「ヨシローのカクレガ」


カクレガ日記

2001年8月30日
シトシト小雨そぼ降る中、大阪天満宮へ「第二回全国ちんどん博覧会」を見物に行った。全国の名うてのチンドン屋さんが一同に会し、多彩なパフォーマンスで競演するチンドン界のお祭りだ。風に乗ってかすかに聞こえるチンドン太鼓とゴロスの懐かしいリズムにさそわれて天神さんの鳥居をくぐると、境内ではすでにあちこちでチンドン屋さんたちの演奏や口上がくりひろげられていて、他にもいろいろな大道芸人や露店が楽しいパフォーマンスで彩りを添えている。理屈抜きにドキドキ・ワクワクする不思議な祝祭空間だ。屋台で買ったビール片手にあちらのチンドン、こちらのチンドンと見て聞いて歩くうち、次第にアルコールも回ってヨシローすっかり御満悦。

ところがこのあたりから雲行きが怪しくなってきたのだ、文字どおり。雨はだんだんと激しさを増し、やがて本格的なドシャ降りになってしまったではないの(泣)!この降りじゃ楽器や衣装もダメになっちゃうから、もうパフォーマンスは中止かな?と思ったが、なんのなんの!「ちん博」のステージは雨ごときには負けやしない。その後もますます熱く燃え上がってゆくのでございました。若手チンドンの腕利き選抜メンバーは「シャッフルしないオフ・ビートの和風ディキシー」とでもいうべきセッションで怒涛のアドリブ合戦を展開し、いっぽう、全国のベテランオールスターによる演奏は、堂々貫禄のチンドン太鼓に乗せ、「千鳥」「タケス」「天然の美」などの伝統的メロディーをしっとり泣かせて感動をさそう。まさに、チンドン・ワンダーランドっす(感涙)!!
「ちんどん博覧会」ではその他にも、韓国チャンゴやモンゴルの馬頭琴&ホーミーなどの国際色豊かな面々、それから話題の「劇団態変」なんかもパフォーマンスを披露してました。あと、公式パンフレットをつらつら眺めていたら、出演者名簿の中に知り合いの名前がチラッと・・・。みんな、こういうの好きだねぇえ〜(笑)。

俺は雨で全身ずぶ濡れになったうえ他のお客さんのコーモリ傘の骨の先が刺さって頭から流血(笑)したが、そんな事どうでも良くなるほどゴキゲンな1日を過ごせました。大満足!来年も見たい!!

・・・で、後から聞いたんやけど、その時の様子が和歌山テレビ(←超ローカル)の番組で放送されてたらしくて、その中でインタビュー受けてるおじいさんの背後に、俺、口あんぐりのマヌケ面でずーっと写ってたらしい。これってテレビデビュー。(←ちがう)

2001年8月29日
種子島宇宙センターにて、国産の最新大型ロケット「H2A」打ち上げが成功!やったぜ、宇宙開発事業団!先代「H2」の連続失敗でピンチに陥ったロケット開発だったが、これで今後へ「夢」が繋がった。(←「欲」もね・笑)

通販パソコンの雄、白地に黒ブチの牛柄でおなじみの「Gateway」が突然、日本支社「日本ゲートウェイ」の営業を停止。ついこの間、日本橋で直販店「ゲートウェイカントリー」を見たばっかりだけど、そこそこ賑わっていただけにビックリ。もしかすると一般の社員さんたちには今回の事は直前まで伏せられていたのかも。だとしたら気の毒な話だ(暗)。これも昨今のIT不況の波に飲み込まれた形なんだろう。ただ「ゲートウェイ」の場合は、日本独自の商品・営業戦略を主張する前社長(アメリカ人)が米本社にニラまれ昨年クビになって(本社が送り込んだ後任社長はPC商売では素人だったらしい)以来、せっかくのブランドイメージを有効に使う事も無く、なんとなーく無策のまま、いつの間にかジリ貧状態に陥っていったような印象がある。「この会社のパソコンじゃなきゃ!」っていう熱心なユーザーが多い、数少ないPCメーカーだっただけに、まったくもったいないよ(大きなお世話だけど)。少なくとも、今後なんらかの方法でユーザーサポートだけはしっかり継続しないとね。

2001年8月25日
テレビのニュースで見た人気アイドル逮捕の報道。「渋谷区道玄坂の路上で、人気グループ『SMAP』の稲垣吾郎メンバーが道路交通法違反と公務執行妨害の疑いで逮捕されました。稲垣メンバーは・・・(以下略)」って「メンバー」っちゅうのは肩書きだったのか(笑)!

2001年8月23日
去ってゆく台風の後を追っかけるかのように北上し、やっと自宅に帰還。

2001年8月21日
大型台風まっただなか。昨日なんてギシギシ揺れてて「大丈夫じゃねえよ〜」とか思った親父宅ではあったが、なんとかこれをしのぎきり、今夜「台風の目」にスッポリ入った。台風って、渦のまん中あたりはあんまり風が吹いてないので、暴風雨もとりあえずひと休み。とはいえこれから遠ざかって行く時にまた一荒れするのでまだまだ油断はできない・・・。
一体、どうなってしまうのか!?(←「ガチンコ!」風)

それはそうと「台風の目」にまつわる思い出をひとつ。
俺がまだ幼稚園児の頃(←家族皆でここ親父宅に住んでた頃ね)のこと。その時代、テレビの子供向け番組といったら特撮怪獣モノの全盛期で、俺も御多分にもれずそういった番組のトリコな怪獣少年だったワケだが、そんな俺が当時夢中になった番組が「仮面の忍者赤影」と「ジャイアントロボ」だった(本放送の年代から考えて、俺が見たのはたぶん再放送だけど)。そしてその番組に登場する怪獣たちの中に、俺の幼なゴコロに強烈な恐怖のクサビを打ち込んだ怪獣がそれぞれ1匹ずついたのである。1つは「赤影」に出てくる「妖怪・巨眼1ツ目」、もう一つが「ロボ」に出て来た「怪獣ガンモンス」(2匹のナイショ画像をナイショで見る)。あまりにもベタなそのデザインといい、天空にポッカリ浮かぶシュールな佇まいといい、捕獲光線(?)を発して「目」の瞳孔部分へ人や物を吸い込んでしまうという必殺技といい、共に横山光輝氏の漫画を原作にしていることもあってか、ほとんどキャラのかぶった2匹の怪獣である。
さて、ある夏、ちょうど今夜のように大型台風が来た時のこと。テレビの天気予報が大型台風直撃を報じ、大人たちがさかんに「台風がここの真上を通るぞ」「このままいくと台風の目に入るな・・・」と言葉を交わしていた。それを見聞きした俺の脳ミソの中で、「台風の目」という言葉のイメージと、「1ツ目」&「ガンモンス」のビジュアルイメージが、ガキーン!と強固に直結したのだった。「もうすぐ『台風の目』に『入る』のか・・・、間もなくウチの上空に巨大な目玉の怪物が飛来して、ボクたちはみんなその中に吸い込まれてしまうのだな・・・。思えば短い人生だったことだよなあ・・・。」と、幼いヨシローはその小さな胸に抱えきれない恐怖と虚無感にうちひしがれて、人知れず独り押し入れに避難しては、いつまでもいつまでもシクシクシクシクと泣き続けるのでした・・・。嗚呼、忘られぬひと夏の、過ぎ去りし日の想ひ出よ。では唄っていただきましょう!「少年・・・時代」。ハリキッて、どうぞ!♪な〜つがす〜ぎ〜、か〜ぜ〜あ〜ざみい〜・・・(以下略)♪

2001年8月20日
ここ親父宅を大型台風がサクッと直撃ちゅう。雨風がかなりひどく荒れ狂っております。家は、補強のため玄関や雨戸にバッテン印に板を打ち付けたり一応はしたけど、暴風にあおられてギシギシ揺れたりもしてて「大丈夫かよ〜」とか思っております(怖)。

2001年8月19日
お盆のお供えに頂いた数々の品を、親戚やご近所やお世話になってる方々へとお分けするのに四苦八苦。お供物の中にあった「サントリー『なっちゃん』ミニ缶詰め合わせ」があんまり可愛かったので、思わず記念撮影しちゃいました。<愛機「QV-10」で撮った写真を見る>

2001年8月18日
今日は百箇日の法要。ホントはまだ100日なんてたってないんだけど、諸事情でなんだか今日になったみたい。お寺の本堂でお経。その後、お墓へ移動してお経。

2001年8月17日
夜な夜な地道な作業を重ねてやっと仕上がった仕事を、なんとか今朝メールで納品できた。「iBook」の内蔵モデムでの送信なので「何時間かかるやら〜(辛)」とか思っていたが、ちょうど40分で送信完了。意外と速いぢゃーん(喜)。

夕方、親父宅の仏壇へ、お坊さんがお経をあげてくれる。読経の後、世間話みたいなくだけた感じの講話。いろんなワケありなお宅を見てきているからでしょう、ウチのさまざまな事情をも全て見透かしたかのような鋭い指摘があったりして俺たち思わずニヤリ。坊さん、もっと言ってやって、もっと!今の話、聞いたか?お前らの事だよ(舌出)!

2001年8月16日
早朝、浜へお供え物を持って行き、霊を送る儀式。夕方には同じ浜で灯籠流しの儀式。たしか俺が子供の頃は、立派な舟灯籠をこしらえて流してた記憶があるんだけど、今は環境問題などに配慮してか、お坊さんの読経のもと、護摩を焚くように紙製の灯籠を焼いてしまうようになってた。夜は自宅玄関先で送り火。

2001年8月15日
今夜も盆踊り。それにしても、昼は腕まくりのお手伝いさん、夜は徹夜で下っ端クリエイター。もうイヤ!こんな生活(半泣)。

2001年8月14日
夜、お寺で盆踊り。ここの盆踊りはレコードやテープは使わず、やぐらの上で唄い手さんと太鼓がそれぞれ1人のシンプルな生演奏。こういうのは昔ながらで趣があって良いね。

2001年8月13日
祖母の初盆で田舎の親父宅へ。今日は迎え火。今回の帰省は、少なく見積もっても1週間は自宅に帰れないうえ締め切りの迫った仕事持ち込みで昼夜を分かたぬキッツキツのスケジュールの予感〜(暗)。

2001年8月11日
今日も「世界陸上」。女子マラソンで、土佐礼子選手が2位入賞。同じ三井海上の渋井陽子選手は4位。優勝は日本でも人気のリディア・シモン選手(ルーマニア)だった。最近いつも渋井選手の陰に隠れた印象のあった土佐選手だが、今回のレースでは気分に左右されないその堅実さが実を結び、晴れて堂々の銀メダル。おきゃん(死語)で豪快な渋井選手とは対照的に、テレビ番組のインタビューでも、他人事みたいに控えめでおっとり飄々としてる土佐選手はナゴミ系で素敵。いいコンビですね。

2001年8月11日
「世界陸上」男子400m障害で、為末大選手が3位入賞。トラック競技で日本男子としては初のメダルを獲得した。身長169cmと、この競技の選手としては非常に小柄な為末選手が大男を押しのけてスイスイハードルを飛越していくさまはまさに痛快無比!スゴいぞ為末!ちっちゃ速いぞ為末!

2001年8月7日
国立天文台によると、太陽の280万倍の質量を持つ巨大ブラックホールが、南天のポンプ座にある渦巻き銀河の中心部付近で発見されたそうだ。このブラックホールでは、周辺のガスが落ち込む前に数十億度の温度になり非常に明るく輝いているらしい。どこが「ブラック」ホールなのだか(笑)!

2001年8月6日
カナダ、エドモントンで行われている「世界陸上選手権」男子ハンマー投げ決勝で「鉄人二世」室伏広治選手が2位に入賞。投てき種目での日本初のメダルを獲得した。金メダルこそ83.38mの大会新記録を出したジオルコフスキ(露)の1投にゆずったが、その差はわずか46cm。逆に安定性では室伏選手が遥かに上回っていた。すごいぞ!力持ち!

2001年8月1日
奇想天外な小説で「忍法帖」ブームを巻き起こした作家の山田風太郎氏が死去

おなじみの英国の童話「ピーター・ラビット」について。作者のビアトリクス・ポター女史が、作品中のキャラクターを名付けるにあたって自宅近くの墓地に埋葬された人たちの名を使ったのではないか、という新説が浮上しているそうだ。なんでも、件の墓地の埋葬者名簿には「ジェレミー・フィッシャー(カエル)」「ナトキン(リス)」など、キャラクターと同じ名前が見つかったらしい。極めつけが「ピーター・ラベット」さんって人がいる事。いや〜、こりゃ〜そうなのカモね〜(笑)。

2001年7月29日
「世界水泳」。「男子4×100mメドレーリレー」決勝でオーストラリアチームが優勝。アンカーを務めたイアン・ソープ選手は、「男子400m自由形(世界新)」「男子4×100mフリーリレー」「男子800m自由形(世界新)」「男子200m自由形(世界新)」「男子4×200mフリーリレー(世界新)」の優勝と合わせ、今大会6冠(エントリー7種目中)を達成した。あんたスゴ過ぎっすわ(驚)!

ミュンヘンで行われている柔道世界選手権では、女子48キロ以下級の田村亮子選手が大会史上初の5連覇を達成。今大会直前の右膝負傷のため苦戦を強いられたが、そんなハンデも世界の「ヤワラちゃん」は「巧さ」で一気に吹き飛ばしてしまった。まさに「柔よく剛を制す」!

参議院選挙の結果は、自民党が改選議席の過半数を越えての圧勝(ただし投票率は56%)。う〜ん、「純ちゃん」効果がどう現れるか、でも今回は勝つんだろうな〜と思ってはいたが、フタを開けたらこの完勝ぶり。別にイイんやけど・・・・イイのかな〜・・・(不安)?

2001年7月28日
「曲技団」の掲示板をリニューアル。今度はまるごとレンタルの物ではなくて、COOLのサーバーにオリジナルのを設置した。というのも、今まで使ってた、くまぞうさんトコから借りた古いバージョンの掲示板が、とうとう削除されちゃった(実はとっくにサポート終了なのをいつまでもずうずうしく使ってたのだ・ゴメンちゃい)ため。前のすごく気に入ってたので、今度もデザインそっくりにした。

2001年7月27日
ヨシロー&「月光曲技団」に暑中お見舞いのWebグリーティングカードなどを送ってくれる人がけっこういたので、お返しの暑中見舞いイラストを描いた。変な海竜とそれにのってる「くま八」の絵。

【本日の金言・格言コーナー】
1.「ウチのハンバーガーを『マズい』というのはゴリラかチンパンジーだ!」
   ↑日本マクドナルド株式上場の記者会見にて、社長・藤田田(ふじた・でん)氏の発言。

2.「この『普通の人には無い特別な能力』を示す珍しい手相を持ってるのは
   イエス・キリストと俺だけ。」

   ↑日本マクドナルド本社某室入口付近に設置された「実際の『社長の手』を型取った銅像
   (入室の際にはこれに触れなければならないらしい)」についての、TVニュース番組の
   インタビュアーの質問に答えた社長・藤田田(ふじた・でん)氏の発言。

3.「人間だったら1日1回ハンバーガーを食え!」
   ↑TVニュース番組のインタビューにて、日本マクドナルド社長・藤田田(ふじた・でん)
   氏の発言。

くわッ!かねてより噂には聞いていたがまったく凄いぞ、カリスマ名物社長・デン!!
しかしそれにしても本社の「社長の手のオブジェ」、今日も社員さんたちはみんなアレをニギニギさせられているのだろうかなあ・・・(怖)。
それと、別に貴社のハンバーガーをマズいとは思わんけど、俺はもう人間失格で結構だ(笑)!!

2001年7月26日
「世界水泳」。昨夜行われた女子4×200mフリーリレー決勝で、先頭でゴールした豪チームの選手がレース終了前にプールに飛び込んで失格。また米チームも飛び込み時のルール違反で失格となり、5着だった日本チームは思わぬ2段階の繰り上がりで銅メダルに手が届いた。米の抗議で審議がもつれたが、一夜明けて、晴れて日本の3位が確定。それにしても、喜びの余り思わずプールに飛び込んでしまった豪の選手は大丈夫なんだろうか?今ごろ肩身の狭い思いしてるんだろうね〜。ガンバレッ!

2001年7月22日
我が家の庭の花々をお楽しみください。<愛機「QV-10」で撮った写真を見る>

2001年7月21日
兵庫県明石、JR朝霧駅前の歩道橋で花火大会見物客の将棋倒し事故が起こる。現場の人込みは酸欠状態になるほどのすし詰状態だったらしく、多数の死傷者が出る大惨事に。

2001年7月20日
「第9回世界水泳」シンクロナイズド・スイミングのデュエット決勝にて、日本の立花&武田組が優勝。悲願の金メダルを手にした。なんと芸術点で審判5人のうち4人が10点満点!

2001年7月18日
しばらくぶりの親友と会う。いろいろ積もる話に花が咲き、ホントに楽しい1日だった。たまにはこんな日もなけりゃなあ。夜はヨシローごひいきの「神戸にんにくや」にて、いつもながらの超美味を堪能しまくり(幸)。

2001年7月16日
ドゲどーんより、ちっこい「母をたずねて三千里」フィギュアをいただきましたーッ!わーい、マルコだフィオリーナだそしてアメディオだーっ!ううっ、おぢさんうれちいから、もー唄っちゃう!♪その名も高〜き〜、ペッピィ〜ノ〜♪(←すこぶる上機嫌ちゅう)ドゲせんせーテンキュウッ!
それにしても最近、なんかみなさんにイロイロ貰ってばっかしだにゃあ〜(恐縮)。
・・・という意味も含めつつ、ドゲどーん兄弟の面白サイトはこちら →「おじさん猫
・・・さらに、<愛機「QV-10」で撮ったフィギュア写真を見て見て>

2001年7月14日
2008年オリンピック開催地は北京に決定(意外な事に中国での初の五輪)。日本からの候補地、大阪は残念ながら案の定最下位得票で落選した。大阪府民の俺が言うのもなんやけど、破産寸前で問題山積の大阪より、どない考えても北京で決まりやろ(笑)!

2001年7月13日
Raspberry Angel」のみなみさんから、またまた素晴らしい贈り物が届きました。驚いたことにそれはみなみさん手作りの万華鏡組み立てキット!この万華鏡は「Raspberry Angel」2周年記念として製作された品だそうで、ワンド式の本格的な物でとっても丁寧でキレイな作りです。これを見た俺はチョー感動!なんと2組セット(!)でいただいたので、暖色系・寒色系、色違いの映像の2本にしようっと。みなみさん、ホントにホントにありがとうございます(伏礼)!!
・・・というワケで、<愛機「QV-10」で撮った感謝感激写真を見る>

2001年7月11日
米大リーグのオールスター戦にて、ア・リーグの1番・センターで先発出場したイチロー選手は、初打席で初安打、すかさず初盗塁まで鮮やかに決めてみせた。すごいっ!相手のナ・リーグ投手はあの三振奪取王ランディ・ジョンソン。試合は4 - 1でア・リーグの勝利。大魔人・佐々木もセーブを挙げた。その他、韓国の朴投手も初出場し、全米にアジアン・パワーを印象付ける1戦だった(喜)。
今年が最後の球宴となるオリオールズの「鉄人」リプケン(40歳)は、有終の美を飾るホームランを派手にかっ飛ばした。ここ!という舞台でみんなが思い描いている通りの場面をキッチリ実現して見せる。これぞまさにスーパースター!カッコイイッ(惚)!!

2001年7月11日
「iBook」を購入する際のポイントの1つが「DVDビデオが見られる」事だった。というのも実は我が家には現在に至るまで「DVDプレーヤー」が1台も無かったのだ(涙)。てなワケで今日、俺の記念すべきマイホームDVDビデオ鑑賞作品となるソフトを買って来た(ほくほく)。それは何かというと「MISIA COLLECTION MUSIC CLIPS SINCE 1998」「THE TOUR OF MISIA 2001」の2本!ミーシャばっかしやん!だってファンなんだもーん。♪よ〜え〜hり〜つぃ〜ん、よ〜え〜hり〜つぃ〜ん、あ〜な〜た〜の〜、ゆめみ〜るほ〜ど〜つよ〜くぅ〜・・・(陶酔)♪

2001年7月8日
大阪南港の特設会場にて、待ちに待った「サルティンバンコ 2001」を観る。ヨシローも大ファンなカナダのサーカス団、「シルク・ドゥ・ソレイユ」のこの演目、じつは俺は'94年の東京公演で経験済みなんだけど、今回は全く新しいパフォーマーによるリニューアルバージョンってことで、いやが上にも期待が高まりまくりマクリスティー(壊)。
さて、巨大な白いテント「ビッグトップ」のゲートをくぐると、開演前からすでに会場は不思議な空気。色とりどり個性豊かな扮装のクラウンたちが自由自在に観客席を飛び回り、ボケたりお客さんをからかったり驚かせたりして笑いを振りまいている。(「ソレイユ」に限らず、サーカスはこの開演前のクラウンの客イジりも見どころの1つなので、みなさんサーカス観覧のさいには開演までの時間に余裕を持って会場入りしよう。)

やがて開演時刻が来て静かに場内が暗転すると、透明な哀しみを帯びたメロディが流れ出し、地の底から響くような声が「ジュズーム・・・、ジュズーム・・・。」と呼びかける。そして客席を割るように、かぼそい灯りに飾られた不思議な国の住人たちがゆっくりゆっくりとパレードしてステージに入場して来る。・・・うう、いつ観ても全身にトリ肌の立つ美しいオープニングだ・・・(泣)。

そこからもう場内はあっという間に「ソレイユ」の織り成す異次元の空間へと連れ去られてしまう。三日月帽のキャバリエの持つ皿の上の椅子から飛び出した赤い帽子の子供。不格好で威張り散らした、そのくせ憎めないリングマスター。リングを影から全て統率しているかのようなバロンの存在。舞い降りた不死鳥のような姿を持ち澄み切った声で誇らかに歌うラ・ベル。表情を持たない白仮面の小市民たち。そして、このショーの全てが彼の見る夢かも知れない存在ドリーマーなどなど・・・。魅力的でミステリアスなキャラクターが次々と現れてはリングに幻想的場面を現出させ、そこに、鍛え上げられた肉体と技術だけが実現可能な目も眩むような離れ業の数々が華麗に繰り広げられてゆく。
片手に持った唐傘もオリエンタルなダブルワイヤーの綱渡りの素晴らしい技に息を飲み、切なく美しい音楽にのせて空中を4人が夢見るように浮遊し回転するバンジーに感動し、巨大なブランコ「ロシアン・スイング」から天幕を突き破らんばかりに飛び上がるクラウンたちの剽軽な演技に手を叩き、超絶技巧のバウンスボールの妙技を見せつける可愛いジャグラーのマリアちゃんを声援する。手に汗握る暇さえ許さずたたみかける、アクロバット、空中ブランコ、コントーション、伝統的大道芸、新体操に至るまでの技の数々・・。そしてその技1つ1つの細部にまで緻密に振り付けられた、迫力の生バンド演奏によるオリジナル音楽と一体化した演出の妙・・・。

気がつけばパフォーマーが全員集合するフィナーレのリングに向けて、立ち上がり夢中で拍手を贈っている自分がいた。あ〜、やっぱり「ソレイユ」のショーは魔法だ!素晴らし過ぎ(滝涙)!
いつの頃からか、サーカスを観た後、必ず脳裏に浮かぶのがこの言葉。「Circus has it "ALL"

感動の余韻に浸りつつ、帰りがけにミナミに寄ろうと地下鉄なんば駅で下車したところ、いきなりものすごい黒山の人だかりが。何の騒ぎかと思ったら、コイズミ首相が選挙の応援演説のため来阪してるらしい。もー殺人的な人込みで、通りの向こう岸に抜けるだけで四苦八苦。首相を待ちわびる見物人の内訳は老若男女多岐にわたっており、異例な人気の高さがうかがえる。中には誰が配っているのか紙製の日の丸をパタパタ振りながら「ジュンちゃ〜ん!」などと黄色い声援を送っている色黒ギャルの一団までいたりして(怖)。印象的だったのは「闘う国会議員」馳浩氏が、さながらコイズミ専属ボディーガードのようにピッタリと寄り添っていた姿。うぬっ、チャッカリさんめ!とにかくドタバタ大騒動に巻き込まれてエライめに遭ったっす。俺は演説は聞かずにさっさと帰りました(他意無し・笑)。

2001年7月7日
親父宅に親戚が集まって昼食会。その後は例によって大騒ぎ(恥)。ソッコーで後片付けを済ませ、妹の新車(ミラージュ・ディンゴ)に乗せてもらって深夜自宅へ戻る。

2001年7月6日
「明日の7日が(祖母の)本当の四十九日にあたる日なので親戚一同集まって食事会をするぞ」とのお達しが出て、田舎の親父宅へ帰省。

夜、明日は七夕だと今さらに気付き、「曲技団」トップページの団旗を「七夕バージョン」に差し換えなければと思いたつ。そういえば今年は「こいのぼりバージョン」団旗も京都に行ってて出せなかったしなあ・・・。だが今の俺は5月の時とは違うぜ。こんなこともあろうかと「曲技団」関係の全ファイルをコピー済みの「iBook」を持参してるんだぜ。あとはftpソフトをダウンロードすれば準備OKじゃん、楽勝じゃーん!と、さっそくネットに接続して「Fetch」をダウンロードしてきたものの、So-netのサーバーへftpでアップロードする時のユーザーIDがわかんなくてログインできなくて挫折(暗)。まあイイようなもんなんだけども、ひっそりと特別団旗を楽しみにしててくれる人も稀にいたりして・・・。もしか今ここ読んでるのがその人だったらゴメンナサイ。

2001年7月5日
日本で初めて近代的測量を駆使し正確な日本地図を製作した、伊能忠敬の大図全214枚のうち、206枚の写本が米ワシントンの議会図書館から発見された。失われた偉業が無事取り戻されて良かったね。

いっぽう、フランス南西部にあるキュサックの洞窟で見つかった線刻の壁画は、有名なラスコー洞窟の壁画より古い時代、2万2千〜3万5千年前に描かれたものであった事が判明。それにしても、この壁画にあるマンモスの絵って「はじめ人間ギャートルズ」に出てくる「マンモー」そっくり!

2001年7月2日
米大リーグ・オールスター戦出場者のファン投票で、マリナーズのイチロー選手が全米1位の得票数で出場を決めた(喜)。

2001年7月2日
カントリー・フィンガー・ピッキング・ギターの神様、チェット・アトキンス氏が死去。以下は生涯現役で活躍し続けた彼の語録。

なぜそんなに長く音楽を続けられるのか?という質問に、
「音楽で自分を満足に表現できたことが1度もなかったから。ふんぞり返って『○○年に俺が作った音楽は偉大だろ』と言う事ができなかった。」

なぜ、こんなに長く人気を保っていられるのか?と問われ、
「わからない。自分が欲しかった音を手に入れたことはないし、欲しかった和音を弾いたことがない。全精力で、私は『平凡さ』と戦っていたんだ。すぐに自分を捕まえに来る凡庸さ、と。」

どのように人の記憶に残りたいと思うか?
「上品な男だった。人に親切だった。音をはずさないギタリストだった。」

俺は「チェット・アトキンスみたいな男だった。」と、人の記憶に残りたいよ、神様(合掌)。

2001年7月1日
ブリジストンのTVCMで「ダンスは、リズム感。タイヤは、タイヤ館ー!」ってゆうてる白いカーニバル衣装のモデルさんはめっちゃ好いたらしいですぅー(恋)。

2001年6月28日
「たのしいムーミン一家」で有名なフィンランドの小説家・画家のトーベ・ヤンソンさんが死去。俺の世代で「ムーミン」といえば、まっさきに思い出すのが、井上ひさし(脚本)&宇野誠一郎(音楽)の名コンビで虫プロが製作したTVアニメ。岸田今日子さんの声が印象的なあの作品だ。俺はこのアニメにはかっなり激しく思い入れがあったりするが、じつはコレ、原作者のヤンソンさんにはすこぶる不評だったのだとか。大人になってから原作を読んでみて、当時のアニメ版は原作のテイストとはまったく違ったモノになってしまっていると分かった。俺はどちらも大好きだし素晴らしいと思ってます。のちに原作に比較的忠実なアニメが日欧合作で作られたんだけど、アニメで見るなら俺としてはやっぱり「ムーミン」は岸キョン!(←誰)

2001年6月24日
自宅へ帰って来た。これでしばらくの間、田舎へ行かなくてすむ。あー、やっぱり家がいちばんイイやー(たたみの上でクロール)。

2001年6月23日
米大リーグにて、マリナーズのイチローがアスレチックス戦で5打数3安打を放って打率3.5.6に達し、ついに大リーグでも打率トップに立った。すっげー!もうこうなったら首位打者取るしかなし!!

So-netのサポートに電話して、ココ(親父宅)からの最寄りアクセスポイントの電話番号を教えてもらい、今夜は無事「iBook」からネットに接続成功。う〜ん、子供の頃住んでた古家からのネットサーフィンってなんか新鮮〜。

2001年6月22日
毎度おなじみの法要&打ち上げ。今回がとうとう七日ごとに念仏をあげる法要の最後の回。

深夜、後片付けが終わった後、さて「iBook」でネットに接続してみるべえ(うきうき)、とセッティングを始めてから、ふとあることに気付いた。ココ(親父宅)からの最寄りアクセスポイントの電話番号がわからねえ!オー、ノー!So-netのサポートに電話して聞こうと考えたが、すでに時間外。支払いはどうせ親父だから、なんてふと思ったりしつつも、その莫大な電話代を考えたら、いつものアクセスポイント(←当然県外)経由で接続するなんて大それた事は、貧乏性な俺に出来るワケも無し。なので今夜のインターネットはおあずけ(泣笑)。

2001年6月21日
またまた親父宅へ。だが今までの帰省とはひと味違うぜ!なにしろ今回から俺には「iBook」がついてるんだぜ!いいかー見てやがれー!(←何を)

2001年6月20日
突然ですが買っちゃいました、新型「iBook (DVD-ROM)」!白くてつるつるぴかぴかの例のヤツです。田舎と自宅を行ったり来たりの毎日の中、出先でも仕事とWebをこなせるように・・・なんて、自分に対する言い訳・大義名分もあって、つい財布のヒモをゆるめてしまいました。貯金も無いのにこんな事で大丈夫なのか!俺!?駄菓子菓子・・・う〜ん、白iBookキャワイイ〜。まあホントは旧型のスタイルのままで幻の名機「eMate」みたいな色で1024×724ドット程度表示可能のモニター(←これ重視)なiBookだったらモー言う事無かったんだけど・・・。でもイイの。白iBookもキャワイイから。持ち運びも楽々(←あくまで同社比)だしね。
ただコレを使う初の仕事が葬礼関係の事務処理っちゅうのがちょっとなあ。不本意〜ん(泣)。

2001年6月16日
昼過ぎに親父宅から自宅に帰って来たのだが、早々にちょっと無気味な出来事があった。夕方、妹が、不審なオヤジがウチの庭に音もなく侵入していたのとバッタリ遭遇したという。驚いて「何してるんですか!?」と叫ぶと、「いや・・・新聞の勧誘で・・・」とかなんとかモゴモゴ言っている。門扉を見ると敷地に入った後でキチンと閉めなおした状態になっている。これは怪しい・・・、と睨みつけると、不審なオヤジは「ああ、じゃあもういいですわ・・・」なんてつぶやきながらそそくさと姿を消したそうだ。俺は帰宅後ソッコーで昼寝に突入してたので、その時現場にはいず、その不審者を直接は見てないんだけど(情無)。それにしても、あまりに様子が怪しいので、ご近所と自治会に「気をつけよう」と連絡しておいたら、自治会から警察に通報がいったみたいで、夜、ウチにお巡りさんが3人、バイクに乗って聞き込みに来た。お巡りさんの話では、なんでも近くの住宅地で白昼の空き巣ドロボー事件が発生したりしてるそうだった。もしかしたらウチも危機一髪で危なかったのかも。ともあれ被害もなく妹も無事でなによりだったが、今後、ご近所も無事だったらイイんだけど・・・。ホントに油断も隙もあったもんじゃないよな(怒)!

2001年6月15日
恒例の法要&打ち上げ。忙しさには慣れたけど、精神的にグッタリゲッソリ・・・(窶)。

2001年6月14日
田舎の親父宅へ。

2001年6月11日
留守中に届いた「Raspberry Angel」のみなみさんからの小包の不在通知書を持って、サイクリングがてら隣町の郵便局まで受け取りに行った。う〜ん、やっぱり自転車で走ると心身がリフレッシュするねぇ〜・・・。と、それはさておき、帰宅して荷物を開けてみてビックリ!なんとそれは我が家のリナちゃん用の洋服ではないですか!みなみさんオリジナルの洋服とスカートが何着も!それにハイヒールとブーツ2足とピアスのセットまで!!ぐわッ、この可愛さったらなんですかっ!?素晴らし過ぎ!我が家のリナちゃんもきっと大喜びだよ〜!(我が家のリナちゃんって?それ誰?って人は2000年9月10日のカクレガ日記を参照してね)それにしても、ボタン付けくらいしか出来ない俺から見ると、どうしたらこんな素敵な服がこんなちっちゃく作れるのか不思議でなりませぬ〜。着せ替えするのは想像しただけでもなんかちょっと照れるんだけども、可愛くキマったら、綺麗にライティングして、デジカメで撮影して、やっぱコーディネートはこうでねえと(←オヤジ)・・・って、ああっこうして次第にどっぷりとハマッてゆくのだろうか〜(嬉恥)。みなみさん、ホントにありがとうね!
・・・というワケで、<愛機「QV-10」で撮った写真を見る>

2001年6月10日
夜遅く自宅に辿り着いたよ。さあ仕事仕事(涙)。

サッカー、コンフェデレーション杯決勝。日本は世界王者のフランスに0−1で惜しくも敗れ、準優勝となった。 

2001年6月8日
法要でお念仏(& バチ当たり 打ち上げコンパ)の日。もーみんな勝手にやってくれい(疲)。

大阪で、小学校に暴漢が乱入し、児童や教職員に多くの死傷者が出た。許せない。

2001年6月7日
   親父宅へ舞い戻る。

2001年6月6日
今夜は満月。そろそろ今夜あたり、沖縄の海ではサンゴの産卵が見られるのかも知れない。テレビやなんかでその映像が紹介されたりするけど、あたり一帯のサンゴが小さな真珠のように丸ーい無数の卵をいっせいに海中に放つさまはまさに神秘的。ちっちゃいサンゴのポチポチ(個虫)同志で意志伝達ができるってわけでもなかろうに、何故おんなじその日同時に産卵が始まるか?不思議だよねえ!で、その時期になると、サンゴの卵を目当てに魚という魚が、そしてその魚を狙ってより大型魚や海獣が、どんどん集まって来て珊瑚礁はちょっとしたゴールドラッシュ状態になるんだって。
う〜ん、神秘だ!見てみたい!♪しーんぴー、しーんぴー。神秘の現象ー(玉姫様)♪

2001年6月4日
自宅に帰って来た。ゆっくり休みたいけど、仕事がたまってるよぉ〜んおんおん(泣)。

2001年6月2日
田舎の親父宅にて。テレビを眺めつつ黙々と家族で夕食を食べていた時の事、突然ドキャン!という衝撃音と共に車が突っ込んできた。そんなアホな!コントやないんやから(涙)!

表に出てみると軽乗用車が家にメリ込んでいた。横道から無謀に飛び出してきた原チャリとの衝突を避けようと急ハンドルを切ったらしい。いっぽう軽四の左斜め前方5メートルくらいの所にハンドルの折れ曲がった原チャリがコケていて、その傍らに高校生くらいのお兄ちゃんが倒れて唸っている。意識はありそうだが、どこかに怪我をしたらしく動けないでいる。ノーヘル(危)なので頭を打ったかも知れない。早くも集まった野次馬のみなさんが「救急車呼ばな、救急車!」と騒ぎ始めた。

・・・と、今までおとなしく倒れて唸っていたお兄ちゃんは突然ガバッと立ち上がると、「大丈夫ですから。帰ります、帰ります。」とフラフラその場を立ち去ろうとするではないか!だが、どう見てもまったく大丈夫ではない。「あかんで兄ちゃん、ここにおらんと!」とみんなに制止され、再び路上に寝かされてしまった。ほどなく救急車がやって来て、お兄ちゃんはしぶしぶ乗せられて行ってしまった。入れ替わりにパトカーもやって来て、警察による取り調べと現場検証が始まった。大勢の野次馬と居丈高な警官口調にビビってしまって、軽四の女性ドライバーは小鳥のように震えながらしどろもどろ。なんだかとっても気の毒でかわいそー・・・。野次馬のみなさんはしばらく現場検証のようすを眺めていたがいつまでも終わる気配がないので一人また一人と帰り始めた。

そんな中ふと見ると、近所で工務店を営むオッサンが、自分ちからモノサシを持って来て、事故で穴の開いた外壁パネルの寸法を計り「ほな、さっそくココ直すように手配しとくわ。」などと勝手に受注を宣言して帰ろうとするのを、親父があわてて呼び止め、その壁は別の会社で作ってもらった物だから、と断わっていた。まったく油断も隙もあったもんじゃ無し(笑)。
俺は腹が減ってたのを思い出したので、家に入りすっかり冷めた夕食の続きを食べたのだった。

後日聞いた話によると例の原チャリのノーヘル兄ちゃん、幸い怪我は軽くて済んだらしいが、じつは無免許運転だったうえ原チャリは友人から黙って借りた物だったんだと。どうりで救急車を嫌がってその場から逃げようとするワケだよ。ひでー(呆)。

2001年6月1日
七日ごとの祖母の法要で念仏をあげてもらう日。朝から準備や接待の段取りでテンテコマイする。なんか、わかんない事だらけで大変だ。夕方、本番のお念仏(まあ1時間くらいだけど)の最中は、眠いやら正座で足がしびれるやら・・・(苦)。法要が終わった後は例によってにぎにぎしく無礼講な打ち上げコンパ状態に突入。夜ふけに無事お開きとなった後には、山のような後片付けが待っている。これが毎週続くのか。はー・・・(疲)。


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