとそんな感じバリバリだったっすよ。例の品物は、開封してから異物が出て来るまでの一部始終を俺もこの目でワンカットで(?)見ているし、開封後の混入なんて一切あり得ないのに。ワシ、感情的なるよ。(←ミスター・ボールドのマネ)それに「異物の正体は『タンパク質』でした」てな答えで「なーんだ、そうだったのかあー」なんて納得する奴いるのか?「成分」が「タンパク質」と判っただけじゃ、異物が「何か」判った事には全然ならんでしょ。言ってしまえば虫の死骸だって異常プリオンだってタンパク質だよな!ミミズだってオケラだってアメンボだってみんなみんなタンパク質で出来ているんだ友達なんじゃー!ちゃうんか、メーン?
あと「代替品は要らない」と重ね重ね言ってあったにも関わらず、10個入1箱を送ってきたのも印象良くない。気分的に「やだなあ」と思って返品した品物に対して、誠意ある説明も問題の解決も無い段階で、全く同じ商品を10倍送って来られても単に「やだなあ」×10。なのでこの代替品はソッコー送り返す!そもそも何かが欲しくて文句言っとるワケじゃなし。こっちをクレーマー扱いしたようなメーカーからの返答に、なんだか妹より俺のほうが熱くなりつつある小泉今日この頃。プンスカ。
2002年3月15日
奈良県御所(ごせ)市の古墳から、有名な明日香村の石舞台古墳に匹敵する大規模な石室が発見され、「条ウル神古墳(じょううるかみこふん)」と名付けられた。カッコイイなまえー。
2002年3月14日
ソルトレーク冬期パラリンピック。女子大回転チェアスキーで大日方邦子選手が銅メダルを獲得。大日方選手は長野大会での金、銀、銅3種に続いて2大会連続のメダル獲得。
2002年3月12日
燃える闘魂アントニオ猪木氏が都内のホテルに50人以上の報道陣を集め、ライフワークとして関わった新世代発電機「イノキ・ナチュラル・パワー4」の記者会見を開いた。曰く「燃料を使用せずに磁力を利用して消費電力の8倍以上の電力を生む、常識を覆す画期的な商品」なのだそうだ。今や猪木の前にはエネルギー保存の法則すら屈服するのだ。そして会見では、5本の蛍光灯と、テレビ、掃除機、扇風機を同時に動かす実験が行われる事となった。自信満々に起動スイッチを入れる猪木氏。が、ブーンというモーター音がしばし鳴っただけで何も起こらず、接続されていた蛍光灯1つ点灯しない・・・。技術担当者によると失敗の原因は磁石を固定するボルトの付け忘れなんだそう。この結果に、どうリアクションしていいものか測りかねて潮が引いたように静まった記者たちに囲まれ、猪木氏はひきつった笑顔で「微調整して近日中に雪辱会見を」と約束したのだった。・・・っていうか、んなもんホンマに出来たら永久機関やん・・・。騙されてんぞ!気付けよアントン(笑)!
2002年3月11日
妹が昨日のヨーグルトをメーカーへ返品。すこぶる不機嫌。食い物の怨みはなんとやらだねえ。
よど号ハイジャック事件メンバーの元妻が「日本人の北朝鮮への拉致に直接関わった」と証言。
2002年3月10日
まだ風邪が治んなくて今日も頭痛。妹の退院後初の検診に付き合って病院へ。
夜、妹が買ってきて食べようとしたカップ入りヨーグルトの中から、黒い粒々の破片のような異物が出てきた。見せてもらうと、何かは分からないが、なるほどちょっと気味悪い。考えたくはないけど、もしかしてコレ・・・虫(怖)?妹はソッコーでメーカーに苦情電話を入れたようだ。
ミナミのキャバレー「サン」で「キャバレーナイトフィーバー2002」。往年の昭和歌謡曲ノリのオールナイトのイベントだ。俺は今日残念ながら行けなかったけど、コレすっごく観たかった。大好きな「大西ユカリと新世界」も出演するんだよなあ・・(涙)。
こうなったら、えーい、唄ってしまえー。♪雨が降ってもサンサンサ〜ン♪(←謎)
2002年3月9日
MBS放映のアニメ「マデリーンといっしょに」はめっちゃ可愛い。原作の絵本のイメージも大事にしてるし、色彩、タッチ、キャラクターの動作、どれも綺麗でプリティー・ダイナマイツ!
2002年3月8日
なんだかグズグズ腹が痛いなー・・・、と思ってたら、トイレで血が出た。そんなこんなでちょっとビビりちゅう。今度は何の病気かっ。モー嫌。
2002年3月7日
全国の会員から約478億円を集め、出資法違反容疑で警視庁の強制捜査を受けて現在取り調べ中の、健康食品販売会社ジー・オーグループ大神源太名誉会長が笑いのツボにハマりまくり。それにしても自称「キムタクよりイイ男」なこの人、自社パンフやカレンダー、TVCM(ジャン・クロード・ヴァンダムと共演!)などに特異な神憑かり的ヒーロー像として出演しまくるだけでは飽き足らず、会員からせしめた億単位の資金を湯水のように使って自分が主演のアクション映画まで製作してしまった。が、こんなワケわからん「オレ」映画に配給会社が乗るはずもなく、一般公開は未定(あたりまえ)。会員相手に開いた試写会の舞台挨拶でのファッションは、黒いぴちぴちフィットの網々シースルーシャツ(30万円ベルサーチ:噂)に、黒いレザーのスリムパンツ、でっかい銀ピカバックルが付いた仮面ライダー風ベルト、といった強力ないでたち。
この人、顔といい雰囲気といい「ぁ、命!」の人文字ネタでおなじみのTIMのゴルゴ松本にそっくりなので、「近々ゴルゴが大神会長のモノマネを始める」に3000クルゼーロ(賭)。
2002年3月5日
妹が退院。手術の傷痕が痛む以外は特に悪いトコロも無く、けっこう元気。荷物持ちのポーターとして病院へ迎えに行ったが、息苦しくてゼーゼー言う(苦)。
高度約560kmの地球周回軌道上にあるハッブル宇宙望遠鏡の、翼のように見える巨大な太陽電池パネルが12年ぶりに取り替えられた。カメラなどその他の部品もそれぞれバージョンアップ。作業にあたったのはスペースシャトル、コロンビア号の宇宙飛行士。まったく壮大なスケールの電池交換ですな。
2002年3月4日
某女性用品のTVCMの最後に新山千春が放つ「ゥロリエェーィッ!!」って叫びはカッコイイ。
2002年3月3日
桃の節句。せきどめの薬を飲みまくってて、なんだか眠い・・・。
ケニア中部の自然保護区で雌ライオンが子供のオリックス(ウシ科の草食動物)を育てているのが発見された。歩く時も一緒、寝る時も添い寝。他の肉食獣がこのオリックスをつけ狙うと雌ライオンは身を挺して戦い追い払う・・・。この珍事は現地で話題になり、ライオンは「ラーセン」、オリックスは「サイモン」と名付けられた。ある日、ラーセンが水を飲んでいる隙に、別の雄ライオンがサイモンを襲って食べてしまったという。一緒に過ごした10日ほどの間、彼女はサイモンを守るために何も口にせず、悲劇的なサイモンの死から数日は悲しみにくれたように起き上がらなかったらしい。彼女は数カ月後に、また別のオリックスの子を見つけ世話を始めたのだが、この子は衰弱していたため動物孤児院に保護されたそうだ。なぜラーセンがオリックスを我が子としようとするかは謎だが、噂によると彼女は、昨年2頭の子を亡くして以来、群れからもはぐれて孤独に暮らしていたそうだ。
木村裕一作の絵本「あらしのよるに」を思い出させるこの奇妙な親子の話、なんだか涙を誘いますね。どうかこのあともラーセンが幸せに暮らせますように(祈)。できれば静かに・・・。
・・・というワケで< 親子がどんな様子だったかコッソリ見る >
2002年3月2日
自分が寝込んだりヒトの看病したりばっかしてる間に溜まりに溜まった山積みの仕事を片付けるべく、朝から頭痛薬を飲みまくって(←いけません:用法・用量は守りましょう)立ち向かう。・・・が、昼には挫折(弱)。夜は風邪ぶりかえして悪化(泣)。
母の病状の検査結果が出た。幸い心配したほど悪くはなく入院しなくても済むようだ。とはいえ毎日朝夕、点滴のために通院はしなきゃならなくて油断は禁物。
でもまあ、家族が次々ぶっ倒れて、いったい我が家はどうなるんじゃー!とか一時は思ったけど、全体としておおむね良いほうへ向かいつつある気がする。はー・・・(長溜息)。
2002年3月1日
妹の病院に見舞い。こないだの手術の抜糸が済んだらしい。っていうか、傷口を止めてあったのはホッチキスなので抜糸というより抜「針」だけれども(今どきの手術道具はとってもステイショナリィーね)。妹はもう自分で立ち上がって病院の中をウロウロ歩き回れるようになってた。
|