「ヨシローのカクレガ」


カクレガ日記

2002年2月28日
俺たち特撮テレビ番組世代のカリスマの1人、成田亨氏が逝去。斬新な発想によるシュールとも言えるデザインで多くの「怪獣」たちを生み出し、中でもデ・キリコの絵からインスピレーションを得て「ウルトラマン」をデザインしたのは有名な話。その後現在に至るまで、いわゆる怪獣モノのキャラクターデザインが初代の「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」の影響力から脱することが出来ないでいる事も、彼の才能を表しているだろう。1970年大阪万博のシンボル「太陽の塔(作:岡本太郎氏)」の内部デザインも一部手がけているらしい。俺も間違いなく幼児期から成田デザインの逃れられない影響を強烈に浴びて育ったんだよなあ。合掌・・・。

終末核戦争までの残り時間を象徴的に表すシカゴ大学の「核の時計」が2分進められ、55年ぶりに残りわずか7分となった。

2002年2月27日
妹の見舞い。暇つぶし用にマンガ本と折り紙ペーパークラフトを差し入れる。
母はこないだの鼻血事件もあったので念のためCTスキャン検査。結果が気になる。こっちも入院、なんて事になったら大変なので、それだけは避けたい。避けてくれ〜(祈)。

2002年2月25日
ひどい風邪で寝込んでた俺の心を2週間余りにわたって慰め続けてくれたソルトレーク冬期五輪も今日でおしまい。閉会式は、観客席の上からヌッと頭を出した巨大な2頭のガイコツ恐竜の司会で繰り広げられた華やかなショーだった。キッス、アース・ウインド&ファイア、グロリア・エステファン、ボン・ジョヴィ、ハリー・コニック・Jrなどなど、大物ミュージシャンたちが次々とヒット曲を披露し、それと競うように、クリスティ・ヤマグチ、ドロシー・ハミル、イリヤ・クーリック、スコット・ハミルトンら往年のフィギュアスケートの名選手たちが登場。カタリーナ・ビットは相変わらずの美しさ(恋)。そして何と言っても俺の大好きだったカート・ブラウニングが登場したのにはマジ大感激。相変わらず味のある素晴らしい演技を見せてくれた。これであと陳露(ルー・チェン)が現れたらサイコーだったんだけどなあ・・・って、それは贅沢言い過ぎか(夢)。
さて、そんなショーアップされた閉会式は素晴らしい出来だったわけだが、さながらアメリカ愛国五輪の様相を呈した今大会自体は、ブッシュ大統領の愛国開会宣言、審判の疑惑判定、ドーピング検査結果、などなど様々な問題点が浮き彫りになり、全体として後味の悪さが残った事は否めないだろう。もうちょっとスカッと爽やかにいって欲しかったよなあ。

ところで昨今の、産地偽装、賞味期限詐称などなど、食品の品質表示などに関する不正の横行にはまったくうんざり。メーカー、流通、小売り、全ての過程において行われ続ける不正不正不正のオンパレード。こんな状態で我々一般消費者はいったい何を信じて口に物を運べば良いのだろう(憤)。

2002年2月24日
やっと母と連絡がついた。聞けば、昨日こっちの病院に向かう途中、バス停で鼻血が止まんなくなって救急車で別の病院に運ばれたんだそうな(驚)。診断の結果は大した事なかったらしいが、家族全員ぶっ倒れてて我が家はこれからいったいどうなってしまうのか!
午後、個室から6人部屋へ移動する。今日で付き添いは終わり。夜やっと帰宅して爆睡。

2002年2月23日
昨夜は慣れない環境とタオルしぼりで一睡もできず。自分のほうの熱が上がってしまってチョー頭痛い・・・。今回、見舞いのつもりで病院に来て、急きょそのまま付き添いになったので、歯ブラシもヒゲソリも着替えもなーんも持ってない。しょうがないので病院の売店で買ったセッケンと安全カミソリでヒゲを剃ったら、カミソリ負けで顔面血だらけに。廊下で見舞い客の幼児に「あのひとコワイよ〜」と怯えられショック!!ケチらずちゃんとしたT字2枚刃とシェービングクリームを買えば良かったと後悔。(←ばかですね)
夕方、付き添いを交代するはずの母が、夜になっても病院に現れない。家の電話も携帯電話も通じず。心配しつつも、どうにも動きが取れずやむを得ないので今夜も付き添い続行。いったいオカンの身の上に何があったのか!?

五輪、スピードスケート男子10000mで、白幡圭史選手が堂々4位入賞。巨漢居並ぶこの種目で168cmと小柄な白幡選手の健闘に大喝采。
フィギュアスケートではエキシビションが行われた。各メダリスト、人気選手がリラックスした表情で生き生きと演技。みんな本当に素晴らしい。やはり「フィギュア」は競技スポーツとしては異色な種目なのだろう。点数や順位争い以外の部分にこそ本質的に非常に大きなウェイトがある、とエキシビションを見る度に思う。日本からは本田武史選手、村主章枝選手が登場。そしてペア種目で疑惑の判定に翻弄された2組の金メダリスト4人が、1つの演技で共演した。どうもイガイガしている今大会の雰囲気の中で、ひと時心なごむ印象的な場面だった。

2002年2月22日
妹の付き添い予定だった母が急用のため、ピンチヒッター付き添いとして病院で一泊。まわりじゅう女性ばっかりの婦人科フロアで、ただでさえむさ苦しい俺はめっちゃ浮きまくり(恥)。あと、俺もまだ風邪が治ってないので、うつさないように息するのにも気を遣う・・・。

今日は自販機のコーヒーを飲みつつレクリエーションルームの大画面テレビで五輪観戦。
フィギュアスケート女子シングルで、村主章枝選手が5位入賞。長野五輪では代表落ち、今大会も最後まで代表入りが決まらなかった村主選手だが、そんな苦労も全て表現力向上の糧としたかのような素晴らしい演技だった。トリプルアクセル成功を期待された恩田美栄選手はショートプログラムでの失点が響き17位に終わったが、豪快なチャレンジ魂を見せた。ヨシロー密かに応援しまくりのラブリー・ダイナマイツ、エレーナ・リアシェンコ選手(ウクライナ)は残念ながら14位(涙)。
優勝したのは米国の3番手と思われていたサラ・ヒューズ選手。最後の最後で劇的な逆転勝利だった。優勝候補のスルツカヤ選手(露)やクワン選手やコーエン選手(共に米)らが、競り合いの緊張から、わずかずつだが小さなミスで減点される中、美しくのびのびとした完璧な演技で観客を魅了した。
関係ないけどヒューズ選手は奥菜メグちゃんに似てますネ、どことなく。

2002年2月21日
今日は妹の手術日なので見舞いに行く。事前に聞いていた手術開始時刻は正午だったのだが、スケジュールが早まり急遽午前中に変更されたらしく、俺が着く頃には手術はすでに始まってしまっていた。病室で俺と母2人、何もする事がなく空っぽの病室でただじーっと待つ(疲)。手術は2、3時間くらいで終わるだろうと思っていたが、妹のベッドが帰って来たのはすっかり日も暮れた頃だった。痲酔が効いててグーグー高いびき。おつかれさん。

病室のプリペイドカード式(1枚1000円)のテレビで、五輪ショートトラック男子1500mを観戦。
最終ラップに入ったところでトップは金東聖選手(韓)。アポロ・オーノ選手(米)が追いすがるが、なかなか追い抜けない。ここで突然オーノ選手がオーバーに驚いたような表情を浮かべて両手を拡げ、「進路妨害だ」とでも言いたげなジェスチャーを一瞬見せる。横に並んでいるのならともかく完全に前後に並んだ状態で、前方にいる金選手が真後ろのオーノ選手の進路を「故意に」妨害するなんて事は、目が後頭部にでも付いていない限り無理だろう。こんな芝居がかったアピールなど無駄な抵抗と思われた。そしてレースは金選手がそのまま1着でゴール。・・・が、ここで場内に異変が。観客席からオーノ選手に同情的なブーイングが徐々に巻き起こり、やがて「金選手、進路妨害で失格」とのアナウンスが流されたのだ。ショックのあまり、ウイニング・ランのために持っていた国旗を手から落して茫然自失の金選手・・・。今大会何かと物議をかもしている「疑惑の判定」がまたも繰り返された。
個人的に、この日のオーノ選手の戦法はダーティーで褒められたもんじゃないと思うが、ショートトラックが氷上の格闘技と呼ばれる競技である以上それは彼の闘い方。責められるべきはやはり審判のジャッジだろう。なんかいやんなっちゃった(渋)。

2002年2月18日
俺がタチの悪い風邪でヘロヘロなさなか、今日、妹が持病を悪化させて入院。今週中にすぐ手術らしい。なんかウチじゅう病人だらけじゃん(悲)。

2002年2月17日
とうとう観念して(?)病院で診てもらう。のどがパンパンに腫れていたのを切って膿を取ってもらった。息をするのにも痛かったのが、かなり楽になる。声はまだあんまり出せないけど、咳のほうはだいぶおさまってきた。正直、一時は熱が40度を越えて、どうなることかと思ったっす・・・。今は大事をとって、あと数日おとなしく完全休養するつもり。週末くらいには復帰できるか?

五輪、ショートトラック男子1000m準決勝で、日本のエース寺尾悟選手がアクシデントに巻き込まれた。このレース、寺尾選手が3番手からチャンスを狙う展開で、ゴール直前に先頭の2人が接触して転倒。わずかな間隙をすり抜けるようにトップに躍り出た寺尾選手は、そのまま両腕を突き上げてゴールした。ところが試合直後、場内に「寺尾失格」のアナウンスが。日本チームは抗議文を提出しようとするが、なぜかその受け取りを頑なに拒否する審判団。失格の理由は「2人が転倒したのは寺尾選手が押したから」というものだが、ビデオ映像のリプレイを見る限り、寺尾選手の手は2選手の体にどこも触れていないようにしか見えない・・・。この雰囲気というか既視感は・・・、あのシドニー五輪柔道男子100kg超級決勝「篠原信一 vs ドュイエ」の悪夢ふたたび、って感じ。どうなっとんじゃー。

続く決勝も大荒れの展開に。地元米国のスーパースター、アポロ・アントン・オーノ選手とレース終盤の先頭争いで競り合っていた李佳軍選手(中)が、強引な仕掛けが災いして自ら転倒。この転倒のあおりを食う形でバランスを失った安賢洙選手(韓)が最終コーナーで、競り合っていたトュルコット選手(加)、先行していたオーノ選手の2人を巻き込んで転倒してしまった。優勝したのは、このレースで終始最後尾に付けていたスティーブン・ブラッドバリー選手(豪)。オーストラリアの選手として初の冬期五輪金メダルを獲得した。オーノ選手は這いながらの執念のゴールで銀メダル。
ところでこのブラッドバリー選手、準々決勝でも準決勝でもこれと同じような試合展開(先行する選手たちの相次ぐ転倒による最後尾からの逆転)で勝ち上がっている。本人曰く「信じられない。勝っちゃった・・・。」って、まさに「漁夫の利」レーサー。カッコイイぞ!

空前の大ヒット「千と千尋の神隠し」がベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞。これで最後これで最後と言いながら宮崎駿監督ますます馬力全開ですな。

2002年2月16日
朝、熱がちょっと下がってイイ感じ。今日も五輪、五輪で暮らす。

フィギュアスケート・ペア決勝の結果について囁かれていた「疑惑の判定」問題はやはりクロだった。2組のほぼ同じ難易度の演技のうち、ミスのあったロシア組が優勝、ノーミスで完璧な演技だったカナダ組が2位になった、というこの問題、「ペアでロシア組を優勝できるよう計らえば、代りにアイスダンスでフランス組に有利な判定が得られる」という不正な交換条件にフランスの女性審判が乗ったものとみられ、さらに「次回の国際スケート連盟の選挙で審判員としてさらに良いポストに当選できる」手はずになっていたという。イカンですね(怒)。
で、このまんまじゃあんまりだとIOCも思ったんでしょう、今日、2位だったカナダ組の順位を繰り上げ、金メダルを授与することを決定した。金メダル2組は五輪史上初の珍事。

2002年2月15日
今日もアイスノンにくるまって寝床でソルトレーク五輪見物。

フィギュアスケート男子シングル。4回転ジャンプを根性で決めて本田武史選手が日本男子初の4位入賞。イイ表情しとりました。今までここ一番!ってトコで必ずヘナッてた本田くん、とうとうここにきて花開きましたな(祝)!優勝はロシアのヤグディン選手。完璧な演技で王者の貫禄を見せつけ金メダルを獲得。「王子様」プルシェンコ選手はショート・プログラムでの出遅れが響いてヤグディン選手には届かなかったものの、それでも銀メダル。ロシア勢強し。

スピードスケート女子500mでは、ついこの間まで日本代表への選抜すら危ぶまれていた岡崎朋美選手が6位入賞。1回目の滑走では日本新記録までマークして見せるなど、30歳という年齢、スランプを乗り越えての見事な活躍。いつもニコニコのその表情の中に、驚くほど強靱な精神力を感じた。いや〜強い!マジ強いっすわ(脱帽)!

2002年2月13日
今日も寝たきりテレビざんまいの俺。なんとなく見ていたNHKの国会中継、衆院予算委で、政府のODAで北方領土に作られた施設などが現地では、小堺一機のモノマネでおなじみのあの特定の議員の名前で呼ばれている事が指摘されていた。国後島の「友好の家」が「ムネオハウス」、色丹島の診療所が「鈴木宗男診療所」、政府から贈られた4輪駆動車が「ムネオ号」。「鈴木さん、あなたは私たちの友達です。」と書かれた大きな看板を掲げた「ムネオハウス」の写真には国会が爆笑に包まれた。税金・援助の私物化に憤慨しつつも、このネーミングと写真には思わず失笑。ふんとにもー(呆)。

五輪、スピードスケート男子500m決勝。期待の清水宏保選手は、2回の滑走の合計で優勝したケーシー・フィッツランドルフ選手とわずか0.03秒差の2位。試合後マイクを向けたインタビューアーにいら立ちを隠さず、記者会見では腰に故障があった事を明かした清水選手は、銀メダル獲得の結果にもまるで敗者のように沈痛な表情だった。

2002年2月12日
頭痛にもめげず、テレビでのオリンピック観戦だけは今日も欠かさない。

スノボード男子ハーフパイプ。高校生スノーボーダー中井孝治選手が素晴らしい演技を決めた。各国の強豪選手と比べて、スピード・高さとも申し分ない出来で、これはメダル獲得確実か!と思われたが・・・、なぜか得点はまったく伸びない。試合が終わってみれば中井選手は5位。金、銀、銅のメダルは米国選手によって全て独占されていた。たしかに優勝したロス・パワーズ選手はずば抜けた演技を見せたかも知れないが、2位、3位の米国選手と競り合う中井選手やフィンランドのソルサ選手など他国の有力選手の点数が、実際の演技のレベルに比べて低く抑えられた感は拭えない。
前回のW杯には出場せず自国トレーニングに専念してきた米国選手たち。そして他国の選手からは「今回の五輪のコースはW杯など国際試合のコースと形状が違い過ぎる」との意見が多いとも聞く・・・。
割れんばかりの大「USA」コールが響き渡る中、中井選手は悔しさを押し殺すように無言で会場を立ち去った。それでええんか!USA!

テレビのニュース番組で、今大会の聖火台を製作した会社の事が紹介されていた。その会社はジェットコースターなどの施設を製作する老舗メーカーだったのだが、例の9.11テロの影響で銀行の融資が絶たれて倒産し、あの聖火台の仕事が最後になってしまったらしい。 「最後に俺たちは世界に誇れるオリンピックの聖火台を作るんだ」と毎日激務に打ち込んだそう。開会式当日、チケットが買えなくて酒場のテレビ中継で点火の様子を見守る技術者たちの姿には涙が出た・・・。

2002年2月11日
とうとう本格的にダウン。1日じゅう止まらない咳ですっかり体力使い果たす。病院に行こうかと思うけど、熱でフラフラしてしまってとても歩いてたどり着けそうにない・・・。とりあえず、布団蒸しになって汗かいて、早く熱を下げるのが先決だよな・・・。

ソルトレーク五輪、スピードスケート男子500m。1回目の滑走で、日本の清水宏保選手のライバル、優勝候補のウォーザースプーン選手(カナダ)が、スタート直後にまさかの転倒。

2002年2月10日
風邪が急激に悪化して高熱発生。ゆうべ遅くに帰ってきてからバッタリいって、目がさめたのはなんと今日の夕方。熱が38.5度前後を行ったり来たりしてて、身体の節々があちこち痛い。うー・・・。
喉も大きく腫れて痛むので、食事はすりおろしりんごだけを流し込んで済ませる。腹減ったー。

オリンピック。スキー女子モーグルで里谷多英選手が堂々銅メダル獲得!ドードードーメダル! 鬼気迫る滑りに感動。ただ、中継してたフジテレビの女子アナウンサーが「ウチの社員ですよ」「友達なんですよ」というのを強調したいのか「タエ〜!(←呼び捨て)」「私も同期として・・・」なんて連発するのが見てて恥ずかしい事おびただしくて閉口した。そんなのは公共のデンパを使わずに後で電話でちゃべれ(噛)!それに対して当の里谷選手は普段通りのそっけない受け答え。カッコイ〜(笑)。
いっぽう今やアイドルを脱皮して世界のトップ選手に成長した上村愛子ちゃんの演技も、豪快で華麗なエアで喝采を浴びたが、審判の判定が厳しく意外と点数伸びず。それでも6位入賞アンタも偉い!

2002年2月9日
テアトル梅田にて映画「アメリ」鑑賞。「デリカテッセン」のジャン・ピエール・ジュネ監督の新作で、予告編を見た時から一目惚れ状態で長らく待ちわびていた映画だ。
とにかくもーこの作品は凄いっす。なんちゅうラブリーな映画かっ!無邪気で明るくて好奇心旺盛で想像力豊か、そのくせイマイチ他人とのコミュニケーション能力に欠けるヒロイン、アメリのキャラクターに思い入れしまくりで、観ている間じゅうずっとココロの中で「がんばれーアメリがんばれー」とつぶやいてた。やっと見つけた恋の相手との、距離を保ったままの謎掛け合戦はワクワクだし、自動証明写真機の謎解きはハラハラだし、意地悪オヤジへの愉快な嫌がらせはドキドキだし、八百屋の実直な若者リュシアンは可愛いくて、旅する小人のスナップ写真は可笑しくて、密室の老人絵描きはまるで俺みたいじゃー(涙)。登場人物も1つ1つの場面も本当に魅力的に丁寧に描かれていて素晴らしい!
とくに最後のキスシーンは今まで観た映画の中でナンバーワンと言っても過言ではないような感じがしないでもない気がするのでDVDとか発売されようものならすぐ買う絶対買う2、3本買うかも知れないそんな俺なのだった。「アメリ」サイコー。

夜は学生時代の友人が集まって飲み会。人生いろいろあるがタカナシ、強く生きるんだぞ。(←「お前こそな!」のツッコミが聞こえてくるようだぜ。・・・フッ。)

第19回冬期五輪ソルトレーク大会開会式。開会宣言でブッシュ大統領は、五輪憲章で細かく規定されている定型文「私は○○(都市名)で開催する第○回オリンピック冬季競技大会の開会を宣言します」という文章に、「誇り高く、決意に満ちた、偉大な国を代表して」というナショナリズムに満ちた文言を勝手に付け加えた。そしてあの9.11テロのグラウンド・ゼロで焼け残った星条旗が入場。世界の国が、その国家規模や政治や宗教を越えてスポーツで競い合い交流するのがオリンピックなんじゃないの?気持ちはすごくわかるけど・・・、これはどうなんだろう・・・。

2002年2月7日
毛髪を生やす元となる細胞組織「毛包」をジャンジャン作り出す再生物質が開発された。お悩みを持つ男性諸氏に「♪なっやっみっ無用ー(和田アキ子)♪」の朗報となるか。ところでこの開発に成功したのは電線メーカー大手の住友電気工業。最先端技術による商品開発は簡単に業種の壁を越えるなあ。

2002年2月6日
佐賀県唐津市の神集島(かしわじま)の海岸で、巨大深海魚「リュウグウノツカイ」が打ち上げられているのが発見された。この魚は縦に平べったく細長い身体をしていて全長4.43m×最大幅35cm。頭部からは80cmの、腹部からは1mの、ヒモ状の長ーいひれが伸びている。色は斑点のある銀白色で、背びれと頭部のひれが朱色。なんというか、タチウオの親玉みたいなたたずまい。西洋では「ニシンの王」とも呼ばれているらしい。< そのようすがどんなだったかコッソリ見る >
ちなみに第一発見者はお寺のお坊さんだったそう。彼(彼女?)もきっと成仏できたことでしょうな。

2002年2月5日
深夜、なんとなくテレビのチャンネルを回してて見つけたアニメ番組のエンディング主題歌がなかなかイイ曲で、誰の歌?と思ってスタッフロールを注意して見てたら、なんとあの橋本一子さんの曲だった。素晴らしいー。80年代頃は彼女の曲けっこう聴いてました。キレイでクールでお洒落な一子さんだけど、俺が一番鮮明に憶えてるのは「はにわオールスターズ」のライブで、小川美潮さんたちと声合わせて「寿司屋の源さん」や「隅田川大惨事」なんて曲をコミカルに唄い踊ってたセクスィーなお姿。♪屋〜形船〜、転覆だ〜♪(←謎)
そしてそのちょっと小難しいロボットアニメの名は「ラーゼフォン」。出渕裕さんが監督で、キャラクターデザインは山田章博さん。でも毎回チェックするには放送時間遅すぎだよー。

2002年2月4日
お茶の間の人気者だった太神楽「海老一染之助・染太郎」の染太郎さん(兄@頭脳労働)が逝去。もうあの元気が出る「おめでとうございまーす!!」のかけ声は聞けない・・・(悲)。

40年余、世界のトップを走り続けたデザイナー、イヴ・サンローラン氏がファッション界から引退。

2002年2月1日
年末からずっとまぶたのけいれんが続いている。最近あまり気にならなくなったのは、症状が軽くなったというより慣れのせいか。右目は少しは良くなったような気がするが、左目の具合が悪くて、けいれんとともにまぶたが下がってきて開きにくくなってしまった・・・。すこぶる気持ち悪し(涙)。Webで「まぶたのけいれん」の症状を調べたら、その治療法に「まぶたにボツリヌス菌を注入する」てな恐ろしいコトが書いてあったりして。大丈夫なんだろうか俺。ピーンチ!!(←ストレッチマン)

2002年1月31日
天王寺MIO内SONY PLAZAでパンダのぬいぐるみPEZを衝動買い。プリティー・ダイナマイツ! ・・・というワケで、<愛機「QV-10」で撮ったパンぬいPEZ写真を見る>

奈良、興福寺の中金堂を創建時の姿に復元するための発掘調査で、仏像を安置した須弥壇の下にあたる場所から金、砂金、水晶玉、琥珀、真珠、ガラス玉などの宝物約300点が出土。ここからは過去2回、同様の宝物が掘り出されており、これらは国宝に指定されている。今回も国宝級の発見なのかも。

2002年1月30日
手当たり次第にありとあらゆる物質を吸い込んでしまうはずの宇宙の落とし穴ブラックホール。だが実際には、ブラックホールからは勢い良くガスが噴き出し「ジェット」を作り出している。なぜこうした現象が起きるのかは謎とされてきたのだが、日米の研究グループが一般相対性理論などをもとにしたシミュレーションから、この仕組みを解明することに成功した。なんでも「ブラックホールが光速に近い速度で回転すると、そのまわりに時空がねじれた奇妙な空間ができ、その一部のエネルギーが「負」となることがある。この時、ブラックホールからエネルギーが外に放出されて、それによって上下にねじれた磁力線の流れが出来る。この流れに加えて、ブラックホールに吸い込まれず残っていた周辺の物質が乗って、ジェットが形成される」んだそうだ。まったくもってよくわからんが、なんしかスゴい! 

2002年1月29日
梅田ガーデンシネマにて映画「ペイネ・愛の世界旅行」を観覧。俺のココロの師匠、レイモン・ペイネ氏の作品をモチーフにした仏・伊合作1974年のアニメーション映画だ。ペイネ作品不変のテーマである「戦争反対&恋愛賛成」はもちろんのこと、色濃いヒッピー色と政治風刺が全編を貫いていて、ベトナム戦争がいつ終わるとも知れず続いていたこの時代を感じさせる。おなじみのキャラクター「恋人たち」が、天国で貰ったパスポートを手に世界旅行をし、途中立ち寄るあちこちの国であらゆる歴史上の出来事(キリスト誕生からパリ五月革命に至るまで)に遭遇し、さまざまな人物(ヒトラーからネモ船長やビートルズまで)に出会っていく中で「真実の愛」を探索する、という物語だ。

イキナリ不満から言えば、全体にサイケ色が強すぎて(←これはまあ製作年代を考えればやむを得ないが)絵柄とタッチがペイネ師匠のモノとはほど遠い事に閉口。色彩にしてもキャラクターの動作にしてもなんだか大味で「ヤリ過ぎ」な感じだ。もっとペイネ作品の洒脱で軽快な1コマ漫画的雰囲気を大事にして欲しかった・・・。ペイネ氏本人はそのへんのチェック、けっこう無頓着だったんだろうね。どうも「アニメ映画化してくれるんだって!」なんて無邪気に喜んでいそうな感じだなあ(笑)。あと「恋人たち」は男の子がなんだか影が薄かったのに比べ、女の子は表情や動きが丁寧に描かれててやたらとセクシー。これはきっとスタッフがイタリア人男性なせいなのだろう。(←偏見:笑)
この映画で素晴らしかったのは、何と言ってもテーマ曲をはじめとする音楽!そしてそのテーマ曲にのせて、次々とフラッシュバックされる歴史上の様々な戦争のモノクロ実写映像の中を、場所も時代も超えて何度も何度も手をつないで駆け抜けて行く恋人たちのシルエット・・・。このオープニングのシーンは本当に感動モノで、これだけで本当に涙が出た。各場面とストーリーは、ペイネのイラストを巧く引用して構成されていて、ファンにとっては元ネタ探しの楽しみなんかもあったりするのだった。

ところで上映期間中、ガーデンシネマの売店でペイネグッズが販売されていたのだが、その中にヘラルドの「レイモン・ペイネ画集」が3000円で売られているのを発見!これは発売された当時、欲しかったけど値段が高くて(定価9800円)買えなかった物。売店のお姉さんも怯えるほどの、抑えきれぬ満面の笑みを浮かべつつソッコーで購入!これだけでも梅田の長〜い地下道を通ってスカイビルくんだりまで来たかいがあったってもんでしょう。う〜んシヤワセ〜。
映画館はガラガラだったし数少ないカップル客の男はグーグー寝ていたけど、それでも俺は満足満足。

2002年1月28日
「長くつ下のピッピ」『名探偵カッレくん』などの著作で知られる児童文学者、アストリッド・リンドグレーンさんが逝去。

2002年1月24日
奈良県当麻町の三ツ塚古墳で、7世紀末〜8世紀初頭の金銅製金具付きの革製のポシェット型バッグが出土。これは革製の袋物としては日本最古の品なのだそう。金具やストラップ部分なども精巧な作りで装飾性が高く、革袋本体はちゃんと身体のカーブに沿う形に作られていて、現代にも通用するようなモダンなデザインだ。やるな、古代人のみなさん。

2002年1月23日
玩具のタカラが、実際に乗れる「チョロQ」を発表。1人乗りの電気自動車で普通免許があれば公道も走れて、最高時速60km、8時間充電で80kmの距離を走れるんだそうだ。ちなみに価格は100万円前後を予定。でもコレ、やっぱし走る前はまず手動で後ろにグーッと引っ張らないといけないのか?

歌手のペギー・リーさんが逝去。

2002年1月22日
手でキコキコ握るだけで携帯電話に充電できる充電器「ドルフィンパワー」を衝動買い。あと、手でキコキコ握れば点灯する懐中電灯「ハンドパワーライト」もついでに購入した地球に優しい俺。
キコキコキコキコ・・・、いや〜ん明る〜い。(←ばか)

鹿児島県大浦町の海岸に、突如14頭もの大型クジラが打ち上げられているのが発見された。まだ生きているクジラもいるらしいのだが、なにしろスケールがデカすぎて救出には苦心しそう・・・。

奈良県明日香村キトラ古墳の石室に新たな壁画が確認された。これは中国の王墓に見られるような獣頭人身の十二支像と同様の図柄で、虎の顔(←実物は虎というよりまるでモグラかネズミ)に武人の体を持つ怪人像の壁画。カッチョイイー。

2002年1月18日
「ながいながいペンギンのはなし」「北極のムーシカミーシカ」で知られる児童文学家、いぬいとみこ氏が逝去。読書感想文とか書いたなあ・・・(合掌)。

2002年1月17日
誕生日。「曲技団」も4年目に突入。また1年よろしくお願いいたしまする〜(伏)。

2002年1月11日
南アフリカの洞窟で、人類が幾何学模様を彫った推定7万7千年前の石が発見された。これまで人類最古と思われていた物はフランスのキュサックの壁画(昨年7月5日のカクレガ日記参照)で、これは古く見積もっても3万5千年前の物。倍率ドン!さらに倍!(←巨泉)って感じに、一気に人類の歴史がさかのぼりました。凄いっす。

2002年1月10日
風邪引いて朝から頭痛がひどい。ああアイスノンベルト、君だけが頼りさ・・・。

2002年1月8日
枕元に立った神様の御託宣で(うそ)まだまだお掃除は続く。「ホームセンター ←→ 自宅」間を何度も往復し、天井付近まで背のある本棚2本と、組み立て式メタルラック(棚)のパーツを買い込んできて一気に組み立て&設置。ジャンル、大きさ別にきちんと分類しながら蔵書を1つ1つ収めていく。今まではギュウギュウ詰めでどこに何があるか分かんなくなってた俺の本棚も、これですっきり整理完了。メタルラックはコピー機と「PowerMac 6300/160(メグちゃん2号)」を置く台にする。これはキャスターを付けて移動可能に。さらに震災の時落下して壊れてたCDラックも修理し、これにもキャスターを付けてコロコロ移動可能に。すこぶる便利になった。キャスターってイイねえ(喜)。

漫画「クリちゃん」の作者、根本進氏が逝去。「フクちゃん」に続いて「クリちゃん」まで・・・(涙)。といっても俺はさすがにこれらの漫画のリアルタイム世代じゃないんだけど、小さい頃ウチに「クリちゃんレコード」っていうシリーズものの、レーベル面にクリちゃんのイラストが描かれた童謡のドーナツ盤が何枚かあって、それをよく1人でオンボロのポータブルプレーヤーにかけて聴いてた。そのころの童謡って、歌手がみんな甲高くて鼻の詰まったキンキンの作り声で、なんでわざわざこんな不自然な声で唄うんだろう?と不思議に感じてたなあ。そんな事思い出しました。合掌・・・。

2002年1月7日
宇宙からのデンパに命令されて(うそ)一睡もせず狂ったようにお掃除は続く。荷物を全部放り出し、押し入れと天袋の中をゴッシゴシ雑巾がけ。その後必要な荷物だけを元に戻して後は処分。おとといまで「床はいったいどこ?」って状態だった俺の部屋から容赦無く荷物を持ち出し空っぽに。この間買ったおニューの掃除機を大活躍させ、隅々まで吸って吸って吸い尽くす。

2002年1月6日
一念発起して、年末・正月にできなかった大掃除に取り組む。まずは部屋中に山と積まれた本・雑誌・ビデオ・その他ガラクタ類を処分。一部思い出も処分(苦涙)。ふと読み返してみたくなる誘惑を抑え、多少未練がある物も思い切ってズバズバ捨てる。本の重さで変型してしまったカラーボックスもお役御免。本棚をぜーんぶすっかり空にして、ここ数年間に降り積もったホコリを綺麗さっぱり拭き取った。これだけで丸1日仕事。

2002年1月5日
帰ってきた。あーやっぱり家がいちばんイイや〜(畳でクロール)。

2002年1月4日
親戚の葬儀に出席。某TNR教のお葬式に出たのは初めて。ちょっと神道っぽい感じで珍しかった。

2002年1月3日
田舎へ出動。

2002年1月1日
・・・というワケで明けました。おめでとうございまする〜(目出鯛)。今年もよろしくネ。

正月早々、親父方の親戚の訃報が届いた。なんか今年も波乱含みの幕開けである。またあの田舎へ帰省せなアカンわけね。もーただただモメゴトが起こんない事を祈るばかりっす。はぁー・・・(暗)。

2001年12月31日
いよいよ今年2001年も今日で終了。いや〜何かと大変な1年だったっす。マジで来年こそは順調で平穏な年になって欲しいと切望しまくり。(←変な日本語)

さて、野郎共の大晦日のお楽しみ、おなじみの猪木祭り「INOKI BOM-BA-YE 2001」をTV観戦。今や格闘興行界の首領・アントニオ猪木氏の ひとりよがり ロマン溢れる大イベントだ。
昨年の猪木祭りは、そうそうたる総合格闘技の猛者たちがプロレスラーに混じってプロレスの試合をやる、というクロスオーバーな趣向で、各選手の本当に楽しそうな様子が印象的なイベントだったのだが、今年の目玉は「K-1 vs 猪木軍」。いや〜なんかもう興行としてケレン味満点(嬉)。
俺がいちばん楽しみにしていたのは「ドン・フライ vs シリル・アビディ」の1戦。ケンカ番長アビディ選手のナイフのように鋭いパンチ・キックを受けながら一歩も引かず組み付いていくフライ選手の揺るぎないたたずまいはまさに頑健そのもの。力任せにテイクダウンし、関節技を狙っていく。途中、完全に極まったかと思われたアームロックを耐え、スルリと抜けてみせたアビディ選手の身体の柔軟さにはビックリ!しかし最後は、マウントからの攻撃を嫌ってうつぶせになったアビディ選手に裸絞めを決めてフライ選手堂々の勝利。ドン・フライはいつも本当にカッチョイイー!
マイク・ベルナルド vs 高田延彦」戦は、大方の予想通り、高田選手が守りに徹するスタイルを貫き、ベルナルド選手が攻めあぐねる、という構図となって、結局判定ドローに(デジャヴ)。憤まんやる方ない様子のベルちゃんとは対照的に、やり切った!と満足げにすら見える、これが現役最後の試合となる高田選手の表情が印象的だった。でも場内は大ブーイング(苦笑)。
K-1対プロレス「ミルコ・クロコップ vs 永田裕二」は開始早々のタックルを軽く切ったミルコ選手が、降り下ろすような目にも止まらぬハイキックを永田選手の右側頭部にズバッと決めて秒殺勝利。
そしてこの日のメイン・イベントは意外なカード「ジェロム・レ・バンナ vs 安田忠夫」。人生崖っぷちの借金大王・安田選手の相撲仕込みの突進力と投げが、豪腕パンチを過信してヨユーこいてたバンナ選手を慌てさせたか、意外とたやすくグラウンドへと雪崩れ込む展開。最後は安田選手のがむしゃらなギロチンチョークに思わずバンナ選手がタップした。誰もが予期しなかった大番狂わせに場内騒然。大ヤスダコールの嵐の中、別居中の娘さんを肩車して男泣きの安田。う〜ん、演歌だ・・・。
いや〜、それにしても猪木祭りはホントにいかがわしくってイイねえ〜(他意なし)!

2001年12月28日
ファンケル化粧品」のCMで流れてる、♪すごいよね〜ファンケルの〜、クレンジング・オ〜イル、指先を〜そっと滑らせるだ〜けで、あ〜〜とてもき〜れい〜♪っていうあの歌はロック魂があってカッチョイイっすね!「Lamuse-mieux」っていうガールズバンドでヴォーカルを担当してた小谷伸子さんて方が唄ってるらしいです。残念ながらCD化の予定は無し。(←問い合わせたもよう)

2001年12月26日
曲技団オリジナル絵皿をようやく発送。梱包が終わってから写真撮影してなかった事に気付いた。
あと、Eメールでクリスマスカードを送ってくれた皆さんへお返事カードを作って送る。

2001年12月25日
映画「グラン・ブルー」のモデルで大の親日家でもあった素潜り競技の第一人者、ジャック・マイヨール氏が自殺。マイヨールさん、この世界はもうダメですか・・・(涙)。

2001年12月24日
今宵はクリスマスイブ。今年「月光曲技団」およびヨシロー宛にプレゼントをくださった皆さんへ、感謝の気持ちを込めて「曲技団オリジナル絵皿」を製作ちゅう。クリスマス中には間に合わないけど、どうぞ貰ってくださいまし〜(礼)。

2001年12月22日
海上保安庁の巡視船が、奄美大島沖で領海を侵犯していた国籍不明の不審船を撃沈した。追跡&威嚇射撃しても停泊命令を完全無視して逃走を続けたため、これをストップさせる目的で船体射撃を行ったところ、激しく銃撃を加えてきたらしい。とにかくサルベージして真相の究明を。

2001年12月21日
水深4700mの深海に生息する体長7mにも達する巨大イカが発見され、ビデオに撮影された。この生物はMagnapinna属(大きい翼という意味)のイカの新種で、頭部(腹部?)に大きなうちわのようなヒレを持ち、傘の骨のように放射状に広がった10本の脚は全て同じ長さで、途中で関節があるように折れ曲がり、さらにその先が長いひも状になっている。< そのようすがどんなだかコッソリ見る >

大西洋、インド洋、メキシコ湾、太平洋など世界各地の水深1940mから4735mまでの深海で、'88年から今年5月までの間に、日、米、仏などのチームが計8回観察。日本の潜水調査船「しんかい6500」は'98年に水深2340mのインド洋で、この巨大イカのビデオ撮影に成功していたそうだ。
深海とはいえ世界中に分布するこんな巨大な生物が、今まで発見されなかったなんてビックリ。海底何万マイルだかには、まだまだイロイロ変な生き物いそうだよね〜。

2001年12月19日
六花亭」よりストロベリーチョコが届いた。これは妹が「すっごく美味しいチョコがあるから、インターネットで注文して!」とあんまり頼むから注文してあったモノ。見ればホワイトチョコの中に苺が入っているらしい。いちご大福みたいな感じで、甘〜いコーティングの中からジューシーで酸っぱい苺の風味がお口に拡がるのね・・・。それはなるほどウマそうだ。妹に1つ貰って食べてみた。すると・・・、ジー、ウィーズ!中身の苺がサクッとフリーズドライやん!ツバが吸い取られるツバが吸い取られるー!俺はこのドライな食感が大のニガテなんだってー!!落胆する俺を見て妹が不思議そうに「ドライやから美味しいんやん。」と一言。そうか?そうなのか世間のみなさまがた(迫)!

2001年12月18日
シャンソン歌手、ジルベール・ベコー氏が逝去。堂々たる歌いぶりと優しい笑顔はもう見られない。
♪バ〜ラ〜は〜あ〜こが〜れ〜、バ〜ラ〜は〜あ〜こが〜れ〜、バ〜ラ〜は〜ボ〜ク〜た〜ち〜の〜ゆめ〜・・・(涙)♪

2001年12月17日
テレビ朝日「ニュースステーション」で、シンクロナイズドスイミングの奥野史子選手の特集をやっていた。選手引退後の奥野さんが第2の人生として選んだのはエンターテイメントとしてのシンクロの可能性を探る道。なんと彼女は厳しいオーディションを見事パスして、シルク・ドゥ・ソレイユのラスベガスでの人気ショー「O(オー)」に出演が決まったのだそうだ。それにしても、世界選手権で芸術点10点満点(日本で唯一)、バルセロナ五輪銅メダリスト、という奥野さんの実力を持ってしても、ソレイユの練習ははとても厳しいもののようだった。関西人の俺たちには親しみ深い彼女だけに、絶対がんばって欲しいっすね!そしてベガスはあまりにも遠いけど、いつかぜひ観に行きたいっすね!

2001年12月15日
南船場「SPICE ROAD」の店じまいライブ。この夜の出演は「TUKTUK」。このお店で飲めるのもこれが最後と思うと寂しい限り・・・。そのうち俺もここでライブやらして欲しかった〜(涙)。

2001年12月13日
阪神タイガース、野村克也前監督の後任は星野仙一氏に内定。あいかわらず選手にスター不在なためか監督にスター性を求める傾向が続いておりますな。まあ星野さんならチームに喝入れてくれそうだけど、中日ドラゴンズとそのファンは黙ってないでしょうな(怖)。

2001年12月12日
一部の欧州アニメーションのファン以外にはほとんど知られていなかった旧ソ連の短編アニメ映画「チェブラーシカ」が、なぜか今静かなブームとなっている。なぜ今チェブラーシカが?と不思議に思っていたのだが、その仕掛人、じつは神戸在住の1人の若い女性の方だったらしい。梅田のホールでの夜間映画上映の仕事で「チェブラーシカ」に出会って、それまで勤めていた吉本興業を退社し、1千万円(退職金含む)を工面するや単身で米国の会社に掛け合って上映権などを買い取り、とうとう全国のミニシアターでの上映を実現したんだって。すっごい実行力だよなー(驚)。おかげで俺たちも動く「チェブラーシカ」を見ることが出来ます。大感謝!

2001年12月9日
長年使い続けてきた我が家の電気掃除機、ナショナル「自動チリ落し 隼 MC-7510c」(吸込仕事率100W:←弱っ)が、とうとうブッ壊れた。ちゅうかここまでよくもったよなあ。少なくとも20年は使い倒したぞ。今までお世話になりました、合掌・・・。
というワケで、オカンに付き添って隣町のニノミヤへ新しい掃除機を買いに行ったのだが、家電製品のメーカーや型番なんぞ全く無頓着だと思っていたオカンが、今回購入する掃除機についてはなぜか事前に入念なカタログチェックを済ませ、意中の製品を胸に秘めていた事にビックリ。その製品とはナショナル「本体排気カット/パワフル お掃除2刀流 手軽にヒョイ MC-V280XD」。2時間サスペンスばりのダダ長いネーミングにその性能が余すところ無く表現された高級かつハイスペックなマシンなのだった。広い売り場を迷う事無く一直線に「MC-V280XD」の元へと歩を進めるオカン。ところが大掃除シーズンを迎えているためか、それは売り切れ中なのだった。

買う気満々の出鼻を挫かれた我々の前に、その時ナゾのおばはんが声をかけてきた。やたらと立派な体躯のそのおばはん、売り子ではあるようだが名札の付いたエプロンの下は私服で、明らかにニノミヤ社員やただのバイトとは違う雰囲気。俺たちが掃除機を買いに来たと見るや、凄まじい営業スマイル慇懃トークで猛烈なアプローチを仕掛けてきた。有無を言わせぬその迫力に、かつて大阪商工会議所公認・販売士3級を誇った俺(笑)もタジタジだ。聞けば、おばはんの口利きなら明日には現物を届けられるうえ、店頭価格ゴーヨンパーのところをヨンゴーポッキリまでまかるらしい。なんか人物として好きになれないこのおばはんの販売実績に累計されるのは甚だ遺憾ではあるものの、話自体は悪くない条件なので、おばはんの提案に乗って注文する事に。彼女はレジまで俺たちを連れて行くと、男性の社員さんに「翌日渡し」「ヨンゴーポッキリ」の条件を告げ、「あ〜忙しい忙しい・・・」とつぶやきながらそそくさとその場を立ち去るのだった。すこぶる感じ悪し。
ところが社員さんは申し訳無さそうにオカンに告げた。「たいへん申し訳ございませんが、こちらの商品は大変な人気商品で品薄となっておりまして、早くても明後日まで入荷しないんですよぅ(汗)。それから、お値段のほうなんですが、4万5千円・・・というのは正直申し上げましてちょっと・・・(汗汗)。4万7千8百円・・・までなら勉強させていただきますが、そのセンではいかがでございましょうか・・・(汗汗汗)。」なんだかその社員さんが可哀相なような気がしないでもなくなってきた俺たちは「それでけっこうですよ」とニコヤカ(苦笑)に注文をしたのだった・・・。

だが何も損はしてないはずなのに何だろうこの敗北感は?そしてあのおばはんはいったい何者!?

2001年12月8日
K-1 WORLD GP 2001 決勝」テレビ観戦。今年の決勝トーナメントは波乱の連続だった。1回戦でステファン・レコ選手を判定で破ったアーネストホースト選手は試合後負傷によるドクターストップがかかって2回戦に進めず、また復活を賭けて万全の体制で臨んだはずのピーター・アーツ選手もフランシスコ・フィリオ選手との試合で左足甲を骨折してTKO負けとなってしまう・・・。
そんな中行われた最注目のカードが「ジェロム・レ・バンナ vs マーク・ハント」。試合は序盤、お互いに相手の出方をうかがいながらの展開。ややバンナ選手がプレッシャーをかけて優勢か。2R、バンナ選手が左ヒザ蹴りを突破口に一気にラッシュに出る。あっという間にコーナーへ追い詰められるハント選手。バンナ強し・・・、だが次の瞬間、ハント選手の強烈な右フックがカウンターで炸裂!これがガツンと効いて形勢逆転、バンナ選手に一瞬棒立ちのスキが生まれた・・・。こうなるとハント選手はもう誰にも止められない。ハンマーをブン回すような重たい連打の嵐に、今大会の優勝候補No.1と誰もが思った筋肉怪獣ジェロム・レ・バンナもついにリングに崩れ去り、2度目の怪獣対決はマーク・ハントが制した。

そして決勝は「マーク・ハント vs フランシスコ・フィリオ」。A、B両ブロックを決勝まで登り詰めたのは、対照的な戦い方を見せた2人だった。今大会「一撃」にこだわらず確実にポイントを取る判定重視の防御戦法を貫いたフィリオ選手、対して、驚異的な打たれ強さと破壊力でバンナをも破ったハント選手。果たして、カウンターを狙いつつガッチリ固めたフィリオ選手のガードをハント選手がパワーで突き崩していけるかどうかが、この試合の焦点となった。しかし意外な事に、ここでハント選手はボディブローを多用し始める。ボディを打つ、間合いを詰めて数発連打、カウンターを避けてスッと下がる、を巧みに繰り返す。この攻撃パターンに、さすがのフィリオ選手もダメージが蓄積しジワジワとスピード、手数が失われていく・・・。両者とも決定的なポイントを奪う事が出来ずに延長戦にもつれ込んだものの、最後には、防戦一方で手が出なくなったフィリオ選手にレフェリーから「注意」が出るなど、ハント選手の優勢が確定的となっていた。ラフ・ファイターと思われがちなハント選手だが、この試合では巧さの部分も充分見せつけて3-0と大差の判定勝ちをおさめ、見事2001年のK-1ワールドチャンピオンの座に輝いた。
それにしてもハント頑丈過ぎ(驚)!!

2001年12月7日
俺たちの世代にはプラモデルの外箱の細密・華麗な絵で、俺たちの親父の世代には少年雑誌の絵物語や口絵で、とても馴染み深かった画家、小松崎茂さんが逝去。長い長い間、その時代時代の「男の子」たちの夢と憧憬をかきたててくれたその偉大な画業に感謝。合掌・・・。

2001年12月5日
朝から突然、目(というかまぶた)がけいれんを起こした。最初はいつもの疲れ目だろうと思ってたが、夜になってもおさまる様子はなく、反対に、とくに左目のけいれんがひどくなってしまった。視点が定まりにくくてちょっと物を見るのにも差し支えるくらい(涙:マジ)。しばらく様子を見て治んなかったら眼科に行かネバ〜(粘)。

2001年12月4日
ウソかマコトか「世界を変える世紀の大発明」というふれこみで、昨今Web上で話題だった、コードネーム「ジンジャー」の正体が昨日ついに発表された。米国の発明家ディーン・ケーメン氏の超自信作で正式名を「セグウェイ」というその製品、じつは電池駆動による1人乗り自動2輪車だった。「世紀の大発明」はちょっと言い過ぎだろうけど、今日テレビで見たその動く映像にはなるほどかなりのインパクトがある。センサーによって自動的に重心を保って常に直立し、運転者は体重移動だけで自由自在にコントロールできるらしい。コレ、値段さえ下がればなかなかイイよ(欲)!

阪神タイガース野村克也監督が辞任。妻のサッチー、沙知代夫人の法人所得税法違反容疑の道義的責任が問われた形だ。カントクは無念だろうけど、しょうがありませんな。

2001年12月2日
おきさきさまのまさこさまにおこさまごたんじょう(読みにくい)。

2001年12月1日
大西ユカリと新世界」にハマりちゅう。ソウル魂を感じさせる70年代歌謡曲のノリを、中途半端に今風のサウンドに置き換えたりせず、そのまま直球勝負で聴かせてくれる嬉しいバンドだ。ステージ衣装も、ボーカルの大西ユカリさんとバックダンサー「ゴーキャッツ」は60〜70年代和風サイケ、バックを務める「新世界」メンバーはキャバレー華やかなりし頃のハコバンの制服風のスーツ&髪型。俺も大好きな朱里エイコの「北国行きで」や青山ミチの曲なんかもカバーしてて超ゴキゲンなのだ。♪ブルーのカバナが似〜合う〜、ステキなあの人と〜、寄り〜添〜う〜南〜紀〜、白浜の夜〜♪

元ビートルズのジョージ・ハリスン氏が逝去。


もどる