「ヨシローのカクレガ」


カクレガ日記

2003年5月31日
隣町で起こった行方不明の女の子の事件、未だに手がかりも全く無しで、なんだかエラい事になってきた。報道関係者や、よく見かけるワイドショーのレポーターも押しかけて大騒ぎになっているようだ。これらに応対しなければならない、ご両親をはじめご親族や関係者の方々の気持ちを思うと本当にやりきれない。女の子の無事を祈り、1日も早く解決する事を願うばかり。

2003年5月27日
第7回手塚治虫文化賞。高野文子「黄色い本 ジャックとチボーという名の友人」が大賞を受賞(喜)。

2003年5月26日
東北地方で震度6弱の強い地震。

2003年5月23日
なじみの電気屋さんで注文してあった新しい冷蔵庫が届いた。プチ「ゴミ屋敷」と成り果てた我が家だが、配達&設置作業に来た電気屋さんの目に触れる部屋から、ガラクタを別の部屋のあちこちに突っ込んだり積み上げたりして「普通のご家庭」に偽装(←まあそれだけでもたっぷり数日費やしたワケだが:笑)。めでたく新品冷蔵庫の電源ONのはこびとなりました。近頃の冷蔵庫は冷凍庫が下段にあるのかー!とか、タンクに水を注いでおけば自動的に氷がジャンジャン供給されるのかー!とか新たな驚き満載。ヤレ嬉しや。

2003年5月22日
今年の阪神タイガースは強い。いや例年春先までだけならけっこう強いんだけど、今年の強さはそれとは明らかに違う。今日も金本選手の逆転本塁打で広島に5-4の快勝をあげ、5連勝。2位の巨人に7.0ゲームの大差をつけてペナントレースを独走状態だ。このままどこまで行けるのだろー。

2003年5月21日
わりとウチの近所の街で小学4年生の女の子が行方不明になったらしい。近頃凶悪な事件が続いてるので、なんだかイヤな予感がする。早く見つかって保護されますように・・・(祈)。

2003年5月20日
テアトル梅田にて「WATARIDORI わたりどり」を観覧。この映画は、渡り鳥の生態を淡々と捉えた記録映画でありつつ、観る者に押さえ難い憧憬を抱かせるような夢幻的な美しさをも併せ持つモノスゴイ作品だった。なにしろ発動機付きハングライダーにカメラを積んで、ハイイロガンとかオオハクチョウとか、その他モロモロの渡り鳥の群れに混じって大陸を大海原を一緒に渡って行くのだ。鳥たちと同じ目線で大空を飛翔して行くその爽快感!自分自身が鳥そのものになって鳥たちの仲間になれるというこの映像は、人類が飛行機を発明して自由に空を行き来できるようになった今も、ついにかなえられる事のなかった夢そのものではないだろうか。
とにかくもうね。高い空の彼方を飛んでるさなかの、鳥の羽ばたきの筋肉の動きとか風切る羽毛の震え具合とかハアハア荒い息遣いとか「あっ今ツバ飲み込んだ」とか超アップで克明に!地上から見上げると楽々と飛んでるように見えるけど、鳥たちにとっても「飛ぶ」って作業は全然楽じゃないってのがよく解る。2時間まるまる、まったく群れの中の一羽になって一緒に飛んでる感覚がリアル〜に味わえる素晴らしい映画です。テアトル梅田のゆったりした座席に座っていながら、マジ四肢が痺れるほどに感動した!
ただ、何でタイトルの「WATARIDORI」をローマ字で書かんならんのか、それは疑問(笑)。

2003年5月18日
お寺にて三回忌の法要。その後お墓で念仏をあげてもらう。お参りに来てくれた人たちに持って帰ってもらう御膳が届くのが遅れて段取りにテンテコマイ。親父は何も手伝わない。ってゆーかホンマは全部キミが中心になってやらなイカンやろ(呆)!肉体的にというより精神的に疲れ果てたので、俺と妹と母の三人はその夜とっとと帰宅。

こないだめでたくケッコンしたT君夫婦から新婚旅行のお土産が届いてた。感動的に立派な北海道産アスパラガス&ジャガイモ詰め合わせ。ありがとね。

また「チーズホームページ」ちーさんからは、お子ちゃま「泰河くん」の内祝が届く。お写真を拝見しましたところ、とっても元気かつ利発そうなお子でした。始まったばかりの君の輝かしい人生に幸あれ!

2003年5月17日
親父宅にお坊さんを招いてお念仏をあげてもらった。今日は「逮夜」の法要だからと親父に聞いていたのだが、家に来てくれたお坊さんによると「三回忌で逮夜は、偉い僧侶の方が亡くなった時などにはやりますけど、あんまり普通のお宅ではしませんなあ」との事だった。それ聞いて思い出したんだけど、そういえば一周忌の時来てくれたお坊さんも、仏壇の前に置いてあった、祖母が生前使っていた数珠の房の色が白いのを見て「こういう色はふつう徳の高い僧侶しか使わないですなあ」みたいな事を言ってたぞ・・・。もちろんウチは坊さんの家族でも偉い家系でも金持ちでもなんでもありません。とくに「徳の高い人」なんて1人もいません俺が保証します。それなのに、なんだこの見栄の張り方・・・。とっても恥ずかしいですね(涙)。あと、準備に後片付けにと、みんな忙しく動き回ってるのにモシュ親父はただ座ってるだけ。

日本での旅行から帰国した台湾人の医師がSARSを発病していると認定された。SARSの恐ろしさを最もよく理解しているはずの「医者」という立場であり、そのうえ自身もSARS患者を扱う病院に勤務していたというのに、自分がそれらしい症状を発症した事を隠して旅行を続けていたというのが本当に腹立たしい。ツアーの滞在地は大阪、京都、兵庫なんだそう(怖)。ここから日本にSARS蔓延、なんて事だけは勘弁願いたいっす。

2003年5月16日
父方の祖母の三回忌の法要の準備のため親父宅へ帰省。

2003年5月8日
冷蔵庫が壊れた。なんだか腐敗臭のような臭いが何処からかするなあ・・・などと思っていたら、それは正真正銘の腐敗臭で、しかも我が家のキッチンから漂っていたのだった。確かにウチの冷蔵庫、少し以前から冷えが悪くなったとは感じていたんだけど。これは困った・・・。いや、早く新しいのに買い替えればいいだけの事なんだけど、なにしろ我が家は「準・ゴミ屋敷」。ウチの女性軍が、今やガラクタの巣窟と化しつつある我が家のありさまを、馴染みの電気屋さんに見られたくないと主張するため、すぐには買い替え出来ない状況なのだ(涙)。かといって、あわてて掃除を進める様子もなし。まさか、このまま俺ひとりをゴミと格闘させるつもりなんだろうか・・・。これから夏に向かって冷蔵庫無しの生活は辛い・・・辛過ぎる・・・。頼むっ、片付けてくれ〜(暗)!

2003年5月3日
今日はいよいよ後輩T君の結婚式当日。俺も参加する二次会は、新大阪のビアレストランを貸し切って盛大に行われた。生来「幹事」体質なT君は、自分の披露パーティーなのにも関わらず全て自分自身で企画・プロデュースしてて、宴の最中もひな壇の上からあちこち忙しく指示を出している。苦労性である。
大学時代の懐かしい面々が再会したり、T君夫妻のご両親やご親族、職場の方々と挨拶したりと、なごやかな雰囲気でパーティーは進行していったのだが、俺とドゲどーんの2人は、余興コーナーの進行役を任されている事もあっていささか緊張。俺はビンゴゲームなどの司会進行をし、ドゲどーんはキャラ「師匠」として十八番の伝統芸能「紙切り」を披露する段取りだ。ふと見るとドゲどーん、酒をジャカスカ飲みまくってすでにかなり酔っぱらっているご様子。「・・・ハッ!先に酔っちまおうって魂胆だな!」と俺が気付いた時すでに遅蒔き唐辛子で、泥酔状態の野獣1頭が出来上がっていた(涙)。「そっちがその気ならこっちにも考えがあるぞ」ってんで俺も負けじとメートルを上げていき・・・。この後一体どうなってしまうのか!

さてパーティーは、心のこもったスピーチや唄、隠し芸などが次々と披露され、ついにかねてより懸案の余興のコーナーへと差しかかった。最後のグラスをぐいっと飲み干した勢いでもって「ええい、ままよ!」と壇上へ登る俺とドゲどーん。そこからしばらくの記憶が・・・イマイチ定かではないが・・・何か夢見心地のまま・・・「ビーンゴ・シュートーッ!」なんて掛け声かけてビンゴゲームの司会をしたような気もするし・・・お客さんをイジりにイジってツッコミまくったような気もするし・・・小器用にハサミを駆使して見事な「紙切り」を披露しつつその間大声でアニメソングを唄いまくる泥酔野獣な巨漢とかけ合い漫才のようなやり取りをしたような気もするし・・・とにかくもーイッパイイッパイで・・・またそこはかとなく、あのニギニギしき場においてさんざん邪悪なモノを振りまいてしまったような気もしますがそれはきっと気がするだけの事なのでしょう。いろいろあったけれども終わってしまえばノーサイドです。(←そうなのか)
ともかく、ようやっと精神的重圧から解放され、緑の牧場に憩う仔羊が如き安寧この上無い心境な俺なのだった(アルカイックスマイル)。

そんなこんなで披露宴二次会も無事(?)終わり、ホッと胸を撫で下ろしたワケなのであったが、ここで思いもかけない事態が勃発。「師匠」ドゲどーんがパーティーに出席していた子供たちから大人気に!「ししょう、ロボットをきって!」「ししょう、かいじゅうをきって!」と引っ張りだこである。大学時代から彼を知る者にとっては見慣れた紙切り芸だが、子供たちの目にはまさにハサミの魔法と映ったようであった。またこの日の演目は見事な泥酔歌唱も加わり、これまでの「名人芸」の域を越えすでに「無形文化財」級の「至芸」となっておりました。師匠、おいしゅうございました・・・(伏礼)。
<愛機「QV-10」で撮った「師匠」大人気の写真を見る>

その後、オナダイ(同じ大学)の連中だけで喫茶店に入り小ぢんまりと三次会。「師匠」ドゲどーんはここで力尽き昏睡状態に。この店ではちょっとした惨事があった。俺たちと同級の平チャンが、みんなを撮影しようとカメラを構えたまま後ずさりして、店内の壁にもたれかかったところ、そこは実は「壁」ではなく、開ければ表に出られる鉄製の「扉(防火シャッターみたいなヤツ)」であり、店の人が通気のためかわざわざクサビを噛ませて外開きにわずかな隙間を空けてあったのが、そこに平チャンの重みがかかったもんだから一瞬でガバーンと全開になり、そこにあるはずの壁を突然失った平チャンは全くなすすべもなく、店外の、黄金週間の客で賑わう新大阪駅地下食堂街の通路へと勢い良く転がり出てしまい、「あああ」と呟きながらカメラを構えたままの姿勢で仰向けに転がっているところを、たまたま通りかかって突然目の前の壁面から人間が飛び出して来た事に驚いたオヤジさんに助け起こされていた・・・。

何はともあれ、T君と奥ちゃん!ホントにおめでとうございます!君たちの未来に幸あれ!!

2003年5月2日
今朝、苺を買ってきて食べていると、その中に、ガクというかヘタの部分に、花びらが落ちずにまだ生きて付いているのを発見してビックリ。というワケで、<愛機「QV-10」で撮った写真を見る>

2003年5月1日
梅田ピカデリー4にて「ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔」を観覧。すでに説明の必要すら無い超大作シリーズの第2作だ。前作「旅の仲間」の時も思ったけど、昔、原作本を読んだ時の印象やイメージがほぼそのまま見事に再現されているのが凄い。先に原作を読んでしまってる映画を観てこれほどイメージがしっくり来る事は本当に珍しいと思う。今作の見どころは壮大な戦のシーン、それに無気味なクリーチャー「ゴラム」だ(名前は「ゴクリ」であって欲しくもあったが)。この「ゴラム」、CGとは思えない迫真の演技を見せるのだが、これがもー今晩の夢に出て来る勢いでいちいち気味悪い。時折見せる人間らしさ可愛らしさがまた気味悪くて、とにかく・・・素晴らしいのだ(笑)。「蛇の舌」グリマやエオウィン姫など、人間の国「ローハン」の王族たちに関わる人間ドラマも丁寧に描かれており、また戦闘のシーンでは、おなじみのアラゴルンやレゴラスやギムリといった旅の仲間たちも手に汗握る大活躍の立ち回りを見せる。ともすれば陰鬱になりがちな重苦しい展開の合間に、アラゴルンを巡る華やかだが切ない恋の感傷を織り込む事も忘れない。「白の」魔法使いとなったガンダルフが援軍を率いて危機一髪戦場に馳せ参じる場面や、森の精「エント」が敵の牙城を攻め落とす場面のカタルシスはまさに白眉であり、マジ胸がスカーッとする。あと、なぜか強く印象に残ったのが、アイゼンガルドのサルマンの塔の前に集結した地の果てまでひしめく大軍を目の当たりにして「蛇の舌」グリマが畏怖のあまり涙を流すシーン。言うに言われぬ感情の昂りを見事に表していて、俺も背筋がゾーッとしました。3時間を越える上映時間もあっと言う間の、なにしろ全てにおいて「圧倒的」な映画だった。もーお腹いっぱい。

可愛い俺のサボテンたち。今まではコップみたいなミニ植木鉢で育ててたんだけど、だんだん大きくなってきて窮屈になったので、ちょっと大きめサイズの鉢に植え替えた。「兜」と「緋牡丹錦」が別々の鉢だったのを、今回1つにまとめたので世話もスゴく楽。広々した鉢の中で、サボたちも心無しか伸び伸びしているように見える。「緋牡丹錦」は、まだら模様の赤い部分もはっきり出てきてなかなかキレイです。

2003年4月30日
近頃テレビの番組で「ゴミ屋敷を片付ける」企画をよくやってる。何を隠そう我が家も立派なゴミ屋敷予備軍である。昨今話題の典型的「片付けられないオンナ」である母と妹は、今日もせっせとモノを増やし続けている。新しいモノを買い込み、要らなくなったモノは「まだ使えるから」「いつか使うから」と言って捨てず、使ったモノは元の場所に戻さず、溜りに溜まったモノたちがあの部屋にもこの部屋にも廊下や階段にまで溢れかえっている状態なのだ。親父の入院騒動があってからというもの彼女らはますます無気力&思考停止状態に陥り状況は酷くなるばかり(鬱笑)。俺は時折思い出したように「このままガラクタの山に埋もれて人生を終える恐怖」に取り付かれては、発作的にゴミ片付け作業を始めてみたりするのだが、なにぶん生来の三日坊主体質なので続かない(情無)。てゆーか、俺がモノを減らす速度が、我が家にモノがじゃんじゃん増えてゆく速度にそもそも全く追い付かないのだ・・・。
今日も今日とて、そんな果てしない片付け作業のゴールデンウィークを涙で過ごしていた俺なのだったが、そんな中、油汚れの腐海と化した台所に、なにやらネトネトの黒い油まみれの紙の箱を見つけた。印刷の文字も判読できないほど真っ黒に汚れた小箱。「これは・・・何だろう?」と思って丹念に汚れを拭き取ってみると、それは「ガンコな油汚れもこれでスッキリ!」と書かれた洗剤(未開封)なのだった・・・。意味ないっ(怒)!ってゆーか買って来たんなら使え(泣笑)!!

2003年4月29日
「全日本柔道選手権」をテレビ観戦。3回戦で篠原信一選手を、準決勝では棟田康幸選手を、次々と破り決勝に勝ち上がった鈴木桂治選手が、決勝で、王者・井上康生選手に挑戦した。序盤から互角の展開が続いたが、一瞬のスキを見逃さず、井上が切れ味鋭い内股で鈴木を投げ切った。今日の鈴木は本当に強かったんだけど、終わってみれば井上の完勝。全日本選手権3連覇を飾った。なんかもー貫禄勝ちっすわ!強い!
篠原選手は今日をもって引退を表明。あのシドニー五輪の「悲劇の誤審」を吹き飛ばす活躍を世界の舞台でもう1度見たかったけど・・・。お疲れさまでした。

2003年4月28日
滋賀県豊郷町の町長選の結果が出た。なんとあの「豊郷小学校校舎建て替え問題」を責を問われリコール失職した大野和三郎氏が僅差で再選という結果に。リコールまでした末に、校舎問題を大きな争点の1つとした選挙でこの結末とは、町民の皆さんはそれでイイのか!結局、反大野氏派は候補を一本化出来なかったのが敗因だとか。なんだかねー(情無)。

2003年4月24日
Amazon.co.jp」にて、DVD「太陽の王子 ホルスの大冒険」と「妖婆 死棺の呪い(=魔女伝説ヴィー)」の2本を購入。「ホルス〜」のほうはヨシロー思い出のマンガ映画で、このカクレガ日記でも何度か取り上げてきた作品なので今日は置いとくとして、もう1本の旧ソ連の珍作ホラー「妖婆〜」がさらにまた、ヨシローの幼児体験的記念碑的思い出の作品であり、この映画の魔女(若いほう)役、ナターリア・ヴァルレイその人こそ、俺人生の中での「完全無欠の美人女優No.1」な役者さんなのだった。今宵、この画質劣化知らずのDVDを手に入れたからには、彼女の出て来る場面そこばっか、何回も何回もそこばーっか繰り返し繰り返しして観ておるヨシローですよ(惚)。う〜んシヤワセ〜。もー彼女と結婚する!決めた!

2003年4月21日
暴力団との癒着(秘書給与の肩代わり)をあばかれた衆議院の松浪健四郎議員が、トレードマークの「ちょんまげ」を切って国会に登場。議員辞職も無し、党からのお咎めも事実上無し。普通の髪型から頭を丸めて「反省」ってんならまだいくぶん解らんでもないが、ちょんまげ切って普通の髪型になっただけで「これで勘弁」ってのはどーゆー感覚か。本人にとってそれだけ大事なちょんまげだったと言いたいのかも知れんが、そんなこだわり他人には一切関係無い事で。そんな考えが通るなら、あらかじめ5つも6つもちょんまげ結っといて、不祥事がバレる度に1本ずつ切り落としてシレッとする議員とか出てきそうだよな(恥怒)。

2003年4月20日
T君から、結婚式でのゲームコーナーの司会の依頼がきてビックラこく。まあ出来る限りの協力を惜しむところではないが、ちゃんとした方々がキチンと列席する場で、コーナーまるまるぶっつけ本番で仕切るのは俺にはチト荷が重い・・・。盛大に祝いまくる気持ちはあるけれども複雑のココロ〜。正直、出来ればやりたくないのぅ〜(仰空)。

2003年4月19日
いつも春先だけは好調な阪神タイガースは開幕ダッシュが続いている。今日も横浜ベイスターズ相手に4-3の逆転勝利を飾った。中でも先発投手のムーア選手は豪快な二塁打を放ったり好走塁を見せたりと投打に渡る大活躍。そして試合後、ヒーローインタビューでムーアがお立ち台に上ったところ、球団マスコットのトラッキーが"ムーアを真似た付けヒゲ"を装着して登場。もう1人のヒーロー赤星選手とインタビュアーにも手製の付けヒゲを手渡し、なんと「4人ムーア」のコスプレ系インタビューが実現!これには満員の甲子園球場がどっと沸いた。やるなトラッキー!その芸人魂や良し!<その模様をコッソリと見る>

2003年4月17日
深夜テレビで、映画「UFO少年アブドラジャン」を観る。 これが異様にオモロイ映画だったのでご機嫌。ウズベキスタンのとある農村に、ある時UFO(というかほとんど鍋。吊りテグス丸見えやし:笑)が飛来し墜落。それを目撃した農夫バザルバイが現場に駆けつけてみると、そこには裸の美少年が昏倒していた。その子をアブドラジャンと名付け家に連れて帰った事から平和だった村が大騒動に!・・・、っていうストーリーなんだけど、全編にすっとぼけたハズレたテンポと大真面目のしょーもなさ(←褒めてる)が溢れてて、ほのぼのする。なにしろアブドラジャンが現れてからというもの、作物のスイカは直径5mに育つわ、村の電気屋さんが超高性能ハイファイビデオデッキを開発して輸出し始めるわ、しまいには村人がみーんなクワや鍬にまたがって空を飛べるようになるわ、と村はモノ凄い発展ぶり。ただ一人、コルホーズの議長だけがクワに乗って飛ぶ事がどうしても出来ず、ダダっ子みたいに運命を呪ってみたりして。
あと、冒頭とラストで語られるスティーブン・スピルバーグへの手紙には、ズリフィカール・ムサコフ監督の、彼に対する尊敬と憧れと批判、この作品への愛情と確固たる自信、をヒシヒシと感じた。スピルバーグがこの映画を知ってるかどうかは全く不明だし別問題な感じやけども(笑)。サイコー。

2003年4月15日
ビデオに録っておいた「PRIDE 25」をようやく観る。
桜庭和志 vs ニーノ・"エルビス"・シェンブリ」。シェンブリ選手は黒いプレスリーばりの衣装に身を包み「監獄ロック」に乗せて登場。モミアゲもプレスリー風にバッチリ決めている。一方、桜場選手は般若の面をつけ、ザ・グレート・カブキのようにヌンチャクを振り回して登場。両手からクモの糸まで放って場内を沸かせる。試合は終始桜場のペースで進んだ。細かくパンチを当ててのローキック、というコンビネーションでシェンブリを追い込んでいく。楽勝ムードすら漂い始めていたが、コーナーに詰めた所で波乱が待っていた。桜場のラッシュにシェンブリが頭を下げ、それが桜場のアゴにヒット!これが効いてしまい、ひざをついた桜場にシェンブリは右ヒザ3連発。ダウンしたところにキック、さらに追い討ちのパンチ連打・・・。あっという間の逆転劇で思わぬKO決着となってしまった。桜場選手、最近本当にツイてないなあ・・・(涙)。

この日のメインは、PRIDEヘビー級タイトルマッチ 「アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ vs エメリヤーエンコ・ヒョードル」。現時点でPRIDEヘビー級の頂点を占める3選手のうち2人が(あと1人はもちろんミルコ・クロコップ)ついに直接対決する待望の一戦だ。1R、ノゲイラ選手のタックルを切ったヒョードル選手はいきなり強烈な右フックを当てる。ダウンしたノゲイラを追うようにパンチを繰り出すヒョードル。これを凌いでいつものように下から関節を狙うノゲイラ。しかし、上になったヒョードルは本当に重くて強い!モノ凄いグラウンドのパンチがブンブンとうなりをあげまくる。アームロック、三角締め、と技を繰り出すノゲイラだが、この攻めがことごとく読まれている感じ。反対にヒョードルは要所要所で重たいパンチを食らわせていく。ノゲイラがやっとスイープして上を取るが、すぐに体勢を入れ替えて脱出を許さないヒョードル。ムチャ強。この段階で打たれ強いノゲイラじゃなかったらもうとっくに負けてる。
2R、なんとかテイクダウンを狙うノゲイラだが、またもそのタックルを切って上を取るヒョードル。三角締めもオモプラッタも全て見切っている様子。時折、ドスンと重いパンチが飛ぶ。終盤ノゲイラが一瞬のスキをついて上を取りかえすが、ここでゴング。
3Rに入っても展開は変わらず。今度はヒョードルが片足タックルでノゲイラを寝かせ上になる。ノゲイラは意地で執拗にオモプラッタ狙い。だが、これは読まれていて決まらない。アームロックを仕掛けても、強烈なパンチが飛んで来るので決められない。手詰まりになったノゲイラは次第にジリ貧状態に。結局、そのまま試合終了、3Rを通じてグラウンドでのパンチをビシビシ浴びせ続けたヒョードルが文句無しの完全勝利。下からの関節技が得意なノゲイラといえども、グラウンドでヒョードルを上にするのは命取りだという試合だった。ヒョードル、ムチャ強!

その他、印象に残ったところでは、プロ初の試合でノゲイラ(弟)を相手に善戦した中村和裕選手の健闘が光っていた。柔道の選手なのに打撃も巧かった。あと「クイントン・"ランペイジ"・ジャクソン vs ケビン・ランデルマン」の怪獣対決も面白かった。パワーでは互角だったが打撃技の差でジャクソンが勝利。

2003年4月14日
なんだか親戚が、県会議員に当選したらしい。まあ、んな事はどーでも良いのだが、いちおう祝電を打たネバ〜(粘)という事になった。駄菓子菓子、当選の祝電なんか今まで一度も打った事がない。困った時のネット頼みで調べてみたら、NTTのWebサイト上から例文や台紙のグレードなどを選んで必要項目を記入すれば、各種電報が直接送信できる事が分かって、事なきを得た。例文にはもちろん選挙当選の祝電もアリ。う〜ん、便利な世の中になったものよなあ。

昨日の「パルナスグッズもらい損ね事件」の事が頭を離れない1日を過ごしていた俺。ふと思い立って、Yahoo!オークションで「パルナス」を検索してみたところ・・・ビンゴである!やっぱしあの「先着100名様にプレゼント」のレコードが早くも出品されているではありませんか!しかも複数!そのうえ開始価格3000円、希望落札価格5500円だとう?許せーん!!金に換えるためだけに貴重な記念グッズを手に入れたのか〜?そんな奴らがいたせいで俺たちはグッズに手が届かなかったというのか!ヤフオク出品者の皆さんは○○したろか!!(←自粛)・・・とひとしきり頭が沸騰したが、気を取り直してそのレコードの内容をよくよく見直して気付いた事があった。収録曲は「大きな夢を」「オージナケーキ」「モスクワ」という3曲で、「オージナケーキ」以外はおそらくはソ連の民謡か流行歌で、パルナスと直接は関わり無い歌のようだ。ジャケットに「パルナスの歌」とあるから、このレコードにはきっと昔懐かしいあの歌やこの歌が収録されているに違いない!と思っていたが、実はそうではなかったと判明。なので「朝イチで出かけて並んだのに直前で締切られて貰えず残念」度は、俺の中で激減したといえましょう。あーせめてもせめても。どうせあんな酸っぱい葡萄なんかねえ(情無)。

2003年4月13日
ドゲどーんと2人で兵庫県の加西市地域交流センターで行われた「パルナス展」を観覧。今は会社を閉じちゃったケーキ屋さん、関西人なら誰もが知ってるあの「パルナス」を懐かしむ展覧会だ。
俺もドゲどーんも前々からこの展覧会には期待していて、告知ポスターに書いてあった「各日、先着100名様に当時のパルナスグッズ、レコードのプレゼントあり」の一文に奮い立ちまくりマクリスティー。俺の家から加西市までは遥か遠い道のりなので、早朝5時過ぎには家を出、始発に乗って待ち合わせ場所JR加古川駅へ。ここでドゲどーんと合流し、粟生駅で北条鉄道(田園風景の中をのんびり走る2両編成の可愛い電車)に乗り換え、目的地北条駅に8:52に到着したのであった。駅前には、加西市地域交流センター「アスティアかさい」っていうでっかい他目的施設のビルがでーんと建っている以外はガラーンとした感じの場所で、まったく人っこひとりいない雰囲気。「アスティアかさい」もまだ開いてる様子ではない。おそらく開場は10:00なので、それまで時間を潰さねばならないが、何しろ「アスティアかさい」以外にこれといった本屋もファーストフード屋も何も無い。小腹が減っていた2人は、駅から5分ばかり歩いた所に見つけた一軒のコンビニで菓子パンを買い、駅前のベンチでそれらを食いながらヨタ話をして時間を潰していた。ヨシローがこの前観た映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」について熱く語っている時・・・ふと気付くと、時計がすでに10:00を回っているではないか!一瞬あわてた2人だったが、「アスティアかさい」前は未だ人の気配もほとんど無く、この様子なら「パルナス」先着100名枠など余裕でクリアーだとわかって一安心。ゆっくりと「アスティアかさい」入り口の自動ドアをくぐった俺とドゲどーんなのだった。

・・・が、「アスティアかさい」に入ってみて驚いた!表はあんなに閑散としていたのに人いっぱいいるやん!何故?・・・その答えはほどなく分かった。俺たちがいたのは「アスティアかさい」のいわば裏口側だったのだ。俺たちのいた場所とは反対側の表玄関からお客さんはジャンジャン出入りしていたのだ。駅前なんだからこっちが正面だと勝手に思い込んでいた俺たちの敗北だ・・・。はやる心の赴くまま足早に展覧会場のある3Fを目指す俺とドゲどーん。そして会場に到着した2人が目にした物は、すでに出来上がった数十人の入場待ちの行列だった。嫌な予感がしつつ、最後尾に並ぶ俺たち。受付では係員の女性がにこやかな笑顔を浮かべて、並んだ入場者に絵皿やレコードといったグッズを次々と手渡していく。グッズと列の人数の残りを目分量で計りながら、祈るような気分で一歩また一歩と受付に近付いていく俺たち。そして俺の1つ前の人まで順番が来た時、「グッズの配布はここで終了でーす」という非常なお知らせが。あと・・・あと1人なのに・・・(予感的中)。

ひとしきり嘆いた後、気を取り直して展示をいろいろと見て回る。懐かしい「パルナス」の赤いロゴ入りのケースやパッケージ、お店を飾った看板や人形やPOPの数々、創業者ゆかりの様々な旧ソ連の写真や雑貨や民芸品、と見応え充分。入り口に設置された大形プロジェクターでは、歴代のパルナスTVCMや「パルナスニュース(社内資料フィルム?)」、この展覧会初日に行われた「パルナス」コンサート(超有名なTVCMに出て来るあの「赤ちゃん」ご本人も訪問されたとか)などが上映されていた。そんな中、俺がいちばん心震わせた展示は、数台設置されたPCでパルナス情報を見聞きできるコーナー。このPCには、おそらくこの展覧会のために作られた特製のCD-ROMが収められていて、その中に、かつて店頭でプレゼントされたカセットテープやCMなどの音源から取り込まれた、懐かしいパルナスの名曲の数々が網羅されていたのだ。しばし、そのセンチメンタルで美しいロシア民謡風の曲の数々を堪能。パルナスのうた、スメシ、クレーモフ、フクースノ・・・ああ・・・知らぬ間に俺は涙をだーだー流していました。ドゲどーんもきっと泣いたことでしょう。順番待ちの人が後ろに控えていなかったら、もー1日じゅうでも聴き続けていたかったほどの素晴らしさでした。残念だったのは、何台かのPCから、このCD-ROMが盗み取られてしまっていたらしい事。酷い事する人もいるもんだ。そんな悪い奴にはきっと、死ぬまでコサックダンスが止まらない、とかそーゆーロシア風のバチが当たるに違いない!あと「♪ぐっとかみしめてごらん〜」とつぶやくように唄いながら会場に入ってくる人が何人もいて可笑しかった。
*「パルナス」について詳しく知りたい人は「パルナス非公式ホームページ」へ。CM曲も聞けるよ。

その後2人は神戸まで戻り「神戸市立博物館」にて「ヴィクトリアン・ヌード展」を観覧。ヴィクトリア女王時代に英国で花開いた裸体画の傑作を、これでもか!と一堂に集めた展覧会だ。これほど大規模な展示の全てがヌードというのは実に壮観。裸体画の取扱いについては「芸術か猥褻か」っていうのでよく議論になるところだけど、俺個人的には芸術と猥褻の間に明確な境界線など存在出来ようはずもない、と思う。官能というか欲情というか、そういう感情ほど無条件に創作衝動を掻き立てるモノも他に無いだろうし。劣情もまた感動のうち。結局薬局、人間が「はだか見たい〜」と思う情熱はモノ凄いのだ!っちゅうことやね。
展示作品は、アカデミー派もラファエル前派も何でもアリのラインナップで、レイトン、ウォーターハウス、ロセッティ、J・E・ミレイ、ルイス・キャロル、J・テニエル、ビアズリー・・・などなど。蒼々たる画家たちが渾身の思いを込めた裸体画の数々を心ゆくまで目一杯堪能しまくって眼福眼福。俺が特に気に入ったのがジョージ・フレデリック・ウォッツの作品たちで、中でも「プシュケ」(1880年)が俺のココロを虜にしました。他にも、当時の殿方秘蔵のポルノ写真の展示や、短編映画でストリップが見られる覗きからくりまで再現されていたりして、とても懐の深い展覧会だった。

その後はドゲどーんと2人、神戸の街なかで、コンビニで買ったジュースをジベタリアンで飲みつつ、ヴィトンの店頭に村上隆作の宣伝アニメがエンドレスで流れるのを眺めながら、グダグダ喋って夕方まで時間を過ごしました。今日は本当に長い1日だった。面白かったっす!

2003年4月12日
イラクの戦争は山場を越えたが、アメリカという国の横暴ぶりが目に余る昨今だ。「暴力に訴える」以外の解決方法は本当に無かったのだろうか。俺には、もっと他にやり方がいかようにもあったと思えてならない。この調子でまた次の敵、そのまた次の敵、と敵を作り続けて自らの覇権を拡大し続けていくつもりなのか。あんなやり方で北朝鮮問題に対したら、日本や韓国、東アジアにどういう惨事が起きるかわからない。そんな事態だけは回避できるようにと祈る思いの毎日が続く。

2003年4月11日
招待状一式がようやく完成し、T君宅へ発送。丸々三日間に及んだ、果てなく続くただひたすらの紙裁断作業の末に、今や「定規とカッターの鬼」と化した俺に、しばしの休息の時が訪れた。我が愛機「ALPS MD-2010S」マイクロドライプリンターも連日の酷使に良く耐え、これといった故障や不調も無しに乗り切ってくれました。アルプス電気マンセー!しかしペーパーアイテム全ての制作経費を2万(笑)に収めるのは少々キツかったっす(実際は少々アシが出たのだが、それはまあご祝儀のオマケという事で)。

2003年4月10日
今日も紙の裁断&印刷作業は果てしなく続く(涙)。切って切って切りまくり、刷って刷って刷りまくり、折って折って折りまくり、貼って貼って貼りまくる。

イラクでの戦争。首都バグダッドがあっけなく陥落した。巨大なサダム・フセイン大統領の彫像が、米軍によって引き倒される映像が繰り返し報道された。フセイン独裁政権の終末それ自体は喜ぶべき事なのかも知れないが、しかし、このような方法でしかそれは実現できなかったのだろうか?米英軍やそれに追従した我が国の掲げる大義名分は、果たして本当に正しいんだろうか?彫像引き倒しの映像が流される度その事を思う。

2003年4月9日
T君結婚式ペーパーアイテムのデザインが仕上がり、紙の裁断&印刷作業に入った。経費が極めて限られているため全部数を手作り(涙)するので、我が愛機プリンター「ALPS MD-2010S」は大車輪の活躍。「カッターの鬼」と化しては一日じゅう切って切って切りまくり、刷って刷って刷りまくる。

米大リーグ、ヤンキーズの松井秀喜選手が、同チームの今季初めての本拠地「ヤンキースタジアム」での試合で、初本塁打となる満塁アーチを放った。公式戦に入って以来イマイチ長打が出なくて「不振か?」なんて言われてるけど、こういう「ここ一発」に強い所は流石。ゴジラ凄い!

2003年4月7日
今日は「鉄腕アトム」の誕生日(高田馬場の生まれらしい)。あちこちでイベントなんかも催されてなかなかに盛況なのだそうだ。ホントに今アトムがいたら、戦争を止め、各国の主脳と平和のための直談判してくれそうだけどなあ。
その「アトム」の生みの親といえば手塚治虫先生なんだけど、手塚先生の故郷、宝塚では、関西の子供たちに長年親しまれた遊園地「宝塚ファミリーランド」が今日とうとう閉園を迎えてしまった。俺にとってもすごく思い出深い遊園地だけにマジめっちゃ悲しい〜(泣)。

2003年4月6日
深夜テレビで映画「さよなら銀河鉄道999」を観る。この作品、1本の映画としてはお世辞にも出来が良いとは言えないし、好きな作品でも全然ない。けど、たった1つだけ俺のハートを掴んで離さない部分がある。それはラストシーンに流れる主題歌、メアリー・マッグレガー(作詞・作曲・歌)の「SAYONARA」だ。透明感のある哀しみをたたえたメロディに乗せて、大人に成長し独立してゆく鉄郎に対するメーテルの惜別の思いを優しく表現した歌で、この映画全編はラストでこの名曲を聴くためだけにあると言っても過言ではないと思う。これは俺個人の勝手な思い込みかも知れないが、ノスタルジックなペンギンのアニメで人気だったサントリーのTVCMに使用された、松田聖子の「スイートメモリーズ(これも名曲ではあるが)」の元ネタはこの曲だ!と断言してもいい。またこの曲「SAYONARA」は、俺の弾き語りレパートリーの秘密兵器でもあった。今夜はギターを抱えて久しぶりにこの歌を唱おう。♪SAYO〜O〜NARA〜、sweet memories〜、it's goodbye〜・・・♪

2003年4月5日
ドゲどーんから結婚式ペーパーアイテム用イラスト原稿が届いた。彼は今ギックリ腰ちゅうらしいので、その痛み苦しみが滲み出た描線のリアルなヨレ具合に目頭が熱くなる。一方でスケジュールのほうはメチャ押し。どーなーいーしーよー(おきゃんぴーのマネ)。

新しく放送開始のTVアニメ「カレイドスター」が面白い。舞台はアメリカ西海岸。「カレイドステージ」という、サーカスでもない、ミュージカルでもない、マジックでもない、でもその全ての要素を合わせ持つという人気のエンターテイメント・ショーがあった。そのステージに憧れた日本の少女「苗木野そら」がそのショーのスターをめざし単身渡米して・・・、という物語だ。聞く所によるとこの番組は、大手芸能プロダクション「ホリプロ」のアニメ初参加作品であり、監督・原案は「セーラームーン」「おジャ魔女どれみ」の佐藤順一氏だという事で話題性も充分。あとコレ、俺の知る限りサーカスを舞台とした初の本格的なアニメ番組ではないだろーか?今後の展開に、いやがうえにも期待が高まる〜。

2003年4月4日
千日前の敷島シネポップ1にて「ボウリング・フォー・コロンバイン」を観覧。この映画はアメリカ銃社会の歪みを訴えるドキュメンタリーなんだけど、ブッシュ大統領に代表される、白人優位主義者やキリスト教原理主義者たちの、あの独善性と攻撃性が一体どこから来るのかを、時にユーモアを交えつつ、厳しく分かりやすくえぐり出してた。「世界の警察」気取りで他国に対して問答無用に圧倒的武力を振りかざす、俺の大嫌いなアメリカ。それを痛烈に批判し断罪するこのドキュメンタリー映画にアカデミー賞を与えメッセージを込めた喝采を贈る、俺の好きなアメリカ…。色々と深く考えさせられる映画でした。

猛烈な勢いで世界を席巻しつつある「重症急性呼吸器症候群(SARS)」について、WHOが、中国・広東省と香港への渡航を延期するよう勧告を出した。この「謎の肺炎」、感染・発症した場合の死亡率が極めて高い上に空気感染もするらしい・・・(怖)。なんかイロイロ次々と新しい病気が生まれてきててイヤな感じ。

2003年4月2日
昨年9月に火災に遭い、一度は壊滅状態に陥ったものの、地道な再建の取り組みが続いていた大阪ミナミの法善寺横町がまた火災。今後の復興に障害が残らなければいいんだけど・・・。

2003年4月1日
米大リーグ、ヤンキーズの開幕戦で、松井秀喜選手が初打席にタイムリーヒットを放って公式戦デビュー。見事な初球狙い。オープン戦デビューでのいきなりの本塁打といい、我らがゴジラはやってくれますな。

2003年3月30日
「K-1 WORLD GP 2003 in さいたま」をTV観戦。なんだか近頃はK-1もプロレスみたくなってきて、面白いんだけどこのままで良いのか疑問もありつつ。この日のマッチメイクもややそんな感じ。

メインは「ボブ・サップ vs ミルコ・クロコップ」。1R、サップ選手はいつものようにガードを固めてズンズン前進しプレッシャーをかけていく。これに対しミルコ選手はいきなり牽制の左ハイキック。サップのブン回す大振りのフックは一発でも食えばKO必至だが、ミルコはそのパンチをかいくぐってタックルのようなクリンチで回避する。力まかせに振り回し引き剥がそうとするサップだが、差し合いを完全に制しピッタリと身体を寄せて離れないミルコ。総合格闘技の練習が生きている感じだ。クリンチが解けると今度は離れ際に鋭いミドルキックを決める。途中、サップのヒザ蹴りがローブローとなりインターバルが入る。試合再開後も、圧倒的な体圧でミルコを追い回すサップ、という展開は変わらず。コーナーから左に回ったミルコが左ミドル一発。これを嫌がったサップが蹴り足をキャッチするようにガードする。ミルコは、顔面のガードが下がったこの一瞬を見逃さず右、左のワンツー。左ストレートが正面からモロに顔面をとらえ、サップがゆっくりとマットに崩れた。変な倒れ方は「効いた」というより、戦意喪失っぽい。1R1分26秒、ミルコ選手のKO勝ち。強し!サップ選手はやはり右目の眼窩底骨折の疑いアリという事だった。終わってみればあっさりした一方的な試合だったかのように思えるし、口の悪い向きには「凡戦」「茶番」とか言われそうでもある。だが、いつミルコが吹っ飛んでてもおかしくない緊張感のある試合だったのだけは確か。

あと印象に残ったのは「レミー・ボンヤスキー vs ビヨン・ブレギー」の一戦。2人ともとても巧い選手で、見応えのある攻防を展開した。結果はボンヤスキー選手のTKO勝ちだったが、タオル投入寸前に決めたモノ凄い打点の高いフライングニー2連発にはビックリ。まさに「キックの鬼」の「真空飛び膝蹴り」だな、ありゃ。(←オヤジ)

2003年3月28日
国内初の情報収集衛星を2基搭載した国産ロケット「H2A」5号機が打ち上げに成功。

2003年3月27日
朝起き抜けに、腰がギクッと「イッた」。持病でもう慣れたモンなので「はいはい、また2、3日安静なんでしょ。わかったわかった」てな感じなのではあるが、この痛みだけは何度経験しても慣れる事は無いネ。あーあーちきしょー(痛)。

2003年3月25日
銀行に用事があって自転車で隣町まで遠乗り(最寄りの住友が遠いので)。今日は天気が良くポカポカ陽気で風を切るのが心地良かったので、鼻歌など唄いながらとてもイイ気分でスイスイ走ってたら、帰りがけに急に天気が崩れて雨がザーザー降り出し、あっと言う間(←約47秒)にズブ濡れ(←パンツまで)になってしまった。チッキショーついてへんわー、と怒りつつ家に着いたとたん、空はさっきまでの雨がウソのように再びカラッと晴れ上がったではないですか。雲間から差す光が、荘厳に輝く天界のカーテンのようで、そこから神様か何か降りて来かねない勢いなのだった。あんまりな展開とコントみたいなタイミングに、なんかもーどーでも良くなって思わずひとりで爆笑。でも身体がシンまで冷えきってしまったので、風邪ひいたかも(寒)。

ひどい戦争がまだまだ続いています・・・。俺は、暗く沈みがちな気分をもり立てて祈るだけです。1日も早く、世界が平和を取り戻せますように。

2003年3月24日
第75回アカデミー賞授賞式で、米国の銃社会を皮肉った「ボウリング・フォー・コロンバイン」で長編ドキュメンタリー賞を受賞したマイケル・ムーア監督が、「われわれは作り物の理由でわれわれを戦争に送るような男がいる時代に生きている。戦争には反対だ。ブッシュ大統領よ、恥を知れ」とスピーチ。会場は大きな賛同の拍手と少々のブーイングとで騒然となった。同監督は「作り物の理由」とは?と問われて「フセインが今晩、あなた方を殺すだろうというのが『作りごと』。原油があるからイラクを攻撃していることが『真実』なのだ。大多数の米国人は、娘や息子が戦争で死なず、兵士が無事に帰ってくることを願っている。これらの大多数は、ブッシュ大統領には投票しなかった」と述べた。
また、「戦場のピアニスト」で主演男優賞を受賞したエイドリアン・ブロディも「受賞は嬉しいが、いま起こっていること(対イラク戦争)は悲しい。この映画に参加し、戦争でいかに非人間的なことが起こるかを知った。平和による早い解決を」とスピーチした。

アニメーションの部門では、宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」(スタジオジブリ)が長編アニメーション賞を受賞。快挙です。宮崎監督、すっかり世界の巨匠となりました。あと、短編アニメーション部門の山村浩二監督「頭山」も受賞の有力候補だったが残念ながら受賞できず。ヨシロー的にはコレ「千と〜」以上にお気に入りだったんだけどなあ。

2003年3月23日
帰宅。ようやく母も一緒に帰って来た。マジお疲れ。

俺たちの世代にはひと言「死神博士」と言えば通じるあの名優、天本英世さんが逝去。クールでニヒルな風貌と生き様がとてもカッコイイ人でした。合掌・・・。

2003年3月21日
帰省。親父宅へ。

2003年3月20日
梅田にて。ドゲどーんと2人で、T君結婚式ペーパーアイテムの第1回制作会議。ヒマそうな喫茶店に陣取ってデザインのアイディアを練り、その後画材店でサンプル制作用材料を仕入れ。流れとしては、まずはドゲせんせーにイラスト数点を描いてもらって、それを受けて俺がデザイン&制作に入る事とした。
帰宅後、長年愛用していた超お気に入りの黒い綿麻のキャスケット帽を、どっかに置き忘れて来た事に気付く。ショーック(泣)!!

米英軍がイラク攻撃を開始し、首都バグダッドを空爆。罪も無い一般市民の犠牲が1人でも少なく済みますようにと祈るばかり。

2003年3月19日
大阪デジタルハリウッド(旧関テレのビル)にて、マクロメディアの「Director MX」セミナーを受講。プレゼンがあまり上手くなくて(笑)チト退屈だったものの、新バージョンの「Director」はやっぱりナイスだったので、アップグレード申し込もうかと思った次第。

梅田のナビオTOHOプレックス・シアター1にて、ロマン・ポランスキー監督の新作「戦場のピアニスト」を観覧。物語は、ナチス支配下のポーランドを舞台に、実在のユダヤ人ピアニスト「ウワディスワフ・シュピルマン」の人生を描く実話だ。(ありがちな反戦映画のように)大袈裟な泣かせの演出など一切無しに、特定の誰かを声高に糾弾するでもなく、ただ淡々とピアニストに起こった現実を描いていくんだけど、これがもう涙無くしては見られず。自身もナチ支配下のゲットーで過ごした体験を持つポランスキー監督の作品ならではのリアリティが全編に溢れていて、「人間は何故こういう過ちを繰り返すのだろう」「歴史の奔流の前で一人の人間はいかに無力か」「運命って何だろう」と考えさせられずにはいられない。戦争が起こりつつある今だからこそ、みんなが観ないといけない作品だ。
・・・とはいえ、重く陰鬱な映画というわけではなく、ユーモアがあってテンポ良く飽きさせない、とても美しい映画でもあります。また、主演のエイドリアン・ブロディの、深い哀しみと諦念をたたえつつ透明感のある表情は絶品!

2003年3月15日
大学時代の後輩T君くんの結婚が決まった。梅田のT君行きつけのビアレストランにて、彼とそのカノジョ、俺とドゲどーんの4人が集合、結婚式の招待状などペーパーアイテムの制作依頼を受ける。その後、その店の常連さんとも合流してカラオケへ。またも特撮&アニソン大会となり異様な盛り上がり。

いっぽう田舎では親父が二度目の退院。今回俺は帰省せず妹が手伝いに行ったのだが、親父の看病に四苦八苦な母の健康が心配・・・。

2003年3月13日
近頃、ニュースを見聞きするにつけ「猜疑心と無寛容」が着々と世界を覆い尽くしていくようで胸が痛む。戦争が起こらないで欲しい。戦争を起こさないで欲しい。もー21世紀なんだから、今まで長い人間の歴史が積み上げた智恵をきちんと使って「互いに殺し合う事無く、話し合いによる交渉を粛々と進める方法」を、そろそろ誰か偉いヒトに編み出してもらいたいもんです。
世界が平和でありますように。俺の好きなみんなが幸せでありますように・・・。

2003年3月12日
声優の井上瑤さんが逝去したと聞いた。俺たち世代には、あの「ガンダム」のセイラさん役で馴染み深い役者さんだ。驚いて調べてみて知った、そのあまりにも悲しい最期に絶句してしまった。この訃報については、古谷徹さんのサイトのBBSがファンの情報交換の場となっていたのだが、相次ぐファンの哀悼の書き込みに応える形で、喪主を務めた弟さんが瑤さんのここ数年の様子を書き込まれていた。また、サイト主の古谷徹さんも告別式の様子を報告してくれていた。それらを総合すると、晩年の井上瑤さんの物語は以下のようなものだった。

数年前に瑤さんのお母さんが亡くなった。その後、何か思うところがあったらしく「おかあちゃんに会いに行く」と言い残してインドに旅立つ。そして、インドで1年半暮らしていた時期に、ピーターさんという男性と出会い夫婦となった。ところが今から3年前、ピーターさんが急逝してしまう。以来、失意に暮れて過ごしていたが、1年後、最愛の夫との約束を果たすために、ピーターさんの故郷オーストラリアへ二人の思い出の地を巡る散骨の旅に出発した。その旅の途中、体調を崩して日本に帰国するのだが、ここで癌に冒されている事が判明したのだった。治療の結果、一度は完治したかに思われたのだったが、昨年夏に再発。それでも車椅子に乗って声優の仕事をこなしていたが、症状が悪化しやがて再入院する。この時、瑤さんはウェディングドレスを用意するように頼んだという(亡き夫、ピーターさんと瑤さんは結婚式を挙げていなかった)。そして闘病生活の末、今年2月28日に、ついに帰らぬ人となってしまったのだ。ノートには「癌は哀しみの病いです。哀しみが引き金となり後押しする。大きな哀しみをかかえた私は癌になった。」と記されていたそうだ。告別式での瑤さんは、最後にあつらえたウェディングドレスに身を包んでいたという・・・。

BBSを読み、そして瑤さんの友人のイラストレーターの方が二人をモデルにして描いたというWeb絵本を読みながら、涙がポロポロとこぼれてしまった。せめて、天国で再会した瑤さんとピーターさんが、これからは二人で永遠に幸せに暮らせるのだと思い、その事を喜んであげたい。
・・・合掌・・・。

2003年3月10日
滋賀県豊郷町の大野和三郎町長に対する住民投票が行われリコールが成立、同町長は失職する事となった。さ〜て、来月の町長選の結果や如何に?

2003年3月7日
業績不振が続く日本マクドナルドの藤田田CEOが退任表明。う〜ん、諸行無常の響きあり・・・。

2003年3月6日
今放映中の、サントリーの缶コーヒー「ジョージア」のTVCMで、ちょっと面白い事が。このCMシリーズは連続ドラマ仕立てになってて、内容はダウンタウン浜田演じるサラリーマンの物語なんだけど、これにOL役として吉岡美穂乙葉の2人が出演してる。最初見た時に何か違和感めいたモノを感じたんだけど、それが何かは判んなかった。で、今日「ジョージア」とはまったく無関係なカツラのCMを見た時ハタと気付いた。この2人、「アデランス」と「アートネイチャー」という、もろにライバル会社の「現役」広告メインキャラクターではないか(笑)! このキャスティングってスゴくなーい?(←イマドキ風)
でも、CM制作側もわかって、ちゅーか狙ってやってるんでしょうネ、きっと。

2003年3月3日
母ひとりを親父宅に残し(うしろめたし)、昨夜遅くやっと自宅に生還・・・(疲)。その後、昼過ぎまで気絶したみたいに爆睡。

病気療養を理由に長期休業状態が続き、一時はネット上で死亡説まで流れた演歌歌手の坂本冬美が復帰を表明。いろいろあったみたいだが、同じキイハンター(←紀伊半島出身者)として俺も応援するぞー。

2003年3月2日
大阪府立高校の卒業式にチマ・チョゴリやチャイナドレスを着て参加する生徒がいることについて、自民党の八木博府議が府議会一般質問の冒頭で言い放ったお言葉がスゴい。同日あった府立高校卒業式での生徒の服装についてふれ「女性は振り袖などを着て華やかだった」としたうえで、「以前は、チョゴリ、チマ、アオザイ、それからチャイナドレスで、どっかキャバレー来たんちゃうかな?そんなような卒業式もございました」とのこと。生徒の中には当然、さまざまな民族的ルーツを持つ子たちがいる。そんな当たり前の事すら理解せず、少なくとも公の場での発言で配慮できないようなこんな人が府会議員だってんだから大阪府の未来も明るいやね(嫌)。
だいたい、日本以外のアジアの民族衣装を見ると条件反射的に「キャバレー(←てゆーか、これが八木氏にとっては風俗営業&ソレ的な物の象徴なのだと思われる)」あたりを思い浮かべてしまう、ってあたりに、人格の底の浅さと日頃の遊興(夜の?)の嗜好がモロ出しである。この発言を批判された事に対して同氏は「チャイナドレスのスリットが深かった事を『キャバレーのようだ』と言うつもりだった。表現の仕方がまずかった」と弁解したそうだ。この人じぇんじぇん解ってましぇん(情無)。

2003年3月1日
K-1 WORLD MAX 2003」をテレビ観戦。今年のK-1ミドル級の日本代表決定トーナメント戦だ。この大会の注目はやはり、元ムエタイ王者の「超合金」キックボクサー・武田幸三選手の参戦。「有言実行」かつ「憎たらしいほど強い」チャンピオン像の完成を目指す前年度優勝者の魔裟斗選手は、端正なマスクで自信家らしく大口を叩き、さらに若い女性に大人気なため、俺のようなドン臭い野郎共からはやっかまれててイマイチ人気が無い(笑)。そこに、生き方もファイトスタイルも愚直なまでに「不器用ですから・・・」の一言が似合う伝説の武田幸三の登場ですよ!いやが上にも武田応援のボルテージが上がる俺。

印象に残ったのは1回戦の「魔裟斗 vs 須藤元気」。須藤は終始クネクネと不可解な動きで魔裟斗を撹乱 。ロープを利用してのラビットキック、浴びせ蹴りなど、プロレスばりの攻撃を次々と繰り出していく。なかなかペースを掴めない魔裟斗だったが試合が進むにつれ落ち着きを取り戻し、一発の危険がある変則的な打ち合いには応じずに要所でコツコツと有効打を積み重ねた。試合は結局3R判定3-0で魔裟斗の勝ち。でも、畑違いの総格選手でありながら前年優勝者を見事ケムに巻いた須藤元気の面白ファイトに乾杯(笑)。

注目の武田幸三は1回戦、2回戦と辛くも勝ち上がったものの、どうも身体の動きが固い・・・。故障があるのか、全日本キックの看板しょってプレッシャーなのか、それとも、地味で男臭い硬派な場所からいきなり派手できらびやかな舞台に出て来て雰囲気に飲まれているのか(涙)。片や魔裟斗は無理や冒険はせず、手堅く決勝を目指して勝ち上がった感じ。今大会に復活を賭けた小比類巻貴之選手は1回戦判定負け。
決勝前に行われた「アルバート・クラウス vs マイク・ザンビディス」の特別試合は2R、前年度世界王者のクラウスが、左ジャブにクロスカウンター気味に合わせられた右フック一発でKO負け、という波乱。

そして決勝「魔裟斗 vs 武田幸三」の一戦が始まった。魔裟斗を応援する黄色い歓声と武田を後押しするむさ苦しい歓声が怒濤となって激突する有明コロシアム。おたがい決勝に備えてここまでの試合をセーブしていたのか、序盤からアグレッシブな攻防を展開する両雄。ボクシングで優る魔裟斗がコンビネーションパンチで攻め込めば、武田は強烈なローキックで一歩も退かない。だが、2Rになると武田の攻撃パターンが読め始めたか、次第に魔裟斗がパンチで押す場面が増える。武田は魔裟斗の左を食って鼻血を出すが、カウンターを狙いながら頑にローキックで応戦。最終3R、必死の形相で打ち合う両者。だが魔裟斗のパンチ連打 vs 武田のロー、という構図は変わらないまま試合終了。流血の武田と変色した魔裟斗の足・・・。ダメージ的には互角にも見えたが、やはり判定は魔裟斗の3-0勝利。う〜ん、残念・・・。緊張したのかルールの違いからなのか、武田選手はあと一歩持ち味を発揮出来ないまま終わったという印象。魔裟斗選手は、去年よりボクシングがさらに巧くなってて、強い!と唸らせる横綱相撲ぶりでした。


もどる