「ヨシローのカクレガ」


カクレガ日記

2001年5月31日
親父宅に舞い戻り、明日の法要の準備を手伝う。

2001年5月29日
どうか神さま仏さまバチあてないでね(ウインク)。

2001年5月28日
親父宅に母を残して自宅に帰って来た。この1週間、目の回るような忙しさと慣れないしきたり、いろんな人のいろんな毒気(笑)に当てられ続けたせいか、ドドッと眠気と疲れが襲ってくる。なんだかベルトがゆるゆるになっているので体重計に乗ってみたら、なんと8日間で4Kgも痩せてるではないの!いや〜、いいダイエットになったなあ・・・、なんて言ってる場合じゃない。肉体的にもさることながら精神的な疲労からくるダメージが大きいんだよなあ〜。まだまだこれから七日ごとの法要の準備&後片付けの助っ人に木・金・土曜のつどつど行かねばなんないのに、大丈夫なのか、俺(涙)!?
また妹は妹で、田舎では毎日毎日、1日じゅういろいろな女手の手伝いに加えて、運転手としてあちこち走り回ったおかげでグッタリ疲れ果ててるし・・・。
それでも俺たちはこうやって合間合間に自宅に帰って来れるからまだイイけれども、あの針のムシロに田舎に残った母なんて毎朝夜明け前に起きてかかさず祭壇に御霊供膳を作り供え(←よそでは法要のある度でいいらしいんだけどね)、いろんな手続きや接待やしきたりを孤立無援でこなしているワケでホントに大変だ。がんばれ、オカン!
それから喪主!他人の見てないトコでもちょっとぐらい何か手伝え(怒笑)!

2001年5月22日
今日はお葬式。朝からお寺へテント席の設営や花輪のディスプレイなどの準備の手伝いに狩り出されてテンテコマイ。その時まではお天気は小雨で、まあ良かったのだが、お葬式本番が始まり、大勢の弔問客のみなさんが境内のテント席に座ってくださった頃、突如一天にわかにかき曇り、あっという間にまるで台風のような(マジで)暴風雨に豹変した。荒れ狂う雨風の音で、マイクを通したお坊さんの読経もかき消されがちだし、テントが飛ばされないよう押さえてくれてる人たちも必死の形相だ。その時は、俺たち親族一同だけはお寺のお堂の中に座っていたので無事だったのだが(申し訳なし)、横殴りのドシャ降りに、境内テント席のお客様はみんなグシャグシャのひっどいズブ濡れ(本当に申し訳なし)。胸の中で「ばーちゃん、そこまでやるか」とか、ちょっと思ってしまう俺だった(苦笑)。
そんな中、正座で足が痺れた親父は、立ち上がろうとした時、前につんのめってコケ、持ち直そうとして今度はのけぞってコケ、小声で「助けてくれ〜」とかつぶやきながら今度は後列の人めがけてコケていた。しょうがないので支えてやったけど、コント以外であんなの始めてみた・・・。(←もちろんお葬式だしお坊さまの前なのでコントみたいに楽しく笑ってくれる人などいるわけもなく:寒)
そしてお葬式も終わる頃になって、さっきまでの集中豪雨が真っ赤なウソだったかのようにピタッ!と止み、空にはお日様まで顔を出した。その春の日ざしの中を、まるで今海から上がって来たようなズブ濡れの姿で帰って行かれる弔問客の方々・・・。コント以外でこんな(以下略)。風邪ひいた人とかいないとイイんだけど・・・。

2001年5月21日
もう2日間寝てない事もあり、朝から早くもクタクタ。今日はそぼ降る雨の中、祖母を荼毘に付すために焼き場へ行く。人間の最期ってあっけないものだ。あの祖母が、今は小さな箱の中にすっぽり収まってしまった。その後、襖を取り払って祭壇を組んだ親父宅(実家)の2階に一同集まってのお通夜が始まった。昨夜が昨夜だったので、今日はいったいどうなってしまうのか!?(←「ガチンコ!」風)と思ってたが、案の定、昨夜をしのぐ大盛り上がりの果て、しまいにはテーブルをどけて広く部屋を空け、なんと驚くべき事に盆踊りの練習なんかが始まってしまった(!)。夜通し響き渡る床を踏みしめる音と大爆笑の声・・・。これ、ご近所の方々はどう思うんだろうか・・・?(後から聞いたところによると、その時表を通った人は「何の騒ぎ!?」と驚き呆れていたらしい。そりゃそうだわな:恥)

2001年5月20日
田舎にいる、父方の祖母が今朝明け方に亡くなった。急遽帰省して1日じゅうバタバタと対応や準備の手伝いに追われる。田舎の作法やしきたりは複雑かつ難解で初日から翻弄されまくり(涙)。
お寺の集会所での仮通夜は、のっけから叔父の1人が「おい、ビールはないんか!」とか言い出し、なんと親戚勢ぞろいの酒盛りとなって盛り上がり、歌声と笑いが夜のお寺に響き渡った。こんなのってあるのか?俺もこの祖母とは思い出したくもない数々のイキサツがあり、正直とても死を悼むなんて心境にはなりきれないところがあるが、そんな俺から見ても、まったく遺体を前にしてみんなよくやるわ・・・、とビックリ(呆)。宴(?)の後、何十年ぶりかで会った従兄弟と2人で集会所に泊まり込み、お線香を絶やさぬように寝ずの番をした。
さあ、これからしばらくの間、自宅と田舎とを行ったり来たりの生活が始まる。我が家はチョコッとだけ家庭の事情がややこしかったりすることもあって、先々いろいろと大変だよ。はー・・・。

2001年5月18日
米大リーグ、マリナーズのイチロー選手の連続試合安打の記録は、地元シアトルでのヤンキース戦で4打数ノーヒットに終わり、「23」でストップ。でも、前の「15」試合連続安打から無安打1試合だけ挟んで今回の「23」試合連続だからね。もんのすごい記録。  

2001年5月16日
おきさきさまのまさこさまがごかいにん。おきさきさまのまさこさまばんざーい、うえからよんでもしたからよんでも「まさこさま」ばんざーい。それにしてもおきさきさまってひらがなでかくとよみにくいよねー。(ごめんなさーい)  

2001年5月13日
第5回手塚治虫文化賞・マンガ大賞は「陰陽師」。それとは関係ないけどウチにはなぜか「○○○(←俺の本名)ちゃんへ」と添え書きされた岡野玲子先生のサイン入り「ファイシイダンス」のポスターがあったりするのだよん。へへー。(←じまん)  

2001年5月8日
今までWindowsでの作業に使っていたDOS/V機「COMPAQ DESKPRO 6000 6200/2150CDS」が妹んちへ貰われて行く事となったので、自分用に格安のベアボーン・キット(AOpen)を購入し、余ってる部品を活用してPCを1台組み立てた。仕様はCPUがCeleron 500Mhz、メモリー256MB、HDはもともと「PowerMac DT 266」に入っていた4.1GB、52倍速CD、LAN&SCSI付きで、省スペースの小柄な筐体。これでやっと我が家のWindows機もMMX対応となったのだった(笑)!今日からお前が2代目「どす・ぶい子」だ!まかせたぞ(←何を)!妹んちへ行く先代のCOMPAQもまだまだ末長く活躍する予定。(「一太郎」専用機と成り果てる予感も:笑)

2001年5月5日
学生時代の仲間のイラスト展に出品するため京都へ。最終日になんとか間に合わせた形とはなったが、申し訳なし(伏)。夜は例によって仲間数人でドゲどーんの部屋に転がり込み漫画談義に花を咲かせた。来年あたり、オリジナル作品の漫画本(同人誌?)を作ろうかな〜と思い立つ。  

2001年4月30日
TBSテレビ「地雷ZERO 21世紀最初の祈り」。こういう主旨のキャンペーンなら、普段ヘソ曲がりな俺もモロ手を挙げて賛成、参加するぞ。「核の排除は個人個人の力を結集しただけでは実現困難だけれど、地雷の排除なら個人レベルの協力でかなりの部分が達成できる」って、本当にそうだよなあ。
番組中の、対人地雷犠牲者のひとりの少女とのふれあいを映した菅野美穂のカンボジアのレポートには震えた。その少女は、自分は足を失うほどの大怪我をしながら、それを助けようと駆け寄って来た友達に「自分の周りは地雷だらけだから来ないで!」と叫んだって・・・。そういう、地雷源地帯に暮らす人々の様々な事実を見聞きした後、次にまったく違った立場から、地雷を売る立場のメーカーの技術者が事務的な口調で対人地雷の性能や地雷源の現状について説明するのを聞き、その淡々とした姿を見るのはまったく背筋が凍る思いだった。
モザンビークからは、自ら深刻な被害に遭いながらなお力強く地雷撤去活動を続け、その必要性を世界に向け訴え続ける、義手義足の不屈のランナー、クリス・ムーン氏のメッセージが届く・・・。
そして番組の最後は各国を中継で結んでの、坂本龍一氏プロデュースの大曲「ZERO LANDMINE」の生中継ライブだった。超豪華な参加アーティストたちが次々と歌と演奏で曲を織り上げていく。作詞も手掛けたあの元JAPANのデヴィッド・シルビアンの姿にはグッときた。それから、民族楽器サズを携えて登場したサラエボの歌姫ヤドランカのあの歌声・・・。これにはもう涙、涙・・・。そしてラストの大合唱は圧巻!時折、音楽にはものすごいパワーがあるんだなあ、と感じさせられる事があるが、今回のこの中継セッションほど、それをストレートに感じた事がかつてあっただろうか・・・。
とりあえずCD買おうっと!

2001年4月28日
東京からしばらくぶりに帰省した親友と会食。積もる話もいろいろあって楽しい一時を過ごした。別れ際に思いがけないおみやげを貰ってビックリ。ホントにありがとうな!あと、また組手のお手合わせ願います!押忍(謎)!

るうさんから突然の贈り物。なんとも立派なタケノコをドカッと送っていただきました!そのうえ「アク取り用(かな?)ぬか」までセットしてくれてる〜・・・(感涙)。どうもありがとうございました!さーて、どうやって食べようかな〜?(←タケノコ料理未経験)
「PostPet」アイテムがいっぱいの、るうさんのサイトはこちら→「る*ぽすぺ

2001年4月24日
何かと物議をかもした森首相の退陣に伴う自民党総裁選挙。新総裁には小泉純一郎氏が選ばれた。時期総理大臣としてがんばって欲しいです。がっ、マスコミの異様な盛り上がりに乗っかって、なんだかこれが国民投票の結果ででもあるかのように錯覚させられるのには俺も含めてみなさん注意しようね。    

2001年4月21日
大阪の春の風物詩、造幣局の桜の通り抜けを見物に行った。お天気はイマイチだというのに、ものすごいギュウギュウの人出。造幣局付近一帯には露店もいっぱい出てて、お祭り気分を盛り上げている。とてもゆったり桜見物って雰囲気じゃありゃしないのだけど、やっぱりこうして咲きほこるたくさんの様々な種類の桜の花を眺めながらつらつらと歩くのは心楽しいものだ。一所懸命ファインダーを覗いてるにわかカメラマン、学校さぼってデートにきてる高校生らしきガングロカップル、必死に「逆行しないでくださーい、立ち止まらないでくださーい!」って叫んでる警備員、俳句や和歌をひねる人、我が物顔でまかり通る大阪名物おばちゃん軍団、無邪気に花びらに手を伸ばすベビーカーの赤ちゃん・・・。みんなニコニコだ。あんがい桜の花のほうでも人間見物を楽しんでるかも知れないなあ〜、とか思いつつ、俺はおみやげに「造幣せんべい」を買いました。
・・・というワケで、<愛機「QV-10」で撮った写真を見る>

2001年4月17日
フォーク歌手河島英五さんが死去。突然のことで驚いた〜。関西人の俺たちにとっては、いつもテレビやラジオの中にいて当たり前の歌い手さんだったからなあ・・・。数年前、伊藤多喜雄さんのコンサートを観に行った時、ホールのトイレで用を足してたら、隣に革ジャンにブーツのいかつい大男がヌッと立ったのでギョッとして見たら、それが英五さんだった、なんて思い出があります。

2001年4月16日
梅田OS劇場にて「ウォレスとグルミット」のニック・パーク監督の新作「チキンラン」を観覧。恐ろしい養鶏場からの、けなげでひたむきなニワトリたちの「大脱走」物語だ。今回は米の超大手ドリームワークスからの製作ってことで、あの独特な欧風ユーモアが薄らいでしまうのでは?とか思ってたが、そんな心配は無用とばかりのアードマン魂大爆発な作品だった。キャラクターのニワトリたちは可愛いし、ハラハラさせる迫力のアクションシーン、ギャグやパロディも満載なんだけど、その底を流れるストーリーと語り口はあくまでも骨っぽくて泣かせる。スカッと笑ってちょっと感動の、イイ映画でした〜。

2001年4月14日
東大阪「Music Bar WING」にて、友人の松浦くんのギターデュオ「TUKTUK」のライブ。今回のレパートリーは、ロック・ファンク・ソウルからクラシックまで、いつにもましてジャンル無用の幅広い選曲だった。懐かしい「Fire Clacker」とか、俺の大好きなラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」なんて曲まで演ってくれました。しかし、どんな曲を演奏しててもそれが全て確固たる「TUKTUK」サウンドなのはさすがの一言!しばらくぶりに会う秦野さんは、首に数珠(風ネックレス)を下げ、髪型も坊主頭になってて、もはやすっかり修行僧のようなのだった(笑)。ほとんど話はできなかったけど「TUKTUK」サイトの掲示板の常連さんにもちょこっと会えました。

2001年4月11日
NHK朝の連続テレビ小説「ちゅらさん」は面白い!とくに映画「ナビィの恋」でも印象的だった「オバア」平良とみさんの飄々とした演技とナレーションがなんとも素敵。今後の展開にもだんぜん要注目だ。俺は、友人とか知り合いとか、身の回りにけっこう沖縄出身者が多いので、このドラマを観てるとついつい訛りがうつってしまうサー。

2001年4月9日
昨夜、腰を痛めた。部屋の整理をしようと、大きなダンボール箱を持って階段を登っている途中で足を踏み外し、落ちるまいと踏ん張った時に「グキッ」と。その時は痛くもなんともなかったが、前にも2回、腰を痛めてる経験から「あっ、やっちゃった!」ってすぐわかった。案の定、一晩寝て今朝、痛くて起き上がれず。うう〜、情け無や〜(涙)。重たい荷物は無理しないで、2回に分けて運べばよかった〜。後悔先に立たず。腰も立たず。(←笑うところ)

2001年4月8日
和泉鳥取あたりまで夜桜見物に行った。道沿いに咲きほこる桜はライトアップされててこれが意外とキレイ。ちょっと遠くに夜店が出てるのが見えたのでひやかして見るべえ、とそっちに向かって歩いてると、さっきは気付かなかったが、途中の薄暗い道ばたにベッタリ座り込んでる見たからに悪っそうな4〜5人のチーマー風あんちゃん達がニヤニヤうすら笑いを浮かべてジロジロこっちを見ている。「こっちを」っていうか明らかに俺を見てるやん!・・・めっちゃ見てるやん!オヤジ狩られるのか、俺(焦)!・・・駄菓子菓子、ここで踵を返して逃げたらオトコがすたる!っていうか肉食獣の補食本能を刺激するだけだ!(←草食獣・野生の勘)こうなったらもー覚悟を決めてスタスタ歩いて行くしかない。ヤツらの目の前を通り過ぎる時、その中の1人が「ねーねー」と声をかけて来たが気付かぬふりでズンズン歩き、装飾提灯に照らされた明るくにぎやかなあたりに辿り着く。何も起こらずひと安心したが、これは来た道を戻ったら明らかにヤバい雰囲気だ・・・。屋台で缶ジュースを買うと、そそくさと別の道から遠〜回りして一刻も早く現場を離れるヘタレな俺だった。あーくわばらくわばら(情無)。

2001年4月7日
漫画家の馬場のぼる氏が死去。俺たち世代が子供時代には、学習雑誌の誌面などでいつも氏の作品に親しんだものでした。思い起こせば幼稚園の学芸会で「11ぴきのねこ」の猫の1匹を演じたのが俺の人生初舞台だったなあ。合掌・・・。

2001年4月6日
花粉症がひどくて目が腫れちゃった。痛い痒い痛い痒い〜(泣)。

奈良県明日香村のキトラ古墳内部に3年ぶりに調査のカメラが入り、高松塚古墳にも残っていなかった「朱雀」の壁画を発見。のびやかな筆致が美しい〜。

2001年4月5日
米大リーグ。レッドソックスの野茂投手が、オリオールズ戦でノーヒット・ノーラン試合を達成。なんと大リーグでの自身2度めの快挙だ。今季はイチローや新庄など、新しく大リーグに挑戦する野手組に注目が集まる中、ド派手に存在感をアピールした。さっすが!

2001年4月1日
心斎橋大丸にて「自動人形師・ムットーニ展」を観覧。数年前に開催された道頓堀キリンプラザでの展覧会よりは展示数が少なくて、その時1度見た作品も多かったけど、それでもやっぱりすごく素敵だった。ムットーニさん自身による、解説&演奏のパフォーマンスもあって、これがまた見ごたえ聞きごたえ充分なのだ!作品は静かで瞑想的な雰囲気の物が多いけど、ムットーニさん本人は、めっちゃ明るくてよくしゃべりまくる人。背はかなり小っちゃくて(俺より小柄なくらい)、ちょっとだけ演歌歌手の香田晋に似ているのだった(笑)。ムットーニさんは、作品の隣に佇み、人形たちの演技に合わせてトランペットやギターを演奏したり、1つ1つの作品に込められた意味や想いを、名調子で語って聞かせてくれました。楽器の演奏もこれがけっこう上手くて、作品に使われてる音楽も自分で作曲してシンセで録音したものだったりと、その多才ぶりにはさすがの俺も(←ばか)脱帽ナリ〜。
記念に作品の写真集を買って、サインしてもらっちゃった俺だ!へへへー(嬉)。

2001年3月31日
ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)」がいよいよ正式にグランド・オープン。オープニング・ゲストのハリウッド・スターっていうのは、案の定シュワちゃんことアーノルド・シュワルツェネッガー氏だったらしい。セレモニー会場にヘリで空から派手に登場して「I'll be back !」(←やっぱり)なんてやってたみたい。夏休みが終わって一段落した頃にでも、遊びに行ってみようかな〜?

2001年3月29日
インターネット上の銀行「ジャパンネット銀行」に口座を開設してみた。なんだかこういうバーチャル感あふれる機関にお金を預けるのは本意ではないのだけれども、参加ルールが変更になった「Yahoo ! オークション」を利用するのに便利なのでつい・・・。「ルール違反なオークションへの出品や詐欺などのネット犯罪の防止のために、来月から本人認証のシステムを開始します」とかいって、参加者の本人確認を徹底し、かつ運営費用を徴収する方針に変わったんだけど、「ジャパンネット銀行」を利用する事でグッとお手軽、お得になるシステムなワケだったりするあたり、実ははじめからこの「ジャパンネット銀行」立ち上げに向けて1人でも多くの預金者を確保するためだったんじゃないのぅ〜?我田引水?たのむよう孫さ〜ん(嫌笑)。

2001年3月26日
深夜、テレビ(KTV)で「ねこぢるの死」っていうドキュメンタリーをやってた。「おをうっ!?」と思って期待して見たのだが、そのわりには「ねこぢる」の本質に踏み込んだ内容には程遠くて(そんなとこに踏み込んだら放送できません)カユいところがますますカユくなる感じだったのがちょっと残念だったけど、ダンナさんの山野一や根本敬のインタビューがあったり、諸星大二郎あてのものすごいファンレター(←内容ちょっとイッてて怖い)が公開されたりでまずまず興味深かった。
ただ、インタビューに答える人みんな「ねこぢる」さんおよびその作品世界におそるおそる接し過ぎじゃないのかな〜。「うかつな論評とかしたら自分の底見られるかも」っていう感じでコワがっちゃってて。あんな「かしこ」なカッコイイ人ばっかりなトコやなくて、もっとエエ意味で「アホまるだし」なような人間に囲まれて暮らせてたら「死ぬ」までせんかったかも、と思いましたよアタシゃ(悲)。

2001年3月24日
庭の白い椿の花がイイ感じに咲いてたよ。<愛機「QV-10」で撮った写真を見る>

2001年3月23日
ロシアの宇宙ステーション「ミール」がとうとう落ちて来た。日本上空は通過したけど、ちゃんと計算どおりの場所(南大平洋上)に無事着水。本当に大丈夫かと疑ってた俺だが、ちょっとロシアの技術を見くびってたぜ!申し訳なし!

2001年3月20日
やっと熱が下がり元気が出てきて退屈なのでココの更新をする。これでまた熱上がったりして。

2001年3月18日
突然の頭痛&発熱でダウン。む〜ん・・・。

2001年3月16日
愛車ナスターシャ(チャリンコ)を駆って、いつも利用しているとなり町のホームセンターへ買い物にいったら、営業日のはずなのにシャッターが降りていて「当社は現在会社更生法の適用により販売活動を停止しております」との貼り紙が。これは会社が今倒産しかけてるって事なのでは!ショーック!ココがつぶれたら、さらにそのとなり町にある別会社のホームセンターまで行かなけりゃなりません。現在地からさらに自転車で片道40分(涙)。(←きびしい登り下りの道を含む)突然の出来事に気力がなくなったのでそのまま帰りました。そうさ俺は敗残者さ!・・・今度原チャリで行くっす。

2001年3月14日
今日が「ホワイトデー」だったと夜になって気づく!が、全く問題なし。(←ていうか関係なし)

2001年3月12日
メインで使ってるMac「G3DT266(マックじーさん)」にハードディスク(以下HD)を増設しようとかねがね思っていた。だがウチの「G3DT266」はRev.1っていう初期ロットのヤツで、これはなんとIDEデバイスのマスター、スレーブの設定が出来ないという不可解なトホホ仕様なのだ(涙)。別にそんな問題、高速SCSI増設カード&SCSIの大容量HDを揃えれば一挙解決なのだが、もちろん俺にそんな経済的余裕があるはずもなく、そこをなんとかウラ技で解決すべくPCIスロット用のATA33増設カード「TurboMax」と10.2GBのHDをネットオークションで激安調達しておいたのだった。そして今日がその増設作戦実行の日なのだ、覚悟しろよフフフ・・・。というわけで、おもむろにバカッとガワを開けてイソイソと各部品とケーブルを接続し、そこにMacOS 9をインストールする。しかる後に増設したHDを起動ディスクに設定して再起動。無事立ち上がる事を確認して満足な俺なのだった。
・・・だが、いつもシヤワセは長くは続かない。増設の成果にひととおり満足しきったところで、起動ディスクをもともとの4.3GBHD(MacOS8.1環境)に戻して起動しようとすると、Finderが立ち上がるところでフリーズしてしまう。ホワーイ!?何度トライしてもフリーズしてしまう。ホワーイ!?
くわッ!ここにきて相性問題大発生か!!これでは(来るべきMacOS Xをニラんで)2つのHDで2種類もしくは3種類のバージョンのMacOSを自由自在に使い分ける、という俺の野望は果たされへんやないの!いや〜ん!オーノー!マ・ヨ・ネーズ(悔)!!
結局、もともとの内蔵4.3GBHDを外し、新しい10.2GBHDと入れ替える事に決定。影の団長、断腸の思い。最終的には10.2GBを2つのパーティションに割って、その片方に今まで4.3GBに入っていたMacOS 8.1環境のデータを全部移し、もう一方にMacOS 9をインストールし直したのだった。
1日がかりで、やっとめでたく2つのOSを共存できる環境となりました。もー大変。はー(疲)。

2001年3月10日
タカナシ、ドゲどーん、フジーと4人で梅田で待ち合わせ。LOFTで用事を済ませた後、梅田ソフマップをひやかしに行く。「PowerBook G4」はとってもイイ感じ。新iMac(花柄)はちょっと炊飯器風。俺はCD-Rディスクを買い、フジーは背徳アイテム(謎)をゲットした。その後「ミュンヘン大使館」にて、大使館ビールと鶏の唐揚げ(美味)の宴を満喫。

2001年3月9日
梅田バナナホールにて、ラグタイム・ブルース・デュオ「三井はんと大村はん」のライブ。1曲めからいきなり、お笑いエロ演歌「加古川の男」でスタート。まったりほっこりとした大村さんの軽快なギターに、コテコテかつベタベタな三井さんの歌&しゃべくりが乗ってエエ感じ。
大村さんのギターは聴いててすごく気持ちイイ。俺はこういうラグっぽい弾き方が大好きなのだ。そして客席には有山じゅんじさんの姿が。さては有山さんが大村さんのギターの師匠なのカモ。
元爆風スランプのファンキー末吉さん(←プロデューサー)もいて、お客さんと一緒に飲んでヤジを飛ばしていた。三井さんって、その姿としゃべくりに覚えがあるなあ・・・と思って見てたら、じつはやっぱり知る人ぞ知る「TOPS(イタチ)」の元ボーカルの、あの三井さんでした。その後爆風スランプの解散までマネージャーやってたらしい。苦労したんやねえぇ(涙)。でもあいかわらず、元気にオゲレツな下ネタとかオヤジギャグばっかし言ってました。
そんなオゲレツな「三井はんと大村はん」だが、2人とも俺の大学の先輩だったと判明(笑)。

今日は、あったかいここ大阪南部でも雪がジャンジャン降った。う〜ん、全国各地でなごり雪も降る時を知りふざけ過ぎた季節の後で今春が来て君は綺麗になったことだろうなあ・・・(遠い目)。

2001年3月8日
漫画家の岡野史佳さんのサイト「Planet-F」では、以前からリンクページで「月光曲技団」を紹介してくれていたらしい。ある人が「曲技団」への感想メールでその事を教えてくれるまで、不覚にも俺はずっとその事を知らなかった。それで今日、そのお礼と「曲技団」からもリンクをお願いをしようと岡野さんにメールを送ったところ、すぐに丁寧なお返事メールをいただきました(嬉)。それにしても昔から読んでた漫画の作者の方が俺のサイトを知っててくれたなんて、なんか不思議な感じ〜。

2001年3月6日
「月光曲技団」の新ネタついに完成。名付けて「着せ替えスロット777(ナナ!ナナ!ナナ!)」。スロットマシーンで着せ替えをする、というアイディアを寝かせる事約1年・・・、ここまでの道のりは長かったっす〜。今回は絵をスムーズに高速回転させるためにどういうLingoを書けばいいのかコツがわからなくて手こずった。インターフェイスのデザインにも悩みに悩んだし、そもそもナナの衣装の資料集め&最終的にどの衣装を5種類選ぶかの絞り込みにもすっごく苦労した。いや〜、これまでにない難産でした・・・。みんなにはゼヒ楽しんでもらいたいにゃあ〜。

日本ポピュラー音楽界不滅の巨匠、服部良一氏作曲の幻のジャズ・オペラ「桃太郎」のスコア(譜面)が服部邸の書庫から発見されたそうだ。このオペラは現在、ご長男の服部克久氏が中心となって欠けた部分を補作曲、再構成し、復活されようとしているらしい。昭和16年の暮れに良一氏が1ヶ月徹夜を続けて完成し、NHKのラジオ・オペラとして初めての演奏本番の日が、奇しくもあの真珠湾の奇襲攻撃(大平洋戦争開戦へ)の日になったという不遇な運命をたどり、ついに1度も演奏される事のなかったという「桃太郎」・・・、絶対聴きたい!この曲にまつわるドラマチックなエピソードは服部良一ホームページ「胸の振り子」内の「オペラ『桃太郎』製作日記」で読めます。ぜひご一読あれ。

2001年3月5日
前に仕事した会社から電話がきて、不機嫌な声でいきなり「ヨシローさんのギャラは1月18日に振り込み済みですがね。」って言ってきた。何の事かさっぱりわからなくて「はあ、そうですねえ・・・」とか答えてたんだけど、どうも様子がおかしいからよくよく問いただしてみたら「ヨシローさんから『私のギャラ振り込みは一体どうなってるのか?』っていう抗議の電子メールがきた」んだそうだ。もちろんそんなメールなど送ってないので「そんな連絡はいっさい入れてません。それは私じゃないですよ!」って言ったら、先方はビックリした様子で「えっ?えっ?違うんですか!」とか言ってんの。で、やや間があって「あ、失礼しました。これは別の人からでした!(笑)」って言って電話は切れちゃいました。「ギャラについて文句を言ってくる奴なんて、ビンボーなヨシローに違いない」って先入観でもあるのか?・・・ヤロ〜・・・(怒)。

2001年3月3日
桃の節句である。それとは全然関係ないが、昨年末にCD-Rドライブを買い、過去のいろんな永久保存版データをひととおり焼き終えた後、CD-Rオーナーとなった俺に訪れたマイブームはアニメソングだったぞ!あれこれ音源を引っ張り出しては選曲・編集し、「手塚治虫アニメ主題歌集『ワンダービート・スクランブル』入り」とか「カルピス名作劇場主題歌集『アンデルセン物語』もあるよ」とか作って感慨に浸ることしきり。う〜ん、やっぱり宇野誠一郎やね〜(うっとり)。

ところで最近お気に入りのアニメといえばなんといっても「パワーパフガールズ」。これやね!

2001年3月1日
So-net」サイト内「週刊 U-Page」の特集記事「ワンダーランドへGO!」にて、「月光曲技団」がどどーんと紹介される。うほー(嬉)。


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