「ヨシローのカクレガ」


カクレガ日記

2002年11月30日
JR天王寺の駅ビル改装工事で、建物を覆ったシートに巨大な恐竜(セイスモサウルス)の壁画がどばーんとお目見えしていた。夜見るとライトアップも映えて大迫力。

フィギュアスケートNHK杯。女子シングルで恩田美栄選手が初優勝。残念ながら3回転半ジャンプは失敗したものの、5種類の3回転ジャンプを決めての、堂々の金メダル獲得。同大会の日本女子の優勝は'91年の伊藤みどり以来だそう。大器がとうとうやってくれました。また、荒川静香選手も初の3位入賞。

2002年11月29日
ケニアのモンバサで、同時多発テロが起こる。イスラエル資本の「パラダイスホテル」が四輪駆動車による自爆テロに遭い爆発、15人が死亡。同時に、モンバサ発の旅客機が何者かに地対空ミサイルで攻撃を受けた(危うく逸れて乗客260人は無事)。同じくモンバサ発の20人乗りの小型機も原因不明の墜落。負傷者が多数出た。恨みと怒りの連鎖はどこまで続いていくのだろう。

新日本プロレスの若手ホープ、イケメンレスラーNo.1こと棚橋弘至選手が、交際していた女性に包丁で刺されたらしい。原因は別れ話のもつれで、女性のマンションから帰り際、不意に背後からズバズバ刺され、そのうち一撃は背中から肺まで達する重症だったんだと(怖)。現場の目撃者によると「玄関から逃げ出す血まみれの棚橋選手を追いかけて全裸の女性が包丁持って飛び出して来た」んだそうな。鬼気迫るとはまさにこの事だが、しかし・・・別れ話切り出すんなら、女の子裸にするよーなコト(最後の1回?)しちゃ駄目だよぅー棚橋ぃー・・・(情無)。ともあれ棚橋選手の命に別状は無く、選手復帰も出来るとの事。不幸中の幸いでした。オンナを舐めるとこーなる、という見本じゃのう。喝ーッ!!

2002年11月28日
大リーグ(レンジャーズ)帰りの158km/h豪速球投手、伊良部秀輝投手を阪神タイガースが獲得するもよう。伊良部投手は、俺が子供の頃のケンカ強そうでガラ悪気味なブットイ選手が多かったあのタイガースの雰囲気を感じさせる選手なので、この人選は俺好みといえましょう。とはいえ今季の阪神の選手補強はガツガツしててちょっとイヤなのも確か。

2002年11月25日
元プロレスラー、サンダー杉山さんが逝去。'64東京五輪に日本代表として出場後プロレスラーに転身し、必殺技「雷電ドロップ」で一世を風靡した。引退後に糖尿病を患って両足と右手を失ったが、年商35億の実業家として活躍していた。俺は、彼のプロレスラーとしての全盛期は実は殆ど見てないんだけど、大好きだった当時の人気子供番組「おはよう!こどもショー(日テレ)」で、ニコニコ顔の「サンダーおじさん」として子供たちのアイドルだった姿は鮮明に憶えている。ゴキブリの扮装をして子供にピコピコハンマーで叩かれ、エーンと泣き顔を見せる「ゴキブリコンコンゲーム」とかに出てて、共演する子供たちになつかれまくっていた。同じ頃、似たような他局の子供番組「あつまれ!キーパッパ(フジ)」では若き日のアントニオ猪木が「アントン体操」っていうので出演してて「さあみんなー!アントンと遊ぼうぜー!」なんてやってたんだけど、こちらのほうは、アントンの発散するそのどことなく狂気じみた迫力に、スタジオやテレビの前のおともだち(←俺含む)は引き引きだった。リング上では恐キャラの杉山さんが子供の人気者だったのに対して、リング上では正義の味方の超ベビーフェイスなはずのアントニオ猪木が子供たちにマジ引きされていたのはいかにも好対照でした。子供は人柄を見抜くからなあ・・・(笑)。海外武者修行時代はバリバリの悪役レスラーだった、実は心優しいサンダーさんに合掌・・・。

2002年11月18日
昨夜、なんだかわからんが突然猛烈に身体に変調をきたした。いきなり目まいがして、ものすごーくダルくなって立てなくなり、38〜40度の高熱がなかなか引かなくて、身体は痛むわ、吐くわ、震えはくるわで、一時はマジ死ぬかと思った。トイレに行ったら血で真っ赤っ赤になっちゃうし(怖)。とりあえず大人しく寝てウンウンうなってたら、今日の夜には37度まで熱が下がってひと安心。
それにしても何だったんだろう。こんな急激な病状の悪化&回復って、今まで経験ない・・・。原因をイロイロ考えてて唯一ふと思い当たったのは、昨日喰ったうどん。4日ばかり賞味期限の切れたビニールパック包装のうどんが冷蔵庫の片隅で寂しそうにしてるのを発見したので「もったいね〜な〜」と思い、茹でて食べちゃったんだけど、・・・アレか?アレなのか?だとしたらこの症状、俺にとって生まれて初めての本格的な食中毒なワケだが、ホントにそうなのか!?謎は深まるばかりだが、このまま治っちまいそうなので、まあなんでもイイや。終わり良ければすべて良しか!(←どことなくちがう)
原因が本当にソレなのかは甚だ疑わしい限りですがそれはそれとして皆さん、バカなヨシローみたく賞味期限切れの食品を食べたりするのはやめときましょう・・・って、しないですよね寸間損(恥涙)。

2002年11月17日
テレビ朝日「題名の無い音楽会」で「大ブーム・アカペラを極める」って特集をやってて、そこに出ていた「Lyrico」って歌手がすごーくイイ歌唄ってて、この人何者なんっ?と調べてみたところ、なんと改名した露崎春女さんだった。俺が知らんかっただけで、今「キセキノハナ」って新曲もヒット中なんだそうな。なんか見た事あるような・・・とは思ったんだよなー。で、歌の素晴らしさにも納得。

「日米野球2002」最終第7戦。イチローの4打数4安打の大活躍などで、大リーグ選抜が4-2と勝利、3連敗の崖っ淵からの4連勝で逆転のシリーズ勝ち越しを決めた。う〜ん、さすが大リーグ。
シリーズ通じての感想としては、3連敗で後が無くなってからの本気モードの大リーグ選抜が見られたこと、憧れの選手たちと対決出来る喜びにキラキラ生き生きとプレーする、日本選手たちの「野球少年丸出し」な表情が見られたこと、この2つが印象的でした。面白かった!

2002年11月16日
極真会館主催「第34回オープントーナメント全日本空手道選手権」をTV観戦。決勝は大方の予想通り「数見肇 vs 木山仁」の大一番となった。過去2大会には不在だった孤高の戦士を倒して3連覇を果たし、名実共に真の王者となる事を狙う木山選手。対して、99年の世界大会でフランシスコ・フィリオ選手に敗れて以来、闘いの場から距離を置き、体調不良も伝えられる数見選手は今大会に復活を賭ける。試合は、2人の気迫が正面からぶつかり合い、張り詰めた緊張感が漲る厳しいものとなった。序盤からお互い一歩も引かぬ積極的な攻防。決勝に勝ち上がるまでの試合では、右足甲に負った骨折のため得意の右下段蹴りを封印していた数見選手だったが、この試合は違った。負傷した右足でもビシビシ蹴っていく。その圧力にやや押され気味だった木山選手だが、やがて次第に流れを掴み、果敢な攻めで盛りかえしていく。切れ味鋭い上段回し蹴りを決めてみせる場面も。試合は本戦3分では決着がつかず、2分の延長戦に。だがこれを戦いきってもなお決着がつかず、さらに再延長へ。まさに死闘だ。
結局、判定3-0で数見選手がこの勝負を制し、4年ぶり5度目の日本王座を獲得した。見事返り咲いた「極真の不動明王」曰く「戦場に行ったら、片腕片足もがれようとも、勝って帰ってこなくてはならない。そんな状況で戦っている。」のだと。いやまったく強いわ!参りました(伏崇)!

これだけは絶対!と観る気満々だったのに、うっかり上映期間を過ごし見逃してしまったエミール・クストリッツァ監督の新作映画「SUPER 8」。大阪での上映期間は昨日までと気付いたのが今夜だった(涙)。傷心を抱いて深夜テレビを眺めてたらなんと、終わったはずのこの映画のCMを流しているのを目撃!あれっ期間延長してるのか?ラッキー!それなら明日見に行こう絶対行こうと思い、時間割を調べるべく梅田ガーデンシネマのWebサイトで上映スケジュールをチェックしてみたところ・・・、そんな期間延長などどこにもまったく無い!やっぱり「SUPER 8」終わってるやん!CM流したテレビ局(どこの局だったか失念)と配給会社め〜、シッカリしてヨ!一瞬期待に色めき立ってしもたではないか〜(怒泣)。とくに配給さん、終わった映画宣伝して広告料もったいないヨ!

「日米野球2002」第6戦は、大リーグ選抜が先発全員の18安打を打ちまくって3連勝。対戦成績を3勝3敗の五分に戻した。全日本では「リトル・マツイ」こと西武の松井稼頭央選手が1人気を吐き、左右の打席(!)での2本塁打、盗塁も決め、守備では3併殺をさばいてみせた。試合は12-7で大リーグの勝利。

2002年11月15日
プロ野球、広島カープからFA宣言していた4番打者・金本知憲外野手が阪神タイガースに移籍。阪神は他にもまだ近鉄・中村紀洋選手や横浜・ペタジーニ選手にも食指を伸ばしているようだ。このぶんだと来季のタイガースは強くなるんだろうなあ、・・・巨人みたいに・・・。チームの「顔」的な主力選手をトレードでポンポンやり取りする、昨今のプロ野球チームのこういう補強の仕方って、なんだか好きになれない。

「日米野球2002」第5戦。ウルフ投手(フィリーズ)が全日本選抜を完璧に押さえ、4-0で大リーグ選抜が連勝した。大リーガーもようやく本調子が出てきた感じ。試合前のホームラン競争「松井(秀)vs ボンズ」では、松井選手になかなかサク越えが出ないのを見かねたボンズ選手が、松井選手の肩を揉むパフォーマンスを見せて笑いを誘った。結果は各20スイングして8本-5本でボンズ選手の余裕勝ち。

2002年11月14日
仕事でアイディアに行き詰まる。こーゆー時は何時間机に向かっててもダメ。ひとまず締め切りの事はしばし忘れ、諦めて散歩に出かける。でも、こーゆー時は何回気分をリフレッシュしてもダメ(暗笑)。

「日米野球2002」第4戦。ボンズ選手の逆転満塁本塁打が飛び出して、大リーグ選抜が6-5と接戦を制した。打つべくして打つ、この千両役者ぶりにシビれる〜。打球がまるでピンポン玉みたい。全日本では中村紀洋選手が2試合連続の本塁打。おそらく来季から大リーガーな巨人の松井選手は、ちょっと意識し過ぎで硬くなってるのか調子があがらない。生真面目くんだなあ・・・。でもそんな君が好きさ。

2002年11月12日
今日も「日米野球2002」。第3戦は序盤から打撃戦となったが、全日本が8-6で逃げ切り3連勝した。FAで話題の中村紀洋選手(近鉄)が、本拠地大阪ドームで先制の本塁打。松井選手(西武)も4安打の大活躍。いずれ行くかも知れない米国チームにきっちりアピールしてみせた。ボンズ選手、ハンター選手(ツインズ)もそれぞれ2号本塁打を放った。が、大リーグ選抜チームはどうもイマイチ調子が出ていない感じ。

2002年11月11日
「日米野球2002」第2戦。昨日イイところが無かったボンズ選手がいきなりバカでっかいホームランをかっ飛ばしド肝を抜いた大リーグ選抜だったが後が続かず、投手陣が全日本選抜の集中打を浴びて結局8-2で全日本に連敗した。最優秀選手は、昨日に続き2本目の本塁打を放ったカブレラ選手(西武)。本当なら自分もそこにいるはずだった「大リーグ」相手に存在感を見せつけた。嬉しかっただろうねー。

2002年11月10日
「日米野球2002」第1戦。フォークボール切れまくりな巨人・上原投手の巧投が光った全日本選抜が、8-4で先勝。ボンズ選手はなんと3三振を喫した。選手達みんながとても楽しそうにプレイしているのが印象的だった。イイ感じ。

2002年11月9日
日米プロ野球対決の前哨戦「大リーグ選抜 vs 巨人」の試合は、投・打・守すべてに巨人を圧倒した大リーグ選抜チームが完勝。バリー・ボンズ選手(ジャイアンツ)、ジェイソン・ジアンビ選手(ヤンキース)は共に2本ずつキョーレツな本塁打を放った。バットスイングの早さ、打球の弾道がもー全然違います。すげー。

ドイツで行われたフィギュアスケート・ボロスト杯女子シングルで、トリプルアクセルを成功させた恩田美栄選手が初優勝。

2002年11月7日
日本精神科病院協会の全国集会に出席した木村義雄厚生労働副大臣が「医療市場を狙っているユダヤ人のような我利我利亡者がいる」などと酷い差別暴言を吐く。常から思いもせん事はポロッと口から出て来ません。こんなヤツばっかりか、あんた達ゃー(怒)。

2002年11月6日
この銀河系の中心にはブラックホールがある、という確実な証拠が観測されたらしい。日米2基の人工衛星からの観測によると、銀河中心に太陽の100万倍以上の明るさでX線を出す天体があるんだと。最後の最後には、銀河系全体がここへ向かってクシャッと圧縮されて潰れちゃうんだろうか。うへぇー。

2002年11月5日
フジ系「怪談百物語」第七話「かぐや姫」が良かった。ストーリーは「『竹取物語』の新解釈版・『仮面の忍者赤影』風味」って感じで、ややアワワな出来だった気もするが、そんな些細な事はこの際どないでもエエとしょう。大事なのは主役のりょう演じるかぐや姫が、妖艶で且つ儚気なのにも拘らず禍々しくて、とにかくめっちゃ魅力的で俺のハートにワンツーパンチやったっちゅう事だけなんやからネ(惚)!
うおーりょうちゃんサイコー。俺と誕生日が一緒なのもきっと何かの縁なのでしょうそうに違いない(年齢は大幅ギャップかと思われるが)。あんなラブリー・ダイナマイツなかぐや姫にツレない素振りでお願いとかされちゃったら俺だって、はなから在りもせん龍の玉とか探しに地の果てまでも行ってまいますやろな絶対に。この「かぐや姫」の回の分だけ絶対DVD購入決定うそ。

プロ野球、近鉄バファローズの主砲、中村紀洋選手がFA宣言。ここはひとつ大リーグ挑戦を!さもなくば近鉄に残留してくれなさい。巨人は当然の事、阪神にも行ったらあきません。

2002年11月4日
新聞の折り込みチラシで「『高級オフィス用チェアー』\29,800 が \5,800!5台限り!」という特売を見つけた。写真を見れば、背もたれや座面の形がキチンと身体をホールドしてくれるようになっていて理想的。「首といい腰といいとにかくやたら背骨ヨワヨワな俺の求めていたモノはこれやっ!」といきり立ち、鼻息も荒く朝イチで隣町のディスカウント店へと出かける。寒い中を1時間近く開店前から並んだかいあって、なんとか5台のうちの1台をゲット。展示用の見本に座ってみた感じも至極良好で、今使ってる安物(\1500也)とは雲泥の差だ。背もたれも高くて頭の後ろまでカバーでき、不意に睡魔に襲われた時のアクシデンタルな居眠りにも安心の完全対応なのだ!ついに俺のガラスの腰に安寧の日々が!
・・・駄菓子菓子、俺はここで喜びのあまり大事な事をひとつ忘れていたのだった。そのイス、豪華仕様だけあって、なんと重量が20kg以上もありチョー重いのだ。そしてその巨大なダンボール箱を背骨ヨワヨワな俺自身が家まで運んで帰らねばならないのだ。送ってもらえばいいじゃん!てな声が聞こえる気がしますが、だってお金かかるんだもん(ドケティー)。そして疲労困憊のあげくなんとか帰宅する頃には、案の定、すっかりキッチリ腰痛を再発してしまっていた俺なのだった・・・。
♪なんの〜た〜め〜に〜・・・♪(←「大都会PART III」挿入歌「日暮れ坂@渡哲也」:涙)

・・・でもまあ、そんなワケで今は、腰痛に苛まれつつ苦心惨憺の末に見事組みあがったそのゴージャスチェアーにすっぽりと包まれて、心地良くMacに向かっとります。背もたれや座面はじめ各部の角度と高さがワンタッチでフワーっと調節できて快適、快適。うーん、こりゃイイ買い物じゃったわい(憩)。

2002年11月3日
カナダでのフィギュアスケート大会「スケートカナダ」男子シングルで、本田武史選手が2種類の4回転ジャンプを成功させて見事初優勝。いやー強くなったっす。

2002年11月1日
かつて南海ホークスの本拠地であり大阪ミナミの象徴でもあった大阪球場の解体作業が始まった。近年はスポーツやイベントに使われる事もなくなって、異色の住宅展示場としてだけ存在を許され、無惨な姿を晒してた(涙)。近接する、ヨシロー思い出ありまくりの場所「大阪球場スケートリンク」もとうとう昨年閉鎖されちゃったしバリ寂しぃー(泣)。

プロ野球、巨人の松井秀喜選手がFA権を行使し、大リーグへ移籍の意志を表明。会見でのコメントに、伝統あるエリート球団の4番打者としての苦悩が滲み出てて、その各方面への気遣いと必要以上の自責に、見ていて気の毒になっちゃいました。これからは世界の怪獣がウヨウヨいる大リーグで、余計な事に煩わされずノビノビ大暴れしてもらいたいもんです、日本が誇るゴジラには。

2002年10月31日
NHK「みんなのうた」の「テトペッテンソン」をデジタル録画しようと、「メグちゃん2世号:PowerMac 6300/160」を久しぶりに引っぱり出してきて(メインで使ってる「Mac爺さん:G3DT266」にはビデオ取り込み機能が付いてないため)キャプチャーすべく待ち構えていたところ、NHK大阪がBSの全国ご当地特番「おーい、ニッポン」の大阪特集の回のために製作した「お好み焼きファンキーソウル」というちょっとアイタタタな感じの音楽クリップに放映が差し換えられていた。コレ放映のために大阪ではしばらく「みんなのうた」は休みになるらしい。ふざけんなー(泣)。

2002年10月30日
日本シリーズ第4戦。2-2の同点で迎えた6回、西武はそれまで好投していた西口投手を替え、マウンドに松坂投手を送ったが、これが裏目に出た。高橋(由)選手への死球に始まり、走者を溜めてからのタイムリー連打を食らってあっさり3点を奪われてしまった。確かに怪物・松坂投手の「ポテンシャル」は西口投手をも上回ってるかも知れないけど、今季のブランクや第1戦での実績を考慮した「現時点での総合的な実力」でいえば、ここでエース西口から松坂へ交代って手は無かったんじゃないか〜。伊原監督は松坂の生来の強運・華の部分を信じて「リベンジ」への舞台を用意したんだろうか〜。なんだか今シリーズの西武にはこういう「賭け」的な采配が目立った気がする。結局、まったくイイところ無く4連敗・・・。今日の巨人は斉藤選手がホームラン、適時打を含む3安打と大当たり。高橋(尚)投手も好投した。攻・走・守、何もかも巨人が上回っての完全勝利だった。アンチ巨人な俺(好きな選手もいるけどね)としてはまったく悔しいって事この上なし。スター選手以外のみんなにもやる気を出させる原監督の手腕は確かに評価に値するだろうけど、あのケタ外れに圧倒的な戦力を持ってすれば当然ともまた言えるだろう。昨年優勝できなかった前任のカントク某ミスターはテレビ中継で楽し気に解説なんかやってました(笑)。

2002年10月29日
日本シリーズ第3戦。元西武の工藤投手が投げ元西武の清原選手がホームランを打って10-2で巨人の圧勝。西武ファンの心中いかばかりか(涙)。二岡選手は今試合での満塁ホームランを含む3試合連続の猛打賞。西武の選手はなんだか自信喪失してしまったようで、シーズン中にはないようなミスが何度も出てた。巨人まったく強し。

2002年10月28日
大阪市の中之島中央公会堂がリニューアル工事を終えめでたく完成。一般公開されたので、さっそく訪問。この中央公会堂は赤レンガの美しい外観を持つ大正期ネオルネサンス様式の洋館で、老朽化のため一度は取り壊しが決まっていたのを、市民の保存嘆願の署名・募金によって改修されたという歴史的建造物だ。改修工事が始まるより以前に何回か中に入った事があったんだけど、その時はもう木造部分が朽ちてたり、壁の漆喰が剥がれ落ちてたりとボロボロで、もう1度大きな地震でもきたら、ひとたまりもないような悲しい雰囲気だった・・・。でもリニューアルした公会堂は、大正時代の建築の美しさを充分残して生かしながら、見違えるようにキレイになってた。コンサートホールやいくつもの豪華な部屋、ステンドグラス、日本の神話を題材にした天井画などなど、見応え十分でした。
・・・というワケで<愛機QV-10(2代目)で撮った写真を見る>

2002年10月27日
tanomi.com(たのみこむ)」の商品企画室「たのつく」にて「モスクワの味『パルナス』のBGMのCD化とCFのDVD化」が賛同者募集中。当然俺も賛同に1票。ここを見てる関西人のみなさんも、ぜひ賛同してあげてくださいまし〜。

日本シリーズ第2戦。桑田投手の巧投に西武打線が翻弄され、9-4と巨人が圧倒。昨日は不発だった松井(巨)選手も、3本のタイムリーヒットを打ちまくって大活躍だった。終盤にカブレラ選手が2試合連続のホームランを放つも、いかんせん焼け石に水。巨人強し。

2002年10月26日
プロ野球日本シリーズ「巨人 vs 西武」第1戦。上原、松阪両投手の投げ合いで幕を明けた試合は、上原投手の力投、清原選手が放った東京ドーム左翼の看板直撃の超特大ホームランなどで巨人が圧倒。西武は最終回カブレラのホームランで一矢を報い4-1としたものの、完封を免れるので精一杯といった印象だった。清原談「血管キレそうなくらい興奮しましたわ。」ここ一番、必ずオイシイとこ持ってく。スゴいやっちゃ。

2002年10月25日
最近、伝説の関西芸人があいついでTVCMに登場してる。1つは「チロルチョコ」の「チロル栗チョコ」のCM。この中で栗の着ぐるみを着て出演中なのが濱根隆氏。「主な収入源の副業」として日頃は焼き芋屋さんの屋台を引っ張る異色芸人だ。CMでも連呼してる「びっくりくりくり、くりっくりっ」、西川のりおが全国区にしたこのギャグの本家本元がこの人なのだ。
もう1つがNTT西日本フレッツADSLモア」のCM。元宝塚男役の美女、天海祐希さんと意外や息の合った夫婦漫才を披露しているのはテント氏。どういっていいのか説明不能なシュールな一人芸の世界を突っ走る孤高の奇人なのだ。
・・・というワケで<そのCMの様子をヒミツで見る>

2002年10月24日
第40回ニューヨーク映画祭で、イラン人のアッバス・キアロスタミ監督が入国審査によりビザが手に入らず参加を断念。これを知ったフィンランドのアキ・カウリスマキ監督は「キアロスタミ監督は、世界中で最も平和を希求する1人。彼がイラン人だからとビザが出ないのなら、このフィンランド人も無用だろう。世界の文化の交歓を妨害して何を残すのか。武器の交換か?」と抗議の不参加表明を行った。ワシも同感じゃー(憤)。

モスクワのミュージカル上演中の劇場にイスラム武装勢力が突然乱入して、観客、俳優など700人を人質に占拠した。犯行グループは、ロシア軍のチェチェンからの撤退を要求。

2002年10月19日
タカナシに引率されて(笑)イーダ、ドゲどーんと共に名古屋に繰り出し、昨年に続き今年も「大須大道町人祭り」を見物。この日はあいにくの雨模様。会場の商店街にアーケードはあるけど、広場など屋外が舞台になってる事も多い。雨の中の大道芸は、見物客にとっても芸人さんたちにとってもイロイロ難しいのだ。道行く人が立ち止まらなくなるし、たとえ足が止まっても、地ベタが濡れて座れないため前列の客も立ちっぱなし(そのうえ傘を拡げたりもする)なので、後ろの客まで芸が届かない。濡れた手元が滑るため失敗も増えるし、演目によっては危険も伴う・・・。なーんて心配してたけど、それは全くの杞憂で、芸人さんたちは雨の中でも素晴らしいパフォーマンスを披露してくれていたのだった。

パンフのスケジュール表を検討しながら昼食をとった後、まず観に行ったのは、女性ジャグラー・ミス・サリバンさんのパフォーマンス。彼女の演技はなんとも愉快でキュートでサイコーなのだった。バルーン、各種ジャグリング、一輪車・・・と、技は多彩で安定感も抜群。その上ダンスやアクロバットもこなすしトークも冴えてる。ピエロの扮装した中村玉緒さんが見事に玉乗りしたり一輪車に乗ったりしてる、ケイ・オプティコム「EO 64エア」のTVCM(関西ローカル)、アレはサリバンさんの姿に玉緒さん顔をCGでハメコミ合成したものなんだって。パフォーマンス終了後、投げ銭渡しに行ったらニッコリ笑顔で握手してくれました。すっ素敵だっ・・・(惚)。(今日の日記の最後から写真ページに行けます↓)

次に観たのは雪竹太郎さんの「人間美術館」。あいかわらずの独特のまろやかな物腰と口調で、不思議な空間を作り出している。次々に形態模写してみせる古今東西の有名な絵画や彫刻に見物客は大喜び。でも途中で雨が本降りになってきて、ちょっと中途半端な感じで終わっちゃった。お客さんは満足してたけど、雪竹さんは心残りそうだった。あと、ちっちゃい子供が多かったので「人間美術館」みたいな、どちらかというと大人向けのネタは演り難かったカモ。(写真ページあり↓)

それから万松寺前での「ちんどん通信社」さんの歌謡ショーを観る。「全国ちんどん博覧会」の中心人物であり、その世界ではチョー有名人な林幸治郎さん率いるちんどん屋さんの楽団だ。昔懐かしいチンドンとゴロスの響き、なんとも言えない和洋折衷な心暖まるサウンドに、しばしゆったりまったりリラックス。アコーディオン弾きのTAMAさんは「星の流れに」「ヨイトマケの唄」みたいなトコを情感たっぷりに唄い上げて喝采を受けてた。あとペット吹きの社長、林さんがリードボーカルを務める際に左手に持った歌詞カードを堂々と見ながら唄ってるのは目からウロコというか衝撃的でした(笑)。(写真ページあり↓)

「ちんどん」の後を受けて登場したのはチャンバラコント「PPカンパニー」。このトリオ、ある意味で今回の大須で最も俺の心にパンチをブチ込んだ芸人だったと言えるかも知れない。驚くべき事に、コントであるにも関わらずネタ全編を通じて全く「笑いどころ」が無い!舞台のしょっぱなに鞍馬天狗風キャラが、電飾付きの黄色い頭巾で「ポ、ポン、ポンッ!」と意味不明のギャグのようなモノを叫びつつ現れた時には少しは期待もさせたのだが、なんとこのささやかな「出オチ」がこのトリオ最大にして唯一の笑いどころだったのだ!ネタは、ただなんとなく悪者とヒーローがチャンバラをし、その合間に3人それぞれが自分の持ち芸を唐突に披露するというワケわからん構成。水を打ったように静まり返る見物客に、焦りがモロに顔に出た3人はセリフもしどろもどろ。客イジりに打開策を見い出そうと子供を舞台に上げてカラもうとするが、そもそもツカミが出来てないので冷たくソッポ向かれる始末。その度を越したつまらなさに、怒って投げ銭を放り投げ悪態つきながら帰って行くお爺さん(やり過ぎ)まで現れ、とてもコントの舞台とは思えない殺気と緊迫感溢れる状況が現出した。ついには「オッ、これは何をしてるのか?ん〜、ん〜、これは〜、・・・重量挙げですね〜。オッ、上がった!重い重い!」などと、1人がパントマイムしてるのを別の1人がマイク握って言葉で解説してのけるという、「パントマイム」という芸の存在意義を真っ向から完全否定した衝撃の超荒技まで炸裂!「ちんどん」の時はあれだけいた大勢の見物客はあっという間に、立ち去るタイミングを逃したほんの数名と俺たちだけに。冷や汗かきながら必死で舞台を務める3人だが、彼らが頑張れば頑張るほど場の空気はグングン底無しに冷えていく・・・。だがそんな状況を見ているうちに次第に毒がまわってきて、俺たち4人の笑いに対する感覚はマヒし、なんだかこのコントが本当にオモシロイかのような狂気じみた錯覚に陥りつつあった。ミョ〜な可笑しさが込み上げてきて顔はうっすら半笑いに。「ウケ」に飢えたトリオがそのかすかな「半笑い」を見逃すはずがない。満面の笑顔を浮かべて俺たちの目の前にポジションを取り「救世主」な俺たち中心にかまい始めるトリオ。そのまま俺たちはその場を立ち去る事もできずコントの最後までしっかり見届けるしかなかったのだった(泣笑)。
今まで体験した事のない奇妙キテレツな演劇空間・・・。でももう1回観ろと言われたら断固としてお断りするんだけども。(写真ページ無し)

気を取り直した俺たち一行は次に、インスタントな特設サーカステント(ちゃんと柱で建ててるんじゃなくて、天幕をまるごと大きな建設用クレーンで吊り上げてる。雨を気にしなくていいので楽チンでした。)に移動し、清水芸人さんのパフォーマンスを見物。彼は、どこでもその場にサッと支柱を組んで、見事な綱渡りの芸を見せてくれる大道芸人だ。金属パイプ2本をX形に組んだ物を2組作り、それを4mばかり離した場所に立てて支柱にする。そしてその支柱に渡したロープを、その場で選んだお客さんの男性数人に綱引きのように引いてもらって張って、そのロープの上にヒョイと登っていろんな技を披露してくれる。清水さんはコレをさりげなーくこなすんだけど、モノ凄い集中力とバランス感覚が無いと出来ない技だよなあ。名人芸です。(写真ページあり↓)

すっかり日も暮れ、雨が全然やむ気配もない中、今度は大須観音へ場所を移して暗黒舞踏集団「大駱駝艦」による「金粉ショウ 」を見物。鮮やかに赤い大須観音がライトアップされて闇に浮かび上がる威容はまさに、これぞ名古屋!という派手派手さだがや。やがて正面の大階段に全身金色に彩られた裸の男女総勢10名が現れると、観客から「おおーっ」と感嘆のどよめきが起こる。ライトにキラキラと照り映えて妖しくうごめく姿はさながら生きた金色の仏像のよう。たいまつを手に炎を操りながら幻想的な舞踏は次第に激しさを増していき、最後は全員が横一列に並んで両手を振り上げ、階段を一段ずつ踏みしめながら観客の目前に迫る。強烈なインパクトと感動を残しつつ、場内が暗転してパフォーマンスは終了した。
なかなかに愉快だったのは、ついさっきまで威圧的とさえ言えるような雰囲気を漂わせて踊っていた演者たちが一転、カンカンを持って観客の間に割って入り、金ピカの笑顔で「お願いしまーす」「ありがとうございまーす」と投げ銭を募って回る姿。1人の男性演者は「スゴーイ!」「ピカピカだよー」などと騒ぐコギャルの群れに取り囲まれ、カメラ付き携帯電話で撮影されまくってしきりに照れてました。(写真ページあり↓)

この日最後に観に行ったのは、ふれあい広場でのギリヤーク尼ヶ崎さんの舞踏。いつものように淡々と、整った美しい仕草で支度をすすめるギリヤークさん。72歳の高齢とはとても思えない、あいかわらず若々しい肉体だ。大須でも多くのファンがいて「ギリヤーク!」「待ってました!じょんがら!」とさかんにかけ声が飛ぶ。2000年10月14日のカクレガ日記を読んでもらえばわかるように、俺にとってもギリヤークさんへの思いは特別な物。大道町人祭り見物の最後はギリヤーク尼ヶ崎で締めないと済まないのだ。「夢」「白鳥の湖」「じょんがら一代」「念仏じょんがら」と、次々に十八番が披露されていく。雨のため、いつもより少なめの演目となったが、そのぶん1つ1つの踊りに込めた気合いがビリビリと凄まじいのが見ていて分かる。俺のすぐ前には初めてギリヤークさんを見たらしいカップルが立ってたんだけど、そのカレシのほうが、最初は変な老人の演じるバレエもどきの踊りに失笑まじりに「オイオイ・・・」なんて失敬なツッコミ入れてたのが、演目が進むうち舞踏の迫力に魅入られたか、やがて力いっぱい拍手をし始めた。そしてカノジョに「なんかようわからんけど、凄いな・・・」と一言つぶやいていた。踊りが全て終了した後は普段の穏やかな表情に戻ってその場に座り、ファンの人たちとしばしお話をするギリヤークさん。俺もそこに混じって話を聞いた。昨年9.11テロの犠牲者を悼んでニューヨークに渡り公演したのに続いて、今度はアフガンに出かける予定でいるとの事だった。あと印象的だったのは、つい数日前に東京新宿署に通算六十何回目かの逮捕をされた、という話。東京都では石原慎太郎知事のアイディアで、大道芸人のライセンス制が導入されている。ギリヤークさんはこの制度を無視しているのだ。俺はニュースでこのライセンス制導入を知った時「イイ事じゃん」と思ったものだった。公共の場所にべったり座り込んでは雑談まじりにギターをかき鳴らし、所構わず大声で唄い散らかす、ミュージシャン気取りな迷惑ストリート族のここ数年の急増ぶりは目に余る物があり、常々「ダラダラ『練習』すんなら人目につかん場所でやりやがれ!」と怒りすら感じていたからだ。(10年以上前、俺もストリートで歌ってた時期があるけど、時と場所と礼儀はわきまえてたし、路上でもきちんと「ステージ」と考えてた。もちろんそのへんをキチンとして真剣勝負で演奏したり歌ってるホンモノの路上ミュージシャン達は尊敬してる。)が、ギリヤークさん曰く「大道芸というものは、お上のお許しをいただいて『演らしていただく』ようなものではない。私の踊りは祈りだ。私は自分の心に従って、踊りたい時に踊りたい所でいつでも踊る。」と・・・。まったくその通りではないか!なんとも俺は浅はかだったね(恥)。今年も感動をいっぱいいただきました。(写真ページあり↓)

で、今年も夜はアイヅくんの部屋にドヤドヤと転がり込んで1泊。ゴメンね、アイヅ。(←デジャヴ)
・・・というワケで、傘をさしつつ雨に悩まされながら愛機「QV-10」で四苦八苦して撮ったピンボケ作品の数々が見られる写真ページはこちら

2002年10月17日
北朝鮮が、米朝枠組合意や核不拡散条約の締結後も、これを無視して核兵器の開発を継続していた事が判明。同国との交渉に、これでまた一層難しい問題が加わってしまった。まったく煮ても焼いても・・・(怒)。

2002年10月16日
トム&ペネロペ夫妻が仲良く自家用ジェット機で帰国。スーパーリッチは豪気だねえ。←これはどこが面白いのかというと、ペネロペ・クルスは「LUX」という石鹸屋の宣伝に出てて、その商品が「SUPER RICH」というシャンプーで、その商品名と、世界をまたにかけて自家用ジェット機なんかを乗り回したり出来るハリウッド・スターの「とてもお金持ち」なところとをシャレてスーパーリッ(以下略)

サッカー「キリンチャレンジカップ 日本 vs ジャマイカ」。ジーコ・ジャパンの初試合は1-1の引き分けに終わった。中田、稲本、小野、中村、の海外活躍組の中盤は魅力たっぷりだけど、まだちょっと息が合いきらずバタバタしてた感じ。

フジテレビ「天才柳沢教授の生活」放送初回を観た。あまり期待してなかったんだけど、これが意外や面白かった。強引なストーリー展開にやや破綻が見られるものの、松本幸四郎演じる柳沢教授のキャラクターが際立っていて引き込まれる。俺、子供の頃からああいう穏やかで揺るぎない人に憧れるんだよなあ。あそこまでいったら周りの人は迷惑かも知らんけど。画面構成やカメラワークも綿密に丁寧にケレン味たっぷりに作ってあってイイ感じ。来週も観ようっと(喜)。

同じくフジテレビ「HR」放送初回を観た。こちらは三谷幸喜脚本・演出による、定時制校を舞台にしたドラマ。「日本初の本格的シチュエーション・コメディ」なんて言われたら、米国ソープ・オペラの大ファンな俺としては、観ずにはいられない。この番組の作りは、スタジオ内に客入れをして、舞台での芝居と同じように、シーンの前後なくリアルタイムに物語を進め、それを客の笑い声と一緒に撮影してしまう形の、わかりやすく言うと「奥様は魔女」みたいな感じのドラマ。これがすごくライブ感があって、とても良かった。汗だくで演じる香取慎吾をはじめとする役者たちが、客の反応でどんどんノッてくる様が伝わってくる。30分を完全一発撮りらしいので、撮影スタッフの努力も並じゃないだろう。脚本も、シチュエーション・コメディを作るために満を持したという三谷幸喜の入魂の出来。安易な一発ギャグや飛び道具に逃げないキチンと筋を追った良質の笑いが連発される。毎回このレベルを保つのは至難の技だろうけど、今後にも期待が持てそう。来週も観ーようっと(喜)。

2002年10月15日
北朝鮮による拉致被害者の5人の、24年ぶりの帰国が実現。事前のさまざまな予測、憶測も、張り詰めた異様な緊迫感も、政府チャーター機のタラップに5人が姿を見せたその瞬間に吹き飛んだ。緊張した表情ながらも笑顔で手を振りながら階段を降りて来た5人と、涙を浮かべて迎え入れるご家族の方々との、言葉に出来ない万感の思いのこもった対面には、思わずもらい泣き。まだまだいると思われる他の拉致被害者も、1日も早く帰国できるようにと祈らずにはいられない。

ペネロペ・クルス姫路にあらわる。映画「ラスト・サムライ」(←なんだか)のロケで来日中のトム・クルーズに同行していたもよう。ひゅーひゅー、アチチだアチチだー(佐藤B作)。

2002年10月14日
吉本興業主催による、ピン芸人の勝ち抜きトーナメント「R-1ぐらんぷり決勝」をテレビ観戦。優勝はだいたひかる。ローテンションでアブノーマルなフツーっぽさ(矛盾)で、不思議な笑いを醸し出してた。あとヨシロー的には、ケンドー・コバヤシの「木綿のハンカチーフ」ネタ、指人形漫才のパペットマペット、意表をつくニュアンス物まねの友近、が印象に残りました。

インドネシア・バリ島の、超満員の大型ディスコで爆弾テロ。邦人を含む数百人の死傷者が出た。

2002年10月13日
テレビで初めてハリウッド版「ゴジラ(GODZILLA)」を観た。・・・つまんない映画だった(悲)。

鈴鹿サーキットで行われた「F1日本GP決勝」で、日本期待の佐藤琢磨選手(ジョーダン・ホンダ)が5位でゴールし、ついに見事初入賞を果たした。満面に笑みが溢れる琢磨選手への祝福の歓声と拍手で、鈴鹿はもー優勝したような騒ぎ。優勝はミヒャエル・シューマッハー(フェラーリ)でした。

テレビ朝日「ワールドプロレスリング」。14日に行われる「中西学 vs ボブ・サップ」の前煽りのためのビデオがケッサクだった。舞台はどういうワケか動物園。草食動物のオリの前でサップが優しい顔してなごんでいる。そこへ真鍋アナが「サップさん・・・」と現れ、なぜか対戦相手の中西選手の写真パネルをおずおずと差し出す。と、それを見たサップが突如野獣に変身!「ウオーッ!ナ・カ・ニ・シーッ!」と唸り声をあげてパネルを引きちぎる。・・・場面変わって、別のオリの前でサップが「ン〜、チュチュチュ・・・」と猫なで声で小動物を愛でている。そこへ「サ、サップさん・・・」と真鍋アナが中西の写真パネルを差し出す。それを見たサップが突如野獣に変身!「アアアアーッ!ナ・カ・ニ・シーッ!」と唸り声をあげてパネルを喰いちぎる。・・・と、この連続パターンでしばらく笑かしてくれました。しまいには写真パネルの中西の口の部分だけをちぎり取り、その穴から自分の口を出してウラ声で「ボク、中西。弱いでちゅ」みたいな事を言ってみたり。周囲が自分に期待してるキャラを完全に把握した上で、このしょーもない(←ホメてる)演出意図を充分汲み取っての適切な演技。この人、ホント頭良くておっかしい。これからも断然応援するぞ!サップ!

2002年10月12日
釜山アジア大会サッカー決勝「日本 vs イラン」は、1-2でイラン。前半は互角に渡り合ったが、後半、ともにミスからの2失点を喫してしまった。残念・・・。されど銀メダル。

2002年10月11日
ヨシローが表紙・挿し絵イラストを担当した本の発売が決まったんだけど、今日その見本誌が届いた。なかなかにボリューム感のあるリッパな本となっとります。この本は、ミネルヴァ書房時間の世界は不思議なことばかり(竹原弘・著/ISBN4-623-03663-4)」。高校生の女の子が異世界に迷い込んで冒険する、というファンタジー小説を面白おかしく読みながら、同時に哲学的観点からの「時間」の仕組み、捉え方などを学ぶことが出来る、ひとつぶで2度オイシイ(←古い)一冊となっております。東京、大阪などの大型書店には置いてるらしいので、よかったらお手に取ってみてくださいませ〜。(小声→)レッツ!立ち読みゴー!!10月30日発売です。

「K-1 WORLD MAX 2002」テレビ観戦。日本人選手もトップに名を連ねる中量級の大会だ。
メインは「魔裟斗 vs アルバート・クラウス」。魔裟斗選手が前回の雪辱を賭けて戦ったが、クラウス選手はやはり強かった。最終5Rは魔裟斗がやや追い込んだものの、それ以外では全般的にクラウスが主導権を握っていた。判定はドロー。
「小比類巻貴之 vs ピーター・クルック」は、小比類巻選手が一方的と言っていいほどローキックで攻めまくり、4Rにはハイキックでダウンも奪ったが、最終5Rにクルック選手の左フックをまともにアゴに受けてしまい逆転KO負け。詰めの甘い試合が続き、K-1でのポジション的にもヤバくなってきた。
この日一番印象的だったのは「須藤元気 vs キム・ジンウ」。ケンタのパーティーバーレルを頭にかぶった須藤選手は俳優の窪塚洋介らに付き添われて入場。試合はトリッキーな選手同士の対決で、ムエタイあり、テコンドーあり、しまいにはカポエイラの技まで飛び出す愉快な試合だった。最後は須藤選手が右バックブロー→左ストレート→右バックブローというクルクル回りながらの無茶なコンビネーションを見事に決めてKO勝ち。
あと、引退試合を見事に勝ちで締めた前田憲作選手、大阪プロレスから出場の村浜武洋選手のアグレッシブな攻撃も光ってました。

2002年10月10日
日本人からノーベル賞受賞者がもう1人。島津製作所勤務のまだ43歳の若さの研究員、田中耕一氏が、ノーベル化学賞に輝いた。受賞理由は「生体高分子の同定および構造解析のための手法の開発」の中の「質量分析法のための脱離イオン化法の開発」の功績が認められたもの。ヨシローには全くチンプンカンプンだが(あたりまえ)、田中さんらの開発したこの「ソフトレーザー脱離法」という分析方法によって、これまで分析できなかったタンパク質の立体構造や質量が判るようになり、革命的な新薬を開発できたり、細胞中でのタンパク質の働きなどをより詳細に知る事ができたりするようになったらしい。ノーベル賞というと、今までいかにもガクシャ、ガクシャした学者の人が受賞するイメージがあったんだけど、記者会見での田中さんは会社の作業服といういでたち。フツーの技術者さん、ていう雰囲気で、会見の真っ最中に奥さんからかかってきた携帯電話に出ちゃったり、スゴい人なのにアガり気味なのも新鮮でした。去年、小泉首相が放言して野依教授にたしなめられてた発言もありましたが(笑)、日本から年に2人のノーベル賞。めでたいっすね。

2002年10月9日
北朝鮮による日本人拉致問題で、北朝鮮が「生存」と回答した5人の被害者を日本へ帰国させると決定。ビックリ。本気なら喜ばしい事だけど、これからいろいろと大変になるんだろうなあ・・・。政府、外務省、がんばってくれ!

東大名誉教授の小柴昌俊氏が、素粒子「ニュートリノ」を検出する手法を考案して「ニュートリノ天文学」を築いた功績により、ノーベル物理学賞を受賞。地下1000mにタンク型の空洞を作り、その内壁に1000個の超高感度光センサーをびっしり敷き詰めて3000tの純水で満たす、という構造の巨大望遠鏡「カミオカンデ」を考案・建設して、実際にニュートリノを観測する事に成功した、あのハカセだ。その観測結果により「星が最期に爆発して超新星が出来る時、ニュートリノが放出される」という理論が裏付けられた。昨年11月に次世代の「スーパーカミオカンデ」が、故障した高感度光センサーの交換作業中、1本のセンサーが破損した衝撃波が原因で、連鎖的に半数以上のセンサーが次々と破壊するという大事故を起こしてしまった事も記憶に新しい。この時の小柴教授のショックはいかばかりか(悲)。現在「スーパーカミオカンデ」は何年もかかる修復工事中だけど、早く工事が終わって研究の再開ができるといいっすね。

2002年10月8日
トム・クルーズが関西国際空港にやって来た、自家用ジェット機で。ハリウッド・スターは豪気だねえ。一部泉州人たち(おもに御婦人がた)も大騒ぎ。今回の来日の目的、映画「ラスト・サムライ」(←なんだか)のロケは姫路、京都で行われるらしい。

2002年10月7日
大口スポンサーの関西興銀が破綻して資金調達が不可能となったため昨年開催できず、11年の短い歴史を閉じてしまった祭り「四天王寺ワッソ」。聖徳太子ゆかりの四天王寺にちなんで、日本と朝鮮半島の交流の様子を再現するこの祭りが、来年秋にも復活すると発表された(嬉)。「ワッソ」って、当時の衣装を再現した時代パレードが市内を練り歩いたり、四天王寺さんの境内にアジア各国の出店や屋台が並んだり、とエキゾチックな雰囲気がすごく面白くて、ヨシロー大好きな祭りだったのだ。大阪の企業、財団などの援助を得つつ、さらに市民のカンパを募る事で実現させるらしい。祭りの規模は多少縮小するようだけど、それでもまあよかろう(何様)。そーゆー事ならこんな俺でも小さな事からコツコツと、協力しましょうカンパ。やるぜカンパ。吹けよカンパ。呼べよカンパ!カンパよ、叫べー!(変身忍者カンパ)

2002年10月6日
先月の「南座」全焼火災の延焼で壊滅的な打撃を受けた「法善寺横町」の復興署名が始まっている。有名タレント、芸人さんたちもミナミの町に繰り出して署名を募っていた。さっそく俺も難波で署名。早期の復興を願っておりまする〜。

2002年10月5日
「K-1 GP 2002 開幕戦」をテレビ観戦。今日の目当てはもちろん「アーネスト・ホースト vs ボブ・サップ」の一戦。規格外のポテンシャルを秘めたサップ選手の岩山のような肉体を、K-1が誇る「ミスター・パーフェクト」ホースト選手のテクニックが、いかに崩していくのか。それが試合の興味の中心だった。すっかりサップファンな俺ですら、ホーストの「勝ち方」に興味を向けていた。開始のゴングと同時に左右フックを振り回し突進していくサップ。あっという間にホーストをコーナーへ追い詰める。しかしホーストは猛攻をかいくぐって逆に右ストレートの連打、体を入れ替えつつのローキック連打を的確にヒットさせ、サップの動きをピタリと止めてみせた。蹴りの痛みによろめき苦痛の表情を見せるサップ。ここまでは大方の予想通りの展開だ。ここからホーストが仕留めにかかると思った。だがサップはここでド根性を発揮。鬼のような形相でふたたび突進、体圧に任せてコーナーへ押し込む。ローキックで反撃するホーストだが、下がりながらの蹴りで威力が出ない。サップは左手でホーストの首元を押さえて(これは反則クサかった)強烈な右ストレート。これが効いて防戦一方となったホーストはガードの上からド突きまくられダウン。左まぶたが切れて出血したためドクターチェックが入る。このインターバルでサップのスタミナは完全回復。試合再開後サップは猛然とラッシュし2度目のダウンを奪う。必死で防戦するホーストだが、サップのパンチの重量にはガードも通じない。1RKOは免れたものの、終了のゴングと同時に大きく尻餅をついてコーナーに崩れ落ちてしまった。騒然とする場内。ここでドクターストップがかかってサップのTKO勝ちとなった。打撃の練習を始めて数カ月で、なんとK-1のトップ選手をノシてしまったボブ・サップ選手。頑健な肉体と運動神経だけでなく、今日の試合では強靱な精神力をも備えている事を立証してみせた。格闘界に久々登場のチョー凄玉っすわ(嬉)。

2002年10月4日
NHK「みんなのうた」で今月から放映されている歌「テトペッテンソン」がメチャクチャ面白い。カラフルな直方体や立方体などの立体図形がいっぱい現れてはリズムに合わせて、くっついたり、分裂したり、転がったり、展開したり、ハマり込んだり、並んで行進したりするミニマル・アート風の楽しいアニメーションにまず目を奪われる。曲調は、ボーイスカウトの歌集にでも載っていそうな雰囲気の、素朴で快活なキャンピング・ソング的メロディーで、それに、どこの国の言葉でもない不思議な歌詞が乗ってる。そしてこの歌詞がこの歌のキモで、子供の頃よく唄った「クイクヮイマニマニ」とか「アチャパチャノーチャ」みたいに、意味不明ながらも憶えて唄わずにはいられない呪文的ノリを感じさせる歌詞だ。多分そのセンを狙って意図的に作ってるんだろう。そしてそれを飄々とフワフワと唄っているのは井上順さん。
詩、曲、画面、そして歌手のキャスティングに至るまで、ウ〜ム、やるな!!と唸らせる。この歌の作者が誰なのか知りたいイヤ知らねばならぬのじゃ〜!と「みんなのうた」10〜11月分のテキスト本を買ってきて調べてみて、納得。仕掛人はあの「バザールでござーる」「ポリンキー」「だんご三兄弟」などのCMプランナー、御大・佐藤雅彦氏でした。言われてみれば「テトペッテンソン」のアニメには「小池屋スコーン」のCMや、ゲーム「IQ」に相通じる立方体感覚が横溢。まんまとヤラれた。参りました・・・(悔嬉)。

もう1つの気になる曲は谷山浩子さんの「そっくりハウス」。♪そっくりハウス おうちのなかに、そっくりハウス うちがある。そっくりハウス その中にまた おんなじおうち♪っていう歌詞なんだけど、これ聞いて、昔作った自分の作品「ドールハウス」を思い出した。

2002年10月3日
釜山アジア大会、柔道男子無差別級で井上康生選手が、自分よりひとまわり大きい選手たちを相手に、またも1回戦からすべて一本勝ちでの完全優勝。もはや強さが完璧の域に達しつつありますな。

2002年10月2日
北朝鮮による日本人拉致問題で、拉致被害者のうち、死亡と伝えられた8人の死因の説明が北朝鮮側からあった。だがその内容というのが、その人の暮らしぶりの報告とは矛盾する死因だったり、複数の人が同日に亡くなってたり、墓がことごとく洪水で流されてしまって遺体が無かったり、とウソ臭い点があまりにも多く、被害者の家族でなくても、とても納得できないモノだった。こんなずさんな報告をよこして、それでこの問題を終わらせられると思ってるとはナメた話だ。日本政府および外務省はがんばって、北朝鮮側の納得いく説明と拉致被害者の帰国を絶対実現させてもらいたい。

プロ野球、西武ライオンズのカブレラ選手が対近鉄戦で、王貞治氏の持つ日本プロ野球のシーズン本塁打タイ記録「55」本を達成。54本から後が難産だったけど「偉大な王さん」プレッシャーに耐えてついにかっ飛ばした。記録更新には残り5試合、可能性充〜分。

2002年10月1日
今年一番の大型台風到来。なんでも戦後最大級の台風なんだそうだ。ちょっとドキドキ〜(←よゐこ)。

2002年9月29日
札幌の西友で大変なパニックが起きた。そもそもの事の発端は、同店が外国産の豚ロースと牛タンを国産と偽って販売した事。それがバレて事態の収拾を焦り、27日から「偽装肉を買った人にレシートなしで返金に応じる」なんて言っちゃったもんだから、正当な返金の該当客だけでなく、返金詐欺目当てのニセ客が続々殺到した。普段絶対スーパーでお買い物なんてしないとしか思えない、とてもパンチの効いたオジサマや、カラフル頭に顔面穴だらけのオニイちゃんたちも大勢集合してて、怒鳴り散らしたり乱暴したりする始末。数人の警備員さんだけではとても太刀打ち出来ず、西友前は「この後とんでもない事態が!」「一体どうなってしまうのか!?」て感じの、すこぶる凶悪な雰囲気に。某番組と違ってヤラセがない分、本物の迫力だ。結局西友は、29日に返金をストップするまでに、実際の売り上げの4倍近く(該当商品の実際の売上額:1380万円に対して、支払額:約4928万円)にものぼる「返金」を剥ぎ取られる結果となった。つまり西友前に押しかけた人々のうち、4人に3人は肉を買っていないヤカラだった、って事。中には1人で数万から数十万円もの返金を主張して譲らないツワモノも多数いたらしい・・・(醜)。西友としては身から出たサビとはいえ、このあさましい仕打ちは酷いねえ・・・。


2002年9月28日
居間のテレビが壊れた。突然ブラウン管に映る画面が上下に圧縮され、幅5mm程の線になってしまった。真っ黒い画面のまん中に一本の水平線が映っているだけの状態・・・。いろいろ調整を試みるがダメ。どうやらブラウン管の電子銃が狂ってしまっているもよう。こりゃもうオシャカだな〜(涙)。とりあえず俺専用のテレビ(フナイ14インチ:7800円也)で代替する。俺の部屋に置いてる時は14インチでも小さくは感じなかったんだけど、今まで25インチがあった場所に置いてみるといかんせん画面がちっちぇ〜(悲)。当分はこれで我慢我慢。

2002年9月24日
プロ野球「阪神 vs 巨人」。今日の試合には巨人の優勝決定がかかっていて、巨人が勝つか引き分けで優勝、もし負けても2位のヤクルトが破れれば優勝、という状況だった。首位独走チームと、下位低迷チームの試合・・・。ただ「甲子園で原監督の胴上げだけは絶対見たくない」という阪神の意地が、この試合の空気に異様な緊迫感を吹き込んでいた。しかしそれでも入来投手の力投に阻まれてなかなか点が取れないタイガース。0-2とリードされて迎えた7回、ヤクルトが中日に敗れた事が甲子園にアナウンスされる。この時点で、もし阪神が勝ったとしても巨人の優勝、今日胴上げとなる事は確定してしまった。だが考え方を変えれば逆に、この試合を勝つ事で、巨人の「試合に勝って気持ち良く胴上げ」を阻止し、苦い「負けて胴上げ」を味わわせる、というせめてもの意地の楔を打ち込む事が出来る・・・。阪神の選手たちのモチベーションは萎える事がなかった。ここで今岡選手が1点差に詰め寄るホームランを放つ。そして1-2で迎えた9回裏。巨人は勝利へ万全を期して抑えの切り札・河原投手をマウンドへ送った。数分後の胴上げを思い描いてか笑顔がこぼれる巨人の選手たち。しかしこの絶体絶命の状況で、浜中選手の起死回生の同点ホームランがバックスクリーンへ飛び込んだ。ここで、目の前の勝利が急に遠のいた巨人と、遠かった勝利を引き寄せた阪神の、精神的優位性の逆転が起こったように思えた。そして幕切れは延長12回。一死満塁のチャンスに、先ほどの打席で同点ホームランを打った浜中選手に打順が巡ってきた。カウント1-1から前田投手が投げた3球目はストライクゾーンを大きく逸れ、キャッチャー阿部選手のミットをはじいて一塁ベンチ方向へ転がった。サードから今岡選手が両手を上げてホームインする。なんとサヨナラ暴投での決着劇。試合終了と同時にグラウンドになだれ込んだのは優勝を決めた巨人ナインではなく、サヨナラ勝ちの歓喜に沸く阪神ナインだった。甲子園は、まるでタイガースが優勝したかのような大騒ぎ。巨人の胴上げは、阪神ファンの1年の鬱憤を晴らすかのような「六甲おろし」フルコーラスの大合唱の後で、また優勝チームのヒーローインタビューも無し、という異例の事態が実現した。シーズン後半を惨めな状態で終えた弱小チーム・阪神タイガースが、無敵・常勝巨人に対して見せた今日の意地の逆転勝ちは、いつまでも忘れ難い1試合となった。

2002年9月23日
大阪市が8月に、住民票などを扱うホスト・コンピューター関連機器を新しくした際、過去の公文書データ資産のメディア移行をおろそかにしていたため、旧機器にしか対応していない磁気テープに保存していた8月以前の住民票発行記録などのデータを読み出せなくなったらしい。この問題を指摘された大阪市は「磁気テープは現在、組織的に使っていないため公文書ではない」との理由で、読み出し不能となってしまったデータに関する開示請求を門前払いしている。・・・って逆ギレかい!データを何か新しいメディアに変換・移行してればまったく何の問題も無かったはずなのにねえ。この件の担当者さん曰く「保管の予算がないため、(古い)機器の廃棄は決まっていた。事前にデータを変換することは思いつかなかった」んだそうだ。で、例によって詫び関係は一切無し。ひでー(驚呆)。

2002年9月24日
K-1ファイター日本人最強を決める「K-1 JAPAN GP 決勝戦」をテレビ観戦。全体的に日本人選手たちのレベルアップを実感した大会だった。優勝は武蔵選手。観客にはウケが悪いけど、堅実に勝ちを取りに行く安定した戦いぶりはあいかわらず。決勝で敗れたものの、中迫剛選手はすごく強くタフになっていて動きも切れていた。あと、どんなにダメージを負っても根性で倒れない富平辰文選手のゾンビファイト、日本人離れした筋肉マン藤本祐介選手の豪快なパンチが印象的だった。

日本人が主役のこの大会なんだけど、俺の関心はどうしても特別試合「シリル・アビディ vs ボブ・サップ」に。その規格外のスケールで結果の予想を許さないファイトを見せ、今、最も注目を集めているボブ・サップ選手。この日もやってくれました。ゴングと同時に突進し、あっという間にシリル・アビディ選手をロープ際へ押し込むと、ズシンズシンと問答無用のパンチ連打。アビディも必死で防御するが、ガードなんてまったく効果無し。身体ごと吹っ飛ばされるような重たいパンチだ。ほとんど何も反撃できないままダウン。その後はサップの怒濤の攻撃に半ば戦意喪失して思わず背中を向けるなど、なされるがままにパンチを受けてしまうアビディ。続けざまに2回のダウンを取られ、計3回のダウンで勝負は決した。1R1分17秒、サップの速攻KO勝利。しかしボブ・サップ、恐ろしいポテンシャルの高さだ。そのうえ試合以外のマスコミへの露出では「周囲が求める『野獣』キャラ」を巧みに演じるサービス精神と「空気が読める」ユーモア・頭の良さもあるし。早く次の試合が見たい〜。(←すっかりファン)

2002年9月20日
人間の等身大のサイズでは初めて、自分で起き上がったり、寝転んだりする動作が出来る人型ロボットが開発されたらしい。産業技術総合研究所川田工業が開発したこのロボットは、身長154cm、体重58kgの「HRP-2プロトタイプ」。なかなかチャーミングなルックスと動作です。<その様子をナイショで見る>

地球の周回軌道上で発見された未確認飛行物体が、'69年に打ち上げられたアポロ12号の一部だった事が判明。このままいくと、いずれ月に衝突する可能性が高いんだそう。なんか人情として回収してあげたくなるねえ。昔、祇園の映画館のオールナイトで観た「スタートレック・カーンの逆襲」を思い出したり。

2002年9月19日
宮城県歌津町の伊里前川でも、子アザラシが泳いでいるのが見つかる。あっという間に野次馬が集まりパトカーも出動する騒ぎになったらしい。この子はさっそく町名をとって「ウタちゃん」と呼ばれているそうだ。多摩川が「タマちゃん」なんだから伊里前川の「イサちゃん」となりそうなもんだが、この命名にはどうやら「川の名前をつけても町の宣伝にはならない」との政治的判断が下されたもよう(笑)。

2002年9月17日
日本・北朝鮮の首脳会談が行われた。その席で驚くべき事に、北朝鮮の金正日総書記が日本人の拉致を認めて謝罪したらしい。また不審船問題についても軍の関与を認め、今後同様の事件が起こらぬよう配慮すると明言。拉致被害者の方々の安否情報も発表されたが、これは5名が生存、8名が死亡、というショッキングな内容だった。北朝鮮が本気だとすればこの突然の路線変更は歓迎すべきなのだろうが、国が国だけに、にわかにはその態度や言葉を信じ難くも思う。これからの日朝間はいったいどう進展していくのか。そして拉致被害者の帰国は実現するのだろうか。

2002年9月16日
よみうりテレビ系「私立探偵 濱マイク」の最終回「ビターズエンド」に、なんとシオンが役者として登場、持ち前の異様な存在感で他の俳優たちを圧倒してた。格好も、普段ライブなんかで着てるのと同じような(おそらくシオン手作りの)衣装で、「この人ホンマにこんなヤツなんちゃうか・・・」と錯覚してしまうような自然に凶暴な演技でした。カッチョイイ〜。ストーリーはちょっと泣かせにかかり過ぎか。

ところで「濱マイク」も今日でとうとうおしまい。丁寧に作られてて緊張感のある、とてもレベルの高い良いドラマだった。この番組って「松田優作主演のテレビドラマ『探偵物語』みたいな味わいを持った作品を撮りたい」との永瀬正敏の思い入れから、それに賛同するスタッフが集まり、林海象の映画「濱マイク」シリーズを下敷きに製作されたドラマなんだそうで、映画やテレビやCMで活躍する新進気鋭の監督がそれぞれ1話1話を競作する、というユニークなシリーズ構成も見ものだった。ただ、役者さんや監督さんたちの「探偵物語」(あと「傷だらけの天使」もかな?)への愛情が強く出すぎて、それら過去のドラマの雰囲気に捕らわれ引きずられてしまってるなあ、と感じさせる事もしばしばあった。下手すりゃ現代風にアレンジしただけ、っていうか。「探偵物語」「傷だらけの天使」などのドラマが、放映当時の若者や世間に与えたインパクトと同じレベルの何かを、「濱マイク」は現在の若者や世間に対して持っていたかといえば、それは残念ながら否と言わざるを得ない。イイ意味でも悪い意味でも「レトロ」に過ぎたんじゃないかと。
とはいえ、ホントにすごく面白くて毎回楽しんで観てました。苦言は期待が大き過ぎたから、それだけ。

2002年9月14日
ドゲどーんと俺と、タカナシ宅に集合。幼い頃、母と夜なべした内職を思い出したりしつつ、あやしげな告知DM(謎笑)の封入作業に精を出す。ドゲどーんは来る途中で買った「カバヤ『世界名作劇場』ラムネ」のおまけフィギュアが意中のモノと違ったので俺にくれました。夜は梅田に出て飲み。

街全体が「ソーリャ、ソーリャ」のかけ声一色に染まる「岸和田だんじり祭り」。今年は祭りが始まって300年めなんだそう。どうりでひと月前あたりから、例年よりいっそうのハッスル電波が岸和田方面およびその出身者からゴリゴリ発散していると思った(笑)。だんじり祭りをローカル放送の中継なんかで観るのは楽しくて、派手で豪快なその様子には憧れに近い感情を抱く。今年は行かなかったけど、実際に見物に出かける事も多い。でもそれとは別に、チビの頃よく「男のくせに・・・」「もう、男でしょ!」などと言われがちなカヨワーイ男の子だった(現在はヒヨワーイおっさん)俺としては、ウチの田舎の祭りがこういう勇壮な男祭りでなかった事を感謝せずにはいられない。あんな勇ましい岸和田なんだからきっとカヨワーイ男の子なんて肩身狭いんだろうなあ・・・。 

2002年9月13日
大阪を代表する老舗レコード店「ワルツ堂」が倒産。社長は自殺してしまったらしい。なんとも悲惨な最期に、この知らせを聞いた時は絶句してしまった。馴染みのお店がどんどん消えていくよう・・・(泣)。

2002年9月12日
うどん・牛丼の「なか卯」が、親会社のモスバーガーから切り離され、総合商社ニチメンに買収されるそうだ。大学時代の下宿のすぐ近所に24時間営業の「なか卯」があって4年間通いまくってたせいか、牛丼は今でも「吉野家」よりも断然「なか卯」派な俺。新参「松屋」の女性人気、老舗「吉野家」の値下げ攻勢に挟まれ、いよいよ進退極まったか。またちょくちょく食い行くから、お願いだから潰さないでくれ〜。

2002年9月11日
奄美大島沖で昨年暮れ、海上保安庁の巡視船との激しい銃撃戦の末に撃沈された領海侵犯の不審船。これが9ヶ月ぶりに引き揚げられ、北朝鮮の完全武装の工作船である事が確実となった。

2002年9月9日
深夜の解体工事中だった道頓堀「中座」が爆発、全焼した。ミナミの繁華街のどまん中での惨事だった。約5時間後に鎮火するまでの間に、南隣の「法善寺横丁」や、東隣の商業ビルにも延焼し、大きな被害を出してしまった。周辺の商店街でも爆風でガラスが割れるなどしており、爆発の激しさがうかがえる。
歴史と由緒ある、大阪らしい情緒の残る一角として愛されてきた「法善寺横丁」の老舗・名店の数々が壊滅的な打撃を受けてしまった事には、本当に胸が痛む。俺もよく歩く大好きな町並みだったのに。原因はどうやらガス爆発らしいけど、なんでこんな酷い事になってしまったのか(怒涙)。なんとか復興を。

2002年9月9日
仕事の資料を探して本棚を漁ってたら、買ったまま忘れてた宝くじを発見した。もしや・・・、と思って、みずほ銀行のホームページで当選番号を調べてみたところ、なんと1万円当たってた。ラッキー!!
・・・神様は見たはる。ちゃあんと見たはるワ・・・(感謝泣)。

2002年9月6日
Dynamite !」をテレビ観戦。 「K-1」で有名な正道会館の石井館長が主催する総合格闘技イベントだ。この大会では、柔道五輪金メダリストの吉田秀彦のプロ転向第1戦が広く世間の注目を集めていた。

メインは「桜庭和志 vs ミルコ・クロコップ」。1R序盤から、ミルコ選手の左右のフックを受けつつ何度もタックルを狙う桜庭選手。が、冷静に対処しタックルを切っていくミルコ。ようやく左足を取りグラウンドに持ち込んだ桜庭だったが、ここでもミルコが完璧な防御を見せる。ここで1R終了。2R、ローキックを受けながら飛び込みテイクダウンしたが、逆に下からミルコのパンチを顔面に何発も受けてしまう桜庭。筋力差が大きく関節技に入れない感じだ。そのまま2Rも終了。ここで突然ドクターストップがかかる。右目を腫らした桜庭に「眼窩底骨折の疑い」の診断が下ってTKO負け。前回のヴァンダレイ・シウバ戦同様、パワー差の大きい相手との試合で、またも途中負傷。「日本のエース」的なポジションを期待され、体格的にキツい相手との試合が続く桜庭選手にちょっと同情。次は、優れた技術を充分に生かせる、体重差の少ない相手との試合が見たいなあ・・・。

セミは話題の「吉田秀彦 vs ホイス・グレイシー」。グレイシー柔術にとって「対・柔道」のリベンジマッチ(ちょうど50年前、無敵を誇った若かりし頃の総帥エリオ・グレイシーが、唯一の黒星を喫したのが柔道日本一の木村政彦だった)でもある一戦だ。おなじみのグレイシートレインで入場するホイス選手。対する吉田選手は、プロデビュー戦にもかかわらず貫禄さえ漂う余裕の表情。ところでグレイシー側はこの試合にも、ルールに対していろいろと注文をつけたのだが、その中に「道着着用」「顔面への打撃禁止」の要求が。初めての総合格闘技で打撃技未体験の柔道選手に対してこのルール、逆に自分たちに不利としか思えない(謎)。果たして試合は、体重・パワーで勝る吉田相手に正面から組み技で勝負にいったホイスが返り討ちに遭う展開となった。投げ技を嫌って、組み付けば即引き込みに入るホイス。だがバランスの良い吉田の体勢は崩れない。手足の長さと柔軟性で下から攻めるホイスと、それを切り返していく吉田、の形で技の応酬が続く。アキレス腱固めを仕掛けたホイスが、吉田にヒールホールドで切り返される場面も。やがて上になった吉田が両襟を掴んでホイスを強引に持ち上げ、リングに叩き付けた。すかさず横四方固めの体勢へ入る。こうなると体重の軽いホイスは苦しい。吉田は上から圧力をかけながら腕絡みを狙い、続けて縦四方固めへ移行。そしてホイスの首の下に右腕をねじ込んで通すと、自分の左の袖を持って締め上げた(「袖車絞」という技らしい)。ここで完全に動けなくなったホイスを見た吉田が「落ちた落ちた」と声に出してアピール。レフェリーが試合を止めた。
だが、この試合は特別ルールでレフェリーストップが認められていなかったため、試合後グレイシー側が「ギブアップしてない」と猛抗議。後味の悪さを残した。確かにギブアップはしていないし、レフェリーストップはルール外なのでジャッジにも問題アリだったんだけど、あの体勢からの逆転なんてあり得ない。この勝負、誰が見ても吉田選手の完勝だった。

この日最も印象的だったのは「アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ vs ボブ・サップ」。まず驚いたのはリングで対峙する2人の体格差。サップ選手はノゲイラ選手より2回り大きく、その人間離れした威容はまさに「筋肉怪獣」といったムキムキ、いやオモムキ。いかにノゲイラでもこの60kgもの体重差は無謀なのでは?と心配になる程だ。試合開始早々タックルを試みるノゲイラ。だがサップは力でこらえタックルを切ると、ノゲイラを逆さに吊り上げ頭からリングにたたき落した。パイルドライバーだ!大きなダメージを受けながらも必死でガードするノゲイラに、上からドスンドスンと重いパンチを落とすサップ。ノゲイラ、まさかこのまま秒殺されてしまうのか?しかしこのピンチをなんとかしのいだノゲイラは、活路を見い出すべく得意の寝技を繰り出していく。サイドポジションからアームロック。だがサップの腕の力が強く極まらない。三角締め、ヒザ十字と攻め立てるが、力任せに外されてしまう。逆にサップのパンチ連打を浴びてダウン寸前までに追い込まれるノゲイラ。ここで1R終了。現「PRIDE」ヘビー級王者相手に、圧倒的な破壊力と瞬発力を見せつけたサップ。パワーだけのただの大男じゃなく猛烈に強い!超満員の観客の戦慄の中、2Rが始まった。寝技が通じないと見たノゲイラ、今度は打撃で攻めるが、そのパンチもサップには効かず。むしろ圧倒的な筋力と体圧でサップに押し返される。ところがここにきてサップに異変が。急に動きが鈍くなり、苦しそうな表情を浮かべ始めた。これは・・・スタミナ切れなのか?わかりやすい、わかりやすいぞサップ!ついに訪れた勝機に、ヘトヘトになりながらも執念で技を出し続けるノゲイラ。最後はサイドポジションからサップの丸太のような左腕を取り、一気に腕十字を極めた。さすがのサップもこれは外せずとうとうギブアップ。2人の死闘に場内は総立ちで大興奮。モノスゴい試合でした。
それにしてもボブ・サップ選手、わずかな格闘歴でこの強さ。末恐ろしい〜(嬉)。そしてそんな怪獣相手に驚異的な技術と打たれ強さで、見事に一本取ったノゲイラ選手は、まぎれもなく現在最強!

あと、ジェロム・レ・バンナ選手を相手にあえてK-1ルールで挑み、殴られても蹴られても大振りフックでグイグイ押しまくったドン・フライ選手のブルファイターぶり(玉砕しちゃったけど)にシビれたり、なぜかアントニオ猪木がパラシュートで会場に降下してくる演出に呆れたり、「レディー・・・、ダイナマイッ!!」っていう試合開始のコールに爆笑したりと、中身の濃ゆ〜い大会でした。満腹。

2002年9月5日
淡路島、瀬戸内海国立公園内の「慶野松原(国の名勝指定)」に、上陸訓練中の海上自衛隊ホバークラフトが運転を誤り突っ込んで、松の若木を大量になぎ倒す事故が発生。国立公園の中なんかで、こんな訓練やってんだなあ。それにしてもダイナミックだねえ・・・(怖)。

呉の海上自衛隊所属の護衛艦「あおくも」の艦内から、防衛庁の機密文書がなくなっているのも発覚。担当者以外立ち入り禁止の船室で消えるって、明らかに盗まれてるやん!うへぇー(怖怖)。

2002年9月3日
庭にミョウガを摘みに出たら、花咲かせてました。初めて見た。珍しいのですかさず撮影。
<愛機QV-10(2代目)で撮った写真を見る>

2002年9月1日
経済産業省が「YS11」以来の国産旅客機を製造すると発表。計画では今後5年間に、三菱重工業を中心とした官民共同で、30〜50席の小型ジェット機を2機開発する予定らしい。いや〜プロジェクトXですな。完成したヒコーキの勇姿を早く見たい!

ジャズ・ビブラフォーンの巨匠、ライオネル・ハンプトン氏が逝去。俺は'30〜'40年代の頃のビッグバンドでのノリノリのジャンプ・サウンドが好きでした。♪Hey Ba-Ba-Re-Bop ! Yes, your baby knows !♪


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