1999年11月29日
梅田にて「木下サーカス」観覧。最終日ということもあり、平日の朝なのにテントは超満員。子供もいっぱい(嬉)。内容は、いつものように始まるいつものサーカス。十八番「葛の葉」をはじめとする、足芸を中心とした昔ながらの演目や、バスガイド風名調子な司会も懐かしい雰囲気をかもし出す。ただこの感じ、俺みたいなサーカスファンにはこたえられない味わいだけど、洗練されたエンターテイメントを見慣れたイマドキの若者にはどう映るのか?ちょっと心配。
だが、目の前に繰り広げられる離れ技の数々や、オリ無しで間近に見るキリンやシマウマやゾウたちの、問答無用の迫力には、超満員のテントがどうっとわく。俺の心配なんて杞憂杞憂。
今回の海外ゲスト、目玉は猛獣イリュージョン。ジゴロな風貌の手品師が、美女(シルビア・クリステル似)を一瞬にしてトラやヒョウに変身させまくる。まん丸いサーカスリングで、観客にぐるりを取り囲まれての鮮やかな脱出技は見事だった。それから、超パワフル&ユーモア満点なスパニッシュ・ダンシング・ドラムの妙技も印象的。あと猛獣使いは牡牝8頭のライオンが出演だ。カッコいいぞ!
最後の出し物、ダブル空中ブランコの時、フライヤー(飛び手)が転落して怪我をするアクシデントがあった。もちろん安全ネットを張っているのだが、この時はかなりヒヤッとした。
失敗した技というのは、いったんキャッチャー(受け手)側に飛び移ったフライヤーが、柱上の島の部分に戻る時、メインのブランコを使わずに、キャッチャーの手から直接、島の下に吊るされた固定ブランコめがけて足から飛んで行き、手を使わずに足で固定ブランコをキャッチする、という荒技。ところがこの時、左足が固定ブランコのロープに掛からなかった!右足はロープに掛かっていたため逆に空中でバランスを失い、もんどりうって落下してしまったのだ。空中ブランコの柱と柱の中間あたりは、下の安全ネットの幅も広くなっているが、柱の真下あたりはネットがかなり狭くなっている。ブランコ乗りにとっては、これくらいは余裕なのかもしれないが、落ち方が落ち方だったので「ひとつ間違ったら」なんて思って冷や汗。そのフライヤーの人は足を痛めてしまったらしく、他の団員に抱えられて退場した。(こうした事故はめったに起こりません。サーカスは怖いものじゃないです。念のため。)
このアクシデントで観客が心理的にちょっと引きかけたのだが、そこからがまたサーカスの素晴らしさ。残ったブランコ乗りのメンバーとピエロ君の熱演で、あっという間にテントの雰囲気を元どおりの不思議空間にひっぱり戻してしまった。何も心配な事など起こらなかったようだ!ああ、サーカス!Circus has it "ALL"!!
1999年11月27日
あーもう、勉強するコトだらけ。知恵熱出そう。ひー(泣)。
1999年11月26日
あごの左がわに、特大のおできが出来てしまった。腫れがひどくて口がひきつれるほど。いてぇー。
1999年11月24日
南船場「SPICE ROAD」オープン1周年記念ライブ。出演者は超絶技巧ギターデュオ「TUKTUK」と、元「Bottle Battles」のブルースマン、明田さん。
いつもの松浦くんではなく秦野さんが初MCを務めた「TUKTUK」。だが秦野さんの日本語は「てにをは」がムチャクチャでトンチンカン。場内の爆笑をかっていた。演奏だけでなくMCも外タレ級。これは「TUKTUK」の新たな魅力だ!またやってほしい!(←すっかり秦野ファン)
1999年11月23日
曲技団の次回出し物は、子供のころ遊んだ「ゲームウォッチ」を思い出しつつ設計中。なんだかちょっと難しそうだー・・・。でもがんばるので長ーい目で見てくだたい。(←小松政夫)
1999年11月22日
元小結、舞の海が引退。おつかれさまでした。あの、30cm以上の身長差、倍以上の体重差のある曙を、三ところ攻めから寄り倒した一番は、今も俺のココロの中に光り輝いているっ。あなたはホントーに強かった!!
1999年11月21日
TVドラマ「ヤマダ一家の辛抱」は面白い〜。あのスタッフであのキャストなら面白くて当然だけど。鈴木その子の芝居が意外とイケてて感心する。あの人も、だてに無気味じゃないんだねえ〜。
それに比べて「青い鳥症候群」は・・・。いや、よそう。その話は・・・。(←河野やす子さんの原作のファンなので)
1999年11月19日
しばらくぶりにまちぞうさんと電話でイロイロじゃべった。今発売中の「Mac Power」誌の特集記事を「Hy-phen」のイラストが飾っているそうだ。これを機にいよいよメジャー進出かっ!?うほー。
イラスト&デザインのユニット「Hy-phen」のサイトはこちら。
1999年11月17日
こんな俺だが、実は昔ちょっとだけ某カタログ販売の会社に籍を置いていたことがある。なんの気なしに見ていたTBSの某朝のワイドショーの通販特集で、同期入社の元同僚のコが女性下着のプランナーとしてインタビューを受けていた。当たり前だが、しっかりくっきりキャリアウーマンしててびっくり。茶髪になってるし。
1999年11月13日
トルコでまた大地震。
1999年11月12日
元ブラビのケディはカワイイー。(←今テレビに出ている)
1999年11月11日
なんだか世間のごく一部で11月11日フィーバーらしい。日付けが1並びな記念切符の購入希望者が殺到して処理がオーバーし、JRのコンピューターがハングアップしたとか。一方、グリコでは「11月11日は『日本記念日協会』によってポッキー&プリッツの日と認定されました。」とかいってキャンペーンしとりますな。「日本記念日協会」なんてあるんだねえー。
1999年11月7日
空手、極真会館の世界大会をTV観戦。決勝は数見肇vsフランシスコ・フィリオ。今大会を象徴する日本対ブラジルの一戦だ。お互いに間合いの計り合いでなかなか手が出ないのだが、その緊迫感は見ていてまったく息付く隙が無いほど。まさに侍どうしの真剣勝負である。あの怪物級の強さを誇るフィリオに対して、骨折のため右足を封じられた形の数見選手が、それでも下段回し蹴りで押してゆく姿は圧巻!2度の延長戦でも勝負がつかず、試し割り判定でついにフィリオの優勝が決定した。フィリオはやはり強かった。スゴい男だ!
しかし惜しくも敗れはしたが、数見選手の山のような不動心と、全く無駄の無い体さばきと、芸術的な技の切れは、やはり大会中ピカ1だったと思う。あと、野地竜太選手のブチ切れた戦いぶりは印象的でした。
1999年11月6日
「Zepp Osaka」にて、待ちに待ったブライアン・セッツァー・オーケストラのライブ!西日本じゅうのスイング・キッズとロケンローラーが南港に集まった。うおー、こんなにたくさんのリーゼントを一度に見るのはいったい何年ぶりなんだろうかっ。
開演が待ちきれない俺たち観客のおねだりの手拍子に誘われるように緞帳が開く。オープニングからいきなり炸裂する、ロカビリーとスイング・ジャズを足して2を掛けたような超パワフルな演奏に、場内はイッキにヒートアップ!もー踊りまくりの飛び跳ねまくりの叫びまくりの飲みまくり。観客もバンドもバリバリのノリノリだ。ホーンセクションのド迫力のサウンドとトランペット隊のオヤジばなれした(バンドは全員オヤジなのだ)可愛い振り付け!ロカビリーならではのウッド・ベースのアクション・プレイ(持ち上げるわ回すわ寝転ぶわ乗るわ)!ラメラメのギターとラメラメの衣装でギラギラまばゆいばかりのブライアンも、それにつられて超絶技巧ギターテク&遠山桜級タトゥーを大披露!バラードでのブライアンのボーカルは、う〜んセクスィー。まさに緩急自在だっ!
ああ、なんて気持ちいいジャンプ・サウンド・・・。これで、ここが'30〜'40年代くらいのボールルームで、可愛いハニーがいて、2人でジルバのひとつも踊れたら、どんなに幸せなことでしょう。(←どれ1つとっても実現不可能)ブライアンもきっと、ルイ・ジョーダンやキャブ・キャロウェイやルイ・プリマが大好きなんだろうなあ(涙)。いつ果てるとも知れずアンコールは続き、南港の夜は更けていったのだった。
1999年11月2日
月光曲技団スクリーンセーバー(Mac版)が完成。およそ清水の舞台に放火するよーな決心で、なんと本当に「シネマック for Director」を購入してしまった俺だ!こうなったらもー、シェアウェアのスクリーンセーバーを作りまくるしかないっ。「シネマック」のスクリーンセーバーはDirectorベースのため、思い通りの動きがつけられるわLingoスクリプトで制御できるわで、楽々制作。しかも高機能!ただ1つの難点は、Windows標準のものやAfterDarkモジュールと違って、ファイル自体にエンジン部分を含んでいるので、ファイルサイズがかなりデカいこと。
1999年10月31日
朝から「ハイパーマート」へ「ダイエー日本一セール」に出かける。しっかし、家族連れで殺人的な混雑だ。人込みが苦手なので、ついさっきまで満々だった俺の買い気は早くもシオシオ。酸素の多い場所を求めて紳士服売り場へ避難する。ああ、ココはなんてしのぎやすいんだ・・・。ていうかー、平日並みじゃーん。そう思って改めて店内を見渡すと、洋服以外でも男性の欲しそうな物の売り場は概して空いている。荷物だけはいっぱい持たされているのに「お父さん」って損だよね・・・(泣)。アタシは冬物の普段着を少し買いました。
1999年10月29日
前にもちょっと書いたVJソフト「MotionDive2」をサクッと入手した。これはハマります。楽しいっ、楽し過ぎっ。
1999年10月26日
家への帰り道、夜空に浮かんだ満月の見事さにココロを奪われた。めっちゃキレイ。お月さまの模様って、モチをついてるウサギに見えるとか、ハサミを振り上げるカニだとか言われるけど、俺はやっぱり人の笑顔に見えるなあ・・・。でも考えてみれば、なんで自転と公転を一致させてまでいっつもこっち側に笑い顔向けてるのか?月食があって日食もある。月と太陽ってなんで、地球から見える大きさがだいたい一緒くらいなのか?ワザとか?月。そーだったらちょっと怖いぞ、月・・・。
1999年10月24日
月光曲技団スクリーンセーバー(Win版)が完成、さっそくアップする。問題はMac版の制作だ。AfterDark用のモジュールでいこうと思っていたが、どうやら「スクリーンスタジオ」では、Win版で作ったような物は出来ないようだ。多機能だしすごく簡単にいろんなスクリーンセーバーが作れる(音に反応するインタラクションまで使える!)んだけど、タイムライン上のマーカーを条件分岐でジャンプする、とかいう概念が用意されていないので、今回作りたい感じが実現できない。ここはひとつ以前から欲しかった、Directorのプロジェクタファイルをスクリーンセーバーに一発変換するソフト「シネマック」を買ってしまおうか?だがヤツは、見たら目玉から飛び出た火花の推進力でキャスター付きの事務椅子ごと吹っ飛んで背後の壁に4cmばかりめり込んでしまうくらいなキョーレツな値段がついているのだ。さて困ったぞう〜・・・。
1999年10月20日
こないだ決まったばっかりの西村防衛政務次官が更迭された。核武装の論議がどーたら問題提起がこーたらという以前に、罰則が無かったらゴーカン魔になっていたような人とは、マトモな話が出来ません(呆怒)。
1999年10月16日
今日はいろんな事があった。まず、日本橋のソフマップに行って、使わなくなったパソコン関係の周辺機器を売り払う。6点でシメて28,655円也。古いパフォーマ用のグラフィック・カードが意外なほど高く売れた。他は二束三文だったが、プラマイでそこそこの値段になったし、まあまあ満足かな。
日本橋では、今日が発売日だったのか、ウワサの「iBook」の箱を持ってニコニコしてる人がけっこういた。展示されている実物は、写真でみるよりキレイで質感が良く、イイ感じだった。誰か買ってくれ!俺に!
その後、築港の赤レンガ倉庫敷地内の特設テントにて、劇団「楽市楽座」の新作「ジェットゴースター」を観劇。半分本気で「恐怖幻想歌劇(ホラー・ファンタジー・ミュージカル)」と銘打たれた芝居だ。「オズの魔法使い」を下敷きに、面白くて、イカれてて、やがて切ない物語だった。ドロシーと岸くんの、どうしようもない記憶のすれ違いが、涙を誘った。劇団のみんなとはご無沙汰してしまってるので、終わってから挨拶に行かなきゃーと思っていたのに、芝居に感動したのと、役者のみなさんがキラキラまぶしくて持病の「場違い光線自爆」を起こしたのとで、黙って帰って来てしまった。こういうところがダメダメやなあ、俺は・・・(泣)。
夜遅くに家に帰り着いたら、妹がヒヨコの時から飼っているウコッケイの1羽が、初めての卵を産んでいた。うほー。さっそくお赤飯を炊いてお祝いしましたうそ。・・・ってことでっ!
<愛機「QV-10」で撮ったヘナチョコ写真を見る>(←やっと実現)
1999年10月15日
WTCソフト産業プラザにて、近頃はもっぱらVJソフト「MotionDive」の産みの親として有名な平野友康さんの講演&交流会に参加。さっすが、ラジオ・パーソナリティーが長いだけあって、話が面白い!内容も非常に俺の今後の人生に参考になるものでした。「MotionDive2」制作秘話、特にパッケージのデザインの裏話はケッサク!キーワードは「メジャー感」。若冠26才にして、あのシタタカさ・・・。
交流会の時、みんな平野さんに名刺を渡すので、俺も負けじとその場で急きょ作った手書きの名刺モドキを渡した。肩書きは「デジタルパシリ」(←いやーん)。へったくそな字とあいまってヤヤウケをもぎ取ったが、家に帰ってから、そこに記したURLが間違っていることが判明。なので、平野氏が「月光曲技団」を見に来る可能性が無くなってしまった。(←もともと無いって!)
1999年10月14日
8月下旬に俺とちーさんとで探索した、大阪環状線沿いに点在する不思議な屋根の上の4桁の数字についてのレポートがやっとこさ完成〜。詳細は「チーズホームページ」にてどうぞっ。
1999年10月9日
深夜テレビで「ルパン三世(初代)」の再放送やってる。ああ、やっぱしイイなあ・・・。ホンもコンテも声優の芝居もイイ!不二子ちゃんの声が二階堂さんなのがイイ!いや、なんといっても音楽(山下毅雄)が断然イイ!こんなヨかったのにルパン、なんであんなになっちゃったかなあ・・・(悲)。
1999年10月5日
巨人×ヤクルト。松井とペタジーニのホームラン王争いのなかで、敬遠を命じられた上原投手が「やっていい敬遠と・・・」と言って悔し泣き。両チーム共に、この日2人には逃げ腰で四球を連発した。う〜〜ん・・・。日本プロ野球、それでいいのか。大リーグの爽快さとエラい違い。
1999年10月4日
米大リーグ、ホームラン王は今年もマグワイア。サミー・ソーサはまたも涙をのんだ(悔)。しかし最後の試合が直接対決で、1本ずつホームランを打ち合うなんて、スゴいドラマっす。
1999年9月26日
帰宅。あ〜、やっぱりウチがいっちばんいいや〜。(←畳の上でクロール)
1999年9月25日
まる4年くらいぶりに親父に会う。まったく変わっていなかった。暗い気分になった。
1999年9月24日
ワケあって突如、イナカ(南紀)に帰省。
1999年9月23日
梅田HEPホールにて、フランスの3人組パフォーマー「Les Cousins(レ・クザン)」のライブ「C'est pas dommage」観覧。アクロバット、ジャグラー、クラウンの3人のバランスが絶妙なドタバタ喜劇的パフォーマンスだ。それぞれソロでカーニバルプラザに出演してたり、日本にも長いらしく、セリフはすべて日本語で、とても分かりやすく楽しい演目だった。なんだか触発されてしまったので、今度ジャグリング用のボールを買って来て練習してみようと企て中。
1999年9月22日
フェスティバル・ホールにて、待ちかねた「伊藤多喜雄 & TAKIO BAND」のコンサート。今回はリズムがさらにタイトにパワフルになっていてド迫力!そして多喜雄さんの歌声はいつもながらに心を打つ。今まで観た中でもベストの演奏だった。コンサート中、何度もジーンとして涙が溢れそうになってしまった。新加入の秋田出身の女性メンバー(名前失念)の秋田音頭の踊りも、めっちゃキレイ&可愛かった。この人、唄もすごく上手くて今後も期待大!
TAKIO BANDのライブは、いつ観てもホントにスゴい。日本の音楽はイイなあ、日本にもこんな素晴らしいバンドがいるんだなあ、と誇らしく思わせてくれる。関西のイベンターのみなさん、もっと伊藤多喜雄を関西に呼んでくださいね!
1999年9月21日
「デジタルハリウッド」にて、Macromedia Director7.0のセミナーに参加。疑似3Dの機能は、作るのめんどくさそうだけど、上手く使えばスゴく面白いものが出来るだろう。バージョンアップしたいぞ!お金があればな!そーいえばギャラの振り込みはいったいいつなのか(涙)!
帰りがけ、やはりセミナーに参加してたまちぞうさんと、梅田の駅らへんで長々と立ち話。そこにたまたまふくちゃんが通りかかったりで、気分は同窓会。
台湾で大地震発生。かなり悲惨な状況らしい。トルコでひどいことになったばかりなのに・・・。
1999年9月14日
去年、地元の某市の市立幼稚園の園児募集のポスターを描いた。その後なぜかそのポスターの現物を見ることもなく、まる1年が過ぎた今日、近所のショッピングセンターに色を替えただけの今年度バージョンのポスターを発見した。ありゃ〜今年も流用するのに作者にひと言も無しなのね、と思ったが、まあ別にイイや、と思い直そうとした時、俺はそれを発見した!ななななっ
なんじゃ〜こりゃあ〜〜っっ!!
デザインのデータはMac&Illustratorで作成して、フロッピーで入稿した・・・はずなのに、この、この、イラストのヘナヘナの描線は何?ああっ、文字ではうまく説明できないので、
こちらをごらんくださいっ。これって、どーなのよっ?
1999年9月8日
けっこう面倒な仕事がひとつ片付いて、ひと心地。ティーポットの中のヤマネのように眠りまくり。だが、入れ替わりに別のトコロの前の仕事の直しが入ってきた。これがまたやっかいなモノになりそうな予感が。でも、いいの。今はただ何も考えずおふとんの上でいつまでも眠っていたいの・・・。
1999年9月6日
例のDirectorムービーにて、またまたトラブル発生!本番の展示会直前にクライアントより直しの指示が入ったので、かなり焦りつつ事務所で手直しをして納品したら、しばらくして電話がかかってきて、ムービーの音楽が鳴らないという。原因をいろいろと調べた結果、Directorのバージョン違いに起因する不具合と判明。自宅のバージョン6.5で作ったムービーを、事務所のバージョン7のDirectorで手直ししたため、なぜかは判らないが音声が再生されなくなってしまっているらしい。バージョン7でムービーを作り直している時間はもう無い。事務所の人は、どこかバージョン6〜6.5を使っている別の会社に機材を借りられないか検討していたが、ついこの間、機材を借りに走り回ったばかりだ。自分の事務所がしょっちゅうそんな具合だと思われてもいいのだろうか?これはもはや、自宅(往復4時間:交通費\1700)へ戻って手直しをし、それを持ってまた戻って来るしかなかった。きっつー。
帰宅ラッシュの電車に揺られて自宅へ戻り作業して、それから6時間後、なんとか事務所に戻って来てみたら、ブツは明日渡しってことでナシがついていた。なんだとお〜。昨夜も徹夜なので、ヘトヘトだ。ちょっとキレかけ。
1999年9月5日
あつかましく「貸して〜」とお願いしちゃってた「二十世紀少年読本」のサントラCDが、まさみさんより届く。ずっと探してたアルバムだったので、めっちゃ嬉しい〜。まさみさん、大感謝(愛)!
1999年9月4日
虚ろなまなざしがコワイコワい、華原朋美。日テレ「夜もヒッパレ」にて大歌唱。視点も定まらぬまま両足を肩幅に開き、ユーレイのようにただただ棒立ちで、用意されたヒット曲メドレーをふらふらと唄っていく・・・。しかし、メドレーが自分の持ち歌(コムロ氏作)に差し掛かった瞬間、突然頭の中のプログラムが起動したかのようにポーズを決め、かつて数知れず繰り返しただろう振り付けを元気良く踊り出した。虚ろなまなざしのままで。
もういい、もういいんだ花子・・・。もう芸はしなくてもいいんだよ・・・。「朋ちゃん」はどっちかというと嫌いなタイプの歌手だったが、この日の歌唱はド迫力。スゴ味を感じました。
1999年9月3日
うおー。ここんとこまた仕事で徹夜責めー。遊びてーようーんおんおんおん(泣)。
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